重い。
 さっきから半身に寄っかかってて来られてるもんだから、重いったらない。
 全体重。とまではいかないけれど。
 身体の重みの半分を預けられたら、あたしとこの人の差を考えれば、やはり重い。
 最初は、珍しいことも在るもんだと、思ったけれど。
 こうも長い時間寄っかかれてると、これはもう嫌がらせとしか思えない。
 
「仁吉さん、あんた重いよ」
「……あぁ」

 ぱらり、はらり、頁を捲る乾いた音がする。
 それと一緒に、投げ寄越された生返事。
 こいつはちっとも、人の言うことなんか聞いちゃあいない。
 ひょいと、身を躱すのは簡単だけれど。
 そうなると、後が怖い。
 あたしはまだ、井戸の底は見たくは無い。
 
「………」

 ふわり、紫煙を吐き出して。
 どうしたもんかと、考えを巡らせれば、つい、吸い口を噛んでしまう。
 かちかちと、歯と金属のぶつかる音が、部屋に響く。
 と、不意に、肩の重みが、ずれた。
 退いてくれるのかと、思ったが。
 そのまま、重みはずるずると降りてきて。

「に、きちさん…?」

 思わず、変なところで間が空いちまった。
 指先から零れそうになった煙管を、慌てて、口に咥える。
 あたしの膝の上、乗っかった頭は、そりゃあ体重の半分よりは軽いけれど。
 体重の半分を預けられるより、薄気味悪い。

「お前が煩いから本もろくに読めやしない。寝るから起こすんじゃあないよ」

 眉間の皺が、最後、低められた声が、怖い。
 それでも、こっちにだって意地はある。
 何か言ってやろうと、口を開きかけたけれど。

「こん…っぐ…」
「煩い」

 一言、言い終わらぬうちに、傍の鉢にてんこ盛りに盛られた、不細工な形の饅頭を、口に押し込まれた。
 巧く作れていたからと、若だんながよくもまあ、と目を見張るほど買い込んでいたのが、この手代の部屋にも流れ込んできたらしい。
 確かに、味は悪くない。
 なんて、もごもごやってるうちに、膝の上の、嫌味なほどに綺麗な顔は、本当に寝息を立て始めたんだから、驚いた。
 茶の一杯でも飲みたくなったが、動いたらきっと、この手代は目を覚ますんだろう。
 それはそれで都合が良いが、起こしたと難癖を付けてくるのは目に見えてる。
 あたしはまだ、井戸の底は見たくない。

「………」

 結局、諦めて煙管を咥え直すしかなかった。
 火鉢の炭が、温かな音を立てて、爆ぜる。
 じっと、揺らぐ行灯の灯に、ゆらり、吐き出した紫煙がゆるく立ち上る。
 全く持って、暇だ。
 こうなれば、視線は自ずと、膝の上の顔に落ちて行く。
 切れ長の、物騒な色しか映さない眼は、今は閉じられていて。
 縁取る睫毛は、びっくりする位に長い。
 肌理の細かい白い肌に、そっと、指先を伸ばす。
 こいつの方が色が白いと、思ってたけど。
 どうやらあたしの方が白いみたいで、何だか少し落ち込んだ。
 まぁ、色なら若だんなのほうが白いと、気を取り直して。
 嫌みったらしい言葉しか吐き出さない、薄情そうな薄い唇も、閉じてりゃあ、形は良いんだが…。
 まぁ、顔の造りはあたしの方が男前だね。
 
―それにしても―

 こんなにじろじろ眺めても、起きる気配は微塵も無い。
 一層、深くなった寝息に、思わず、口角が吊り上がる。

「性悪」

 膝の上の顔を覗き込んで。 
 普段なら決して言えない言葉を、吐き連ねてみる。

「嫌味、冷血、人でなし」

 まぁ、人ではないが。
 やはり、閉じられた両の目は、開く気配は無い。
 いよいよ、楽しくなってくるじゃないか。

「横暴、乱暴、色気狂い」

 次々と、口から吐き出す、悪言。
 それでも、どんなに吐き連ねても、膝の上の綺麗な顔は、目を閉じたままで。
 
「………すき」

 ぽそり。
 思わず、本心まで吐き出していて。
 自分の声に、驚いた。
 
「っぅわあっ!?」

 全く、突然に。
 視界がひっくり返って、背中に衝撃が走る。
 思わず、軽く咳き込んだ。

「言ってくれるねぇ」

 降ってくる声に、瞬間的に、血の気が下がる。
 見上げた顔は、底意地悪そうな笑みを浮かべていて。
 
「お、起きてたのかいっ?」

 一体、いつから。
 
「あんなにじろじろ眺められて、寝れる奴がいるか」

 初めから寝ちゃあ、いなかったのか。
 この性悪は。
 今時狸だって、こんな下らない手は使わないよ。

「で?」

 にこり、向けられる綺麗な笑みが、怖い。
 思わず、後退ろうと、ついた手を、捕らえられる。
 押し倒され、畳に縫い付けられる。
 じわり、背中に嫌な汗が、浮く。

「何処の誰が性悪だって?」
「あ……」

 唇から、情けない声が漏れた。
 きっともう、あたしの目は、隠しきれない怯えた色をしてるんだ。
 仁吉さんの眼が、一等楽しそうに笑ってたから。





「い…っあぁ…っ」

 堪えようも無く、唇から漏れる声が、己の耳に届く己のそれが、気恥ずかしいったら無い。
 それでも、次から次へと与えられるきつい快楽に、意識はもう溺れそうで。
 呼吸が、巧くできない。
 身体を這う指が、舌が、あたしの思考の全部を持ってっちまうんだ。
 何しろこいつは兎に角性が悪いんだから。
 品の良いあたしなんかが、敵う訳が無いんだから
 だから、だから、縋り付いちまうのは仕様が無いんだ。
 求めちまうのは、仕様が無いんだ。
 
「仁吉さ…にき…」

 舌ですら、巧く回らない。
 突き上げてくる熱が、苦しくて。
 ぼろり、涙が零れた。

「あ…もっと…も…深…く」

 なのに、求めちまう。
 もっとたくさん、仁吉さんが欲しいと、求めちまう。

「色気狂い…」

 楽しげな笑みと共に耳に落とされる囁きに、かっと、頬が熱くなる。
 先に、あたしが吐いた言葉だ。
 その後に、吐いた言葉も、この人は聞いてたんだろうか。
 だとしたら、それはもう、今以上に気恥ずかしい事で。

「あ…っひぁ…」

 一層深く突き上げられ、揺すりあげられて。
 自身に絡む指先に、意地の悪い動きをするそれに、何度も何度も首を振る。
 身体を支配する熱が、早くと、解放を訴えてきて。
 もう、本当に気が狂っちまいそうだった。

「は…っくぁ…っあぁっ」

 涙が、散る。
 激しくなる律動に、ぎりと、仁吉さんの背中に回した手指が、爪を立てた。
 意識が、空白になる。

「―――っ」

 最奥に、吐き出された熱を感じた時。
 ようやっと、意地の悪い指から、解き放たれて。
 きつ過ぎる刺激に、快楽に、声すら出せずに、熱を吐く。
 荒い吐息のまま、倒れこめば、意識はそのまま、どこかに行っちまいそうだった。
 それを促すように、優しく髪なぞ梳いてくる手が、悔しいが心地良い。

「すき」

 ぽそり、耳に届いた二つの文字は、性悪なこの人が、先の言葉を真似たものなのか。
 それとも、この人の本心なのか。
 確かめたいと、強く思ったけれど。
 薄目を開けて、仁吉さんの顔を見上げるのが精一杯だった。
 それも、出来たのは一瞬で。
 意識はすぐに、闇に飲まれた。
 



 それでも、それでも。
 一瞬見た、ぼやけた視界の先。
 向けられた優しい微笑に、それは本心だと、あたしは思いたかった。