ぼんやりと眺めるのは、穏やかな昼餉の風景。
 目と鼻の先の母屋では、やれ大掃除だ仕事納めだと、奉公人達が右へ左へ走り回っているというのに。
 此処にはそんな空気は微塵も流れ込んではいなくて。
 尤も、目の前の過保護すぎるぐらいに過保護の手代が、そんなものを、大事の若だんなに持ち込む訳も無いかと、ぼんやりと思った。
 今だって、どんなに忙しくても、昼餉の支度と、薬だけは、きっちりと届けに来ているのだから。

「それじゃあ、あたしはお店に戻りますから」

 最初のうちは、いつもこの瞬間に、己も手伝いに出ると言っていた一太郎も、何度も何度も仁吉に断られ、宥められて留め置かれるうちに、今は苦笑だけで送り出すようになっていた。
 その様に、仁吉の口の端に、穏やかな微笑が、乗る。
 微かに笑うその目は、ひどく優しい。
 忙しい仕事の合間を縫って、この離れにやって来るけれど。
 当たり前に、その視線は一太郎のみに注がれて。
 それが、当然で、逆に他所に逸れようものなら、それは何か良くない事に違いなくて。
 それでも。
 屏風のぞきの機嫌が、いまいち宜しくないのは、きっとその所為で。
 毎日会うのに、偶に、憎まれ口を交わすけれど、もう何日も、まともな視線も言葉も交わしてはいない。
 構ってもらえなくて寂しいなんて、口が裂けても言えないし、思いたくも無い。
 自分はそんな女々しい奴じゃあない。
 だから、この苛々は、きっと気のせい。
 じっと中空を睨みつけて。
 そんなことばかり、延々考えていると、不意に、名前を呼ばれた。
 
「屏風のぞき」

 顔を上げれば、さっき閉じたばかりの障子から、仁吉が顔を覗かせていて。
 その切れ長の目が、にやりと、笑った。
 何事かと、反射的に睨みつければ、額に当たる、軽い衝撃。
 ころんと、膝の上に落ちたのは紙飛礫。
 
「何…っ」

 子供の悪戯の様なそれに、文句を言おうとした途端、ぱたんと、障子は閉められてしまい。
 遠ざかる足音は、もう、戻ってくる気配は無かった。

「何だったんだろうね?」
「さぁ。性悪の大妖のすることは、品の良いあたしには分からんね」

 小首を傾げる一太郎に、応える声に、不機嫌さが滲む。
 子供の様に、唇を尖らせる屏風のぞきに、一太郎が苦笑を漏らした。

「………?」

 ふと、拾い上げた紙飛礫に、墨の跡を見つけた気がして。
 何気なく開けば、そこに書かれていた言葉に、かっと、一息に頬が熱くなる。
 文とも言えぬ、それだけれど。
 先程までの苛々など、一息に、どこかへ行ってしまって。
 決して浮かれているとか、嬉しいとか、そんなんじゃあない。と、必死に己に言い聞かせる。

「何か書いてあったのかい?」

 ひょいと、覗き込まれて。

「何でも…っ何でもないよ…っ」

 慌てた拍子に、文はまた、掌の中、元の紙飛礫に戻ってしまった。
 一瞬、惜しいと思ってしまった自分に気付いて、また、頬が熱くなる。
 自分はそんな女々しい奴じゃあない。気のせいだと、また、必死に言い聞かせて。
 ぎゅうと、掌の中の、飛礫を握る。
 そこに書かれていたのは、たった一言。
 今夜、部屋に来いと。
 ただそれだけだったけれど。
 知らず、屏風のぞきの口の端には、嬉しげな笑みが、浮かべられていた―。




 ごおんと、最後の除夜の鐘が、響く。
 しんしんと降り積もる雪が、他の、全ての音を吸い尽くして。
 裸の足に、板張りの廊下は、ひどく冷たかった。
 
「………っ」

 震え、吐き出した息が、家の中だというのに、白い。
 それが一層、寒さを際立たせて。
 足早に、急ぐ。
 
「入るよ」

 言いながらもう、襖を開いていて。
 途端、身体を包む火鉢に温められた部屋の空気に、安堵の息を吐く前に、唇は塞がれた。
 近すぎる、整った顔に、一瞬、頭が着いて行かなくて。
 口腔内に入り込んできた、柔らかに濡れた感触に、ようやっと、己の状況を理解する。

「ふ…ぅ…っ」

 零れ落ちた吐息は、どちらのものか。
 久方ぶりに、交わす体温は、いつもよりも急速に、熱を呼び込んで。
 こちらは、仁吉の首に腕を絡めるので、精一杯だというのに。
 右手は、屏風のぞきの髪に差し込んだまま。
 左手で襖を閉めるその器用さが、憎らしかった。

「冷たい…」
「…っ仕方な…っぅあ…っ」

 唇を離した途端、ぼそり、零された言葉に、反論しようと口を開きかけたけれど。
 するりと、着物の合わせ目から滑り込んできた指先に、阻まれる。
 久しいその感覚に、知らず、身体が震えた。

「ぁ…っ」
 
 脇腹から背中へと、柔く指を這わされ、肌が粟立つ。
 縋りつけばそのまま、胡坐をかいた膝の上、向かい合うように抱上げられて。
 近すぎる位置で、にやり、笑う瞳に、ぞくりと、背筋が震えた。

「…?何だいこれ」
「…え…?」

 不意の言葉に、目を開けば、袂に入れたままだった紙飛礫が、いつの間にか転がり出ていて。
 かっと、屏風のぞきの頬に、朱が走る。

「捨てるよ」
「待…っ」

 慌てて、奪い返す。
 掌の中、ぎゅうと、握りこんで。
 
「そんなもの。もう用無しだろう」
 
 呆れたように零された言葉に、それはそうだと、屏風のぞきも思うけれど。
 文とは、言えぬかも知れぬけれど。
 それでも、此れには、仁吉が、己に逢いたいと、想ってくれた事実の証のような気がして。
 どうしても、屏風のぞきは捨てる気にはなれなかった。
 けれど、こんな理由など、気恥ずかしすぎて、言える訳が無くて。

「………」

 怪訝そうに、己を見つめる視線に、耐え切れなくて、思わず、俯く。
 目元が、熱い。
 ふと、空気が揺れた気がして。
 顔を上げれば、揶揄するように笑う目が、そこにあった。

「そんなに大事にしてくれるんなら、まともな文の一つでも差し上げようかね」
「な…っ…こっの…性悪っ」

 一息に、頬が熱くなる。
 ようやっと吐き出した悪態は、己でも思うほど、拙くて。
 忍び笑いを零す、気に入らない唇に、噛み付くように口付ける。
 己から差し込んだ舌は、絡め取られ、きつく、吸い上げられて。
 頭の芯が、痺れるような心地がした。

「無駄口…叩いてんじゃあない…よ…っ」

 裾を割って、零れた足を、絡ませれば、内腿に指を這わされ、言葉が震えた。

「はいはい」

 くつくつと、楽しげに漏らされる忍び笑いが気に食わなかったけれど。
 首筋に舌を這わされ、敏感な箇所に指を這わされて。
 それどころではなくなってしまう。

「あ…っぁあ…っ」

 白く細い指先が、胸の突起を、嬲る。

「ひ…ぃ…っ」

 硬くなったそれを、少しきつめに爪先で捻られ、背が、反る。
 じわり、涙が滲んだ。

「痛…ぁ…」
「悦い癖に」

 揶揄するように笑う顔が、近すぎる距離にあって。
 羞恥に、全身が上気する。
 
「うぁ…ぁ…」

 ざらついた舌に舐めあげられて、背筋を走るのは快楽。
 向かい合った膝の上、仁吉の頭を掻き抱くように、縋りつく。
 鎖骨に歯を立てられて、吸い上げられて。
 軽い水音に、そこに紅い跡が散ったのを知る。
 しんしんと降り積もる雪が、一切の音を吸い込んで。
 部屋に響くのは、淫猥な吐息のみで。
 それが一層、屏風のぞきを煽り立てる。

「ん…ぁあ…」

 ゆるく、背中を指で辿られ、耳朶に舌を這わされて。
 仰け反らせた喉に、また、歯を立てられる。
 背を辿る指が、ゆっくりと降りてきて。
 腰元、纏わり着いた着物の帯を、解かれる。
 指先でそっと、後孔をなぞられ、仁吉の背に、回した手指が、ぎゅうと、着物に皺を作った。
 焦らすようなその動きは、熱を呼び込むには十二分で。

「ぁ…早…く…」

 顔を押し付けた肩口に、じわり、涙が滲む。
 強請るように、誘うように、仁吉の首筋に舌を這わせれば、それは強引に口付けに変えられて。

「…ぅ…ん…っんっ」

 熱を孕んだ自身を、不意に、握りこまれ。
 悲鳴は、仁吉の舌に絡め取られてしまう。
 
「は…ぁ、あ…」

 少しきつめの指の輪に、扱き上げられ、親指の腹に、先走りに濡れる鈴口を嬲られて。
 ぼろり、零れた涙が、頬を伝う。
 漏れる吐息は、荒く、苦しい。

「も…頼、む…から…」

 切れ切れに哀願する声が、震えた。
 仁吉の目が、至近距離で、満足げに笑う。
 それを憎いと思う余裕は、もう、屏風のぞきには無かった。

「―――っ…ひ…っ」

 唐突に指を、突き立てられて。
 待ち望んだ、久しい刺激に、ぼろぼろと涙が零れる。
 悲鳴すら、声にならなくて。
 
「ひ…ぁ…」

 縋りついた指は、白く関節が浮き出るほど。
 敏感な内壁を弄られ、身体が、震える。

「あ…ぁあ…ぅ…」

 仁吉の指が、また、自身に絡む。
 中を弄る指が、増やされる。
 ばらばらに動かされ、擦り上げられて。
 強すぎる刺激に、意識が宙に浮く。
 力の篭った爪先が、畳を蹴った。

「に…き、ち…さ…」

 求めるように、名を呼ぶ。
 差し出した舌は、すぐに絡めとられて。
 きつく吸い上げられて、感覚の全てが、仁吉に染められる気がした。

「入れるよ」
「ん…」

 囁かれ、こくこくと頷く。
 もう、これ以上堪えられる余裕が無い。

「腰、上げてみな」
「ぅ…ん」

 朦朧とした意識の中、言われるがまま、腰を上げる。
 力の入らない体では、巧く上体を支えることが出来なくて。
 ぎゅうと、仁吉の肩に縋り付く様に置いた手に、力が篭る。
 後孔に、仁吉自身を宛がわれ、その熱に、知らず、吐息が震えた。
 思わず、早く、と、強請るような視線を、投げてしまう。
 
「そんな物欲しそうな顔、するんじゃあないよ…」
 
 掠れた声で囁かれて。
 揶揄するように笑う瞳に、逃れられない距離に、羞恥に目元が熱くなる。
 仁吉の眼が、一層、底意地悪く笑う。
 
「腰落として」

 囁かれ、弱々しく首を振る。
 羞恥に堪えきれず、顔を埋めた肩口、屏風のぞきの髪が、流れた。

「無、理…―――っ」

 唐突に、腰を引き摺り落とされて。
 一息に突き立てられ、息が詰まる。
 
「あ…い…っあぁ…っ」

 久しいそれは、いつもより苦しいというのに。
 慣れる間もなく、突き上げられ、揺さぶられて。
 悲痛に見開かれた瞳から、ぼろぼろと、涙が零れた。
 それでも、確かに感じるのは快楽で。
 熱に、吐息が掠れた。

「に、きちさ…にき…」

 何度も何度も名を呼んで。
 その肩に、縋りついて。
 
「屏風のぞき…」

 愛おしげなその声に、重なる唇に、言い様の無い、幸福を感じる自分がいた。

「…っぁあ…ひ…」

 突き上げれ、擦られて。
 きつい快楽に、屏風のぞきの唇から零れるのは、嬌声。
 嬌羞に上気した肌が、艶めく。
 舌を這わされ、熱を煽られて。
 
「や…も…っ無、理…っ」
 
 限界が、近いのが分かる。
 仁吉の首を、掻き抱くように縋りついて。
 屏風のぞきは自身に触れられてもいないのに、白濁とした熱を解いた。

「ひ…っぃ…ぅあぁ…っ」
 
 達したばかりで、敏感な内壁を、一層激しく、擦り上げられて。
 強すぎる刺激に、意識を繋ぎとめる自信が、無い。

「嫌…い、や…だ…ぁ…」

 頬を伝う涙を、舐め取られて。
 
「―――っ」

 微かに、仁吉が息を詰める気配が、した。
 最奥に解き放たれる熱を感じて、屏風のぞきは最後の意識を手放した。




「ん…」

 ぼんやりとした視界。
 真新しい空気に満ちたそれに、新しい年を迎えたのを思い出す。
 のそり、布団から顔を出せば、随分近い距離から己を見下ろす顔があって、驚いた。

「起きたかい」
「ち…近いよあんた」

 身を起こせば、身体が軋む様に痛い。
 久方ぶりの行為に、全身が悲鳴を上げていた。
 小さく呻きながら見上げた仁吉は、もう、身支度を整えていて。
 そう言えば、一太郎が、今日は皆で初詣に行くのだと、言っていたのを思い出す。

「動けるかい?」
「………」

 無言で、首を左右に打ち振れば、呆れたような声を出された。
 誰のせいだと、言いたかったけれど。
 言って、気恥ずかしい思いをするのは自分だと、今までの経験で痛いほど良く、分かっていたから。
 どうにかこうにか、喉の奥に押し留めた。

「まぁいいさね。あたしはこれから若だんな達と初詣に行ってくるから」
「知ってるよ」

 新年早々、己は置いてけぼりだ。
 分かっていることだけれど。
 知らず、口調に、拗ねるような色が滲む。
 視線を逸らせば、不意に、覗き込まれて面食らう。

「土産でも買ってきてやろうか」

 揶揄するように笑う瞳に、幼子に向けるような口調に、かっと、頬が熱くなる。
 その上、頭まで撫でられて。

「とっとと行けっ」

 きつく振り払い、叫ぶ頬が、熱い。
 楽しげな笑い声を残して、仁吉は部屋を後にした。
 一人になって、ようやっと、息を吐く。

「あぁそうだ」
「―――っ?」

 不意に、閉じたはずの障子が開かれて。
 顔を覗かせた仁吉の眼が、にやり、笑う。

「帰ってきたら、文の一つでも書いてやろうか?」
「―――っ…こっの…性悪っ」

 ようやっと、吐き出した言葉は、やはり、拙くて。
 けらけらと、笑いながら遠ざかる足音が神経を逆撫でする。
 溜息を一つ、吐いて。
 もう一度、出たばかりの布団に、潜り込む。
 新年早々、散々だと思うけれど。
 それでも、寒がりな己の為に、火鉢は温かな音を立てたままで。
 帰れと、追い返すこともされなくて。
 ふと、視線をやれば、枕元に転がる、昨日の紙飛礫。
 そっと、指を伸ばして、掌の中、握り込む。
 
「まぁ…土産で許してやるよ」

 呟く、屏風のぞきの口の端には、確かに嬉しげな笑みが、浮かべられていた―。