ひぃふぅみぃよ…。
 五つ六…と、数えかけて、馬鹿らしくなって止めた。
 放っておいたら、部屋中の畳を埋め尽くすんじゃあないのかと思うほどの、大量の文。
 潜り込んだ布団の上にも、かさりはらりと、次から次へと、積まれて行く。
 それは全部、隣の奴が貰ってきたもんで。
 年の瀬の掛取りに出れば、当然のごとく、この性悪の袖は女達からの恋文で重くなって返って来る。
 若だんなの暇つぶしになるようなものがあればと、こうして並べているのだけれど。
 大店の娘から、どこぞの若だんなまで。
 男も女もよくもまぁ、と、呆れてしまうほど。
 中には長崎屋程ではないけれど、有名なお店のお内儀からの密会の誘いまであった。
 低く、鳴り響く除夜の鐘を背中に聞きながら、こんな鐘で、こいつらの欲なんか消えるもんかと思っちまう。
 
「あんたそのうち、女に祟られて死んじまうんじゃあないのかい?」

 最初は、面白半分で手に取ってはいたけれど。
 どれもこれも、惚れた腫れた思いを遂げさせろと、延々と綴られるのに、いい加減、苛立ってきて。
 久方ぶりに逢ったと言うのに、また、憎まれ口を吐いてしまう。
 
「たかが情で死ぬもんか。…あ、つまらないものはこちらにおくれ」
「なんだい?取っとくのかい?」

 真逆、とは思う。けど。
 差し出される手に、一瞬、不安が過ぎる。

「馬鹿言ってんじゃあないよ。風呂の焚き付けと、余白が多いのは鍋の底研きに使うんだよ」

 取っといてなんの意味があるんだい。邪魔なだけだろう。と続く言葉に、このどうしようもない性悪に、文を寄越した女達に、ほんの少し同情した。
 ごおんと、また、除夜の鐘が響く。
 今年ももう終わろうかと言うのに、己に寄越された恋文を、自分に読ませるこいつはどうなのかと、一瞬、頭が痛くなる。
 せっかく、久方ぶりに逢ったのに、だ。
 していることと言えば、恋文の仕分けなのだから情けない。
 冷えた指先で、はらり、また、文を摘む。
 そこにある、切々と綴られた仁吉さんへの想いに、また、苛立つ。
 書き記された名前は、美人と評判の娘のもの。
 あぁ本当に、このお方は良くもてるんだねぇ。
 揶揄するように、口角を吊り上げてみる。
 妬いているなんて、思われたくもないし、思いたくも無い。
 張るのは、精一杯の虚勢。

「あんたもあたしなんかに構うより、こっちの方が良いんじゃあないのかい?」

 言ってから、後悔した。
 肯定されたら、どうすればいいのか、あたしには分からない。
 もしかしたら、仁吉さんからしてみれば、自分も、文を寄越す女共も、変わらないのかもしれない。

「…そうだねぇ」

 事も無げに吐き出された言葉に、一瞬、息が詰まる。
 どんな顔をして言っているのかと、怖くて、思わず、視線を逸らしていた。
 睨み付ける、畳に在るのは、愛しい恋しいと、一方的に綴られる文。
 
「お前と来たら弱っちぃわ生意気だわ、口を開けば憎まれ口で、可愛げの欠片もありゃしない。芸が無ければ能も無いしね」
「………っ」

 そこまで、言わなくても良いんじゃあと、思ってしまう。
 息が詰まって、目の奥が熱い。
 ぎゅうと、布団を握り締めた指が、震えだす。
 もう、虚勢も何もあったもんじゃなかった。

「良いとこなんか無いように思うけれど」
「…っだったら…」

 思わず、振り返り、叫んだ声は、情けなくも上擦っていて。

「けどねぇ」

 にこりと、向けられる綺麗な笑顔に、言葉を遮られる。

「たかだか文に妬くお前に、どうしてだか惚れちまってるんだから、仕様が無いだろう」
「―――――っ」

 かっと、一息に頬が熱くなる。
 せっかく堪えていた涙が、驚きすぎて、思わず、零れちまった。
 頬を伝うその意味はもう、変わっているのだけれど。 
 気恥ずかしすぎて、認めたくは無い。

「安心しなよ。当分お前だけだから」

 楽しげに笑いながら、絡み付いてくる腕がうっとうしい。
 なのに、抱き込んでくる体温を、どうしてだか、拒むことが出来なくて。
 ああもう、頬が熱いったらありゃしない。
 火鉢の炭が多すぎるんじゃあないだろうか。

「は…っ信じて良いのかね」

 きつくきつく、肩口に額を押し付けて。
 張るのは、精一杯の虚勢。
 どうしようもないくらい、嬉しいと思っているなんて、絶対に絶対に、知られたくは無いから。
 それでも、この大妖はどうしようもないくらい性悪だから、きっと見抜かれているんだろうけれど。

「想ってるさ。誰より愛しい」

 ああもう大嫌いだ。
 そういう事をさらっと、言っちまうあんたが大嫌いだ。
 性が悪い。質が悪い。
 それでも、こんな奴に惚れてるんだから、言われて、喜んでるんだから。
 やっぱりあたしも、どうしようもない奴なのかも知れない。
 ちらと、投げ出された文に目を遣る。
 この女達は、こいつがこんなに性悪で、無駄に頭が切れて、非道で冷たくて、人の心を平気でどうこうしちまう奴なんだってことは、きっと知らないんだろう。

「…あんたの本性を知ってて惚れてやる奴なんて、きっと、あたしだけだよ」

 ぽつり、呟いた言葉に、耳元で零される忍び笑いが腹立たしい。
 
「そりゃあ、ありがとうよ」

 優しげな声音で、楽しそうに囁いてくるのが、憎らしい。
 それでも、それでも。
 もう、己の周りを埋め尽くす文に苛立つことは無かった。
 除夜の鐘は、相変わらず低く鳴り響いて。
 来年もその先も、ずっとずっと、あんたに惚れてやる奴なんて、あたしだけだよ。
  
「だから精々…」

 あたしに惚れとくれ。
 続けようとした言葉は、声になる前に、入り込んできた節操なしの舌に、絡めとられて溶け消えた。