さぁっと、静かに、それは降り始めて。
 ポツリ、ポツリと、地面に作る、水玉模様。
 通りを歩く人々が、困惑の声をあげて、足早に行き交い始める。
 ひんやりと、頬を撫でる風に、一太郎はふと、顔をあげた。
 途端、肩に着せ掛けられるのは随分と厚手の羽織。

「仁吉、平気だったら…」
「なら、離れで休んでいてください」

 噛み合わない会話に、一太郎は軽く、ため息を一つ吐いて。
 大人しく、羽織を掛け直す。
 折角、床払いをしたばかりなの。だ
 下手にごねて、離れに戻されたくはなかった。

「あれ…?」
「おや」

 薬種問屋の目の前の通りを、見慣れた影が、駆けて行く。
 その手には、一本の傘。

「佐助ったら、あんなに慌てて、どこへ行くのかしら?」
「さあ?」

 雨が、降り出したというのに。
 手にした傘を、差す様子もないのに、仁吉が、怪訝そうに眉根を寄せる。
 追いかけて声を掛けようかと、腰を浮かした先。
 
「あ……」

 戻ってきた、佐助は、傘を差していた。
 と言うより、差しけかて、いた。

「兄さんを、迎えに行ってたの」

 荷運びの帰りだろうか。
 松之助が申し訳なさそうに、佐助と同じ傘に入っていた。
 狭い傘の下、肩を寄せ合う二人の間には、親しげな空気が、あって。
 時折、松之助が、はにかむような笑みを、見せた。
 薬種問屋の、目の前を通っているのに。
 一太郎たちには、声をかける様子もなく、そのまま、廻船問屋の方へと、行き過ぎていく。

「ふぅん…」

 一太郎が、何事か考えるように、小首を傾げる。
 ひどく、仲がよさげなその様に、仁吉の眉根も、不機嫌そうに寄せられた。  

「若だんな?」

 黙りこくった一太郎を、仁吉が怪訝そうに、覗き込む。
 不意に、顔を上げたと思ったら。
 珍しく不機嫌そうに睨みつけられ、わずか、片眉を引き上げる。

「何です」
「私が迎えに行きたかった」
「無理です。雨の中、若だんなを歩かせる訳にはいきません。熱が出ます咳が出ます寝込みます」

 一息に言い切れば、一層、不機嫌そうに睨みつけられて。

「もう知らない」
 
 ふいと、顔を背けたかと思ったら。
 そのまま、立ち上がって、離れの方へとひっこんでしまった。
 まぁ、離れで大人しくしていてくれるならと、そのまま放っておいたのだけれど。
 一太郎の機嫌は、そう簡単には、元に戻ってはくれなかった。



 さあさあと、微かに、雨音が響く。
 翳った空は、夏のきつい日差しすら、遮ってくれるから。
 涼しくて、心地が良い。
 その、はずなのだけれど。
 離れの部屋の空気は、重い。 
 
「若だんな…」

 溜息交じりに、呼びかけても。
 返ってくるのは、随分と冷たい視線だけ。
 別段、わがままを言って困らせる訳ではない。
 薬も、珍しく素直に飲み下すし、外に出たいとごねることもない。
 昼餉も、少ないなりに、いつも通りの量を食べた。
 ただ、仁吉が話しかけても、一向、返事を返さないだけ。

「佐助と松之助さんが、仲が良いのはご存じだったでしょう」
「………」

 窘めるように言っても、一太郎は不服そうに、湯呑に口をつけるだけ。
 珍しく、不機嫌そうな主に、生意気な憑喪神でさえ、屏風の中で戸惑うように伺い見るだけだ。

「そうだよ。そりゃあ、同じ場所で働いているんだもの。うん。佐助が兄さんに親切にしてくれてるのは嬉しいよ」

 「そのお陰で、兄さんも長崎屋に馴染むことができたんだもの」と、まるで自分に言い聞かせるように、呟く一太郎の言葉を、仁吉も、己に言い聞かせるように耳を傾
ける。

「分かってるけど、腹が立つんだよ」
 
 そう、まるで拗ねる様に呟いたきり。
 俯いた一太郎に、仁吉は困ったように、眉根を寄せた。
 結局、一太郎がまともに口をきいてくれたのは、それきりで。
 また、ふいと視線をそらしたと思ったら、早く出て行けとばかりに、膳を押しやられた。
 
―…佐助にきつく言っとかないとね―

 下げた膳を抱えて、廊下を渡りながら。
 仁吉は不機嫌そうに、唇を尖らせた。
 

 


「仁吉、ちょいと」

 夕餉の折。
 膳を片づけるついでを装って、佐助から手招かれる。
 一太郎は、相変わらず不機嫌そうな表情のまま、仁吉とも、佐助とも視線すら、合わせようとはしなかった。

「何だい?」

 ぱたんと、後ろ手に障子を閉めながら。
 上目越しで問いかけると、佐助が困惑したように、眉を顰めながら、仁吉の腕を、掴む。

「若だんなと何かあったのかい?随分機嫌が悪いようだが…」

 潜められた声音に、仁吉はひょいと、片眉を吊り上げて、佐助を睨み上げて。
 掴まれた腕を、振りどく。

「誰の所為だと思ってんだい」
「は?あたしの所為だとでも言いたいのか?」

 心外そうに眉根を寄せるのには答えずに。
 仁吉はそのまま、佐助に膳を押しつけて、閉めたばかりの障子の向こうに、引っ込んでしまった。

「何なんだ?一体…」

 一人、廊下に取り残されて。 
 小首を傾げ、呟いた耳に、聞きなれた足音が、届く。
 顔をあげた、その視線の先。
 廊下の暗がりから、松之助が、顔をのぞかせた。

「あ、佐助さん」

 佐助の姿を見止めると、ふわり、笑みを浮かべて、手を振るから。 
 佐助の口元にも、つられ、笑みが浮かぶ。

「下膳ならあたしが…」

 一太郎に、用があるのだろうに。
 佐助から、膳を受け取ろうとするのを、苦笑交じりで制す。
 
「若だんなの機嫌が随分傾いてるみたいなんです。…松之助さんから、理由を聞いてはくれませんか」

 自分たちとは、一言も口をきいてくれぬのだと言うと、松之助は、驚いたように目を見開いた後。
 困ったように、眉尻を下げる。

「それは…一体何があったんでしょう?」
「さぁ?仁吉はあたしが原因だというのですが…」
「佐助さんが?」

 それはないだろうと、松之助は思う。
 何しろ、今日はずっと、佐助は廻船問屋の方で、自分と一緒に、働いていたのだから。

「わかりました。あたしから訊いてみますね」
   
 困ったように笑いながら、頷く松之助に、佐助もほっと、安堵したような笑みを、返した。

「若だんな?入りますよ」
「兄さんっ?」

 松之助が、障子を開けたとたん、返ってくるのは嬉しげな声音。
 気を使った仁吉が、部屋を辞すのとは入れ違いに。
 手を引かんばかりの一太郎に、招き入れられ、松之助がはにかんだように笑いながら、部屋のうちへと、消える。
 それを、背中で聞きながら。
 これで、一太郎の機嫌も戻るだろうと、佐助は小さく、口元に笑みを結んだ。



「一太郎?」
「うん?」

 松之助に、仁吉が淹れておいてくれた茶を勧めながら。 
 一太郎はにこにこと機嫌良く小首を傾げる。
 その様子は、とても、佐助が言っていたようには、見えないけれど。
 佐助が、嘘を吐くとも、思えないから。

「今日、何か嫌なことでもあったのかい?」

 心配そうに眉根を寄せて。
 問いかければ、一太郎の目が、不思議そうにきょとんと、見開かれた後。
 何か、思い出すことがあったのか、さっと、その目尻に朱がさした。

「べ、別に何も…」

 真逆、佐助と仲が良すぎるから妬きましたなんて、子供じみたことは言える訳が無い。
 何より、自分がもっと、丈夫な体であったなら。
 雨の中、松之助を迎えに行くことだって、できるのにと思うと、悔しくて。 
 だから、つい、二人に辛い態度をとってしまったのだけれど。
 そんなことは絶対に、松之助には、知られたくないと、小さな自尊心が、頭をもたげる。

「そう、なのかい?なら良いのだけれど」

 少し、困ったように笑いながら。
 それでも、深く尋ねるようなことはせずに、ただ、微笑う松之助に、一太郎はほっと、内心胸をなでおろす。

「でも、あまり仁吉さんや、佐助さんを困らせては、いけないよ」
「うん…」

 珍しく、松之助から窘められてしまって。
 一太郎は、気まずそうに、頷いた。

―何も、兄さんに言いつけなくったって…―

 自分が、悪いとは思うけれど。
 それでも、と、つい、思ってしまう。

「若だんな、そろそろ風呂に…」

 不意に、障子が開いたと思ったら。 
 告げに来た仁吉を、一太郎は、つい、反射的に睨みつけてしまう。
 
「兄さんに言うことないじゃないか。…仁吉の馬鹿っ」

 背中の松之助には聞こえぬように、小声で詰ると、そのまま何か言いかけた仁吉は無視して。 
 くるり、背後を振り返る。
 その顔に、浮かべるのは、いっそ無邪気な笑い顔。

「兄さん、一緒に入ろう」

 はにかむように、微笑って頷く松之助の手を引いて。
 まだ、部屋の入口に立ったままの仁吉の傍を、すり抜けて、風呂へと向かった。

「あたしが言ったんじゃないんです、よ…」

 遠ざかる主の背中に、呟く声は、力ない。

「佐助…」
 
 恨みがましく、相方の名前を呟く。
 その両の手は、無意識に、きつく握りこまれていた。





「佐助」
「うん?」

 一太郎の寝間を整えてから、手代部屋に戻れば、佐助はもう、寝間の支度をしていて。
 仁吉の分も、布団を敷いてくれているのは、ありがたいと、思うけれど。
 それだけで、全てを赦せるほど、広い心は、生憎持ち合わせていなかった。

「お前のせいで若だんなに怒られちまったじゃないか」
「は?」

 不機嫌そうに唇をと尖らせながら。
 詰るように言えば、顔をあげた佐助が、怪訝そうに眉根を寄せる。
 何のことだと、小首を傾げるのには答えずに。
 ぎりと、きつく、その手首を掴みあげる。

「痛っ…!何…っ」
「お前はちょおっとばかし、松之助さんと親しくしすぎるんだよ」
「あぁ?」

 握りこまれた関節が痛むのか、応える声に、棘が滲む。
 苛立ちに任せて、睨みつけてくるのに、口角を吊り上げて、応えてやれば、佐助が一層、身構えるように眉根を寄せた。

「何だよ」
「お前のせいで怒られちまったって言ったろう?…責任、とってくれても良いんじゃあないかい?」
「……っ」

 後ろ半分の言葉は、耳元、囁くように落とせば、掠める吐息に、びくり、佐助が身を竦ませるのが、気配でわかる。
 その反応に、少し、気を良くして。 
 仁吉は力任せに、佐助の肩口を押して、布団の上に倒す。

「ちょ…っ仁吉っ!」

 いい加減にしろと、詰る声は無視して。
 うるさい口を塞ぐ様に深く、口づければ、くぐもった声が、二人の間から洩れた。

「んぅ…っやめ…っ」

 ぎりと、後ろ髪を引き掴まれて、僅かに、痛みに顔を顰める。
 睨みつけてくる眼を、軽く無視して、お返しとばかりに、耳介にきつく歯を立てれば、びくり、佐助の肩が大きく揺れた。

「痛ぅ…っ」

 きつく、閉じられた目尻に、涙が滲む。
 少し、赤くなってしまった耳介に、打って変わったような、ひどく優しい仕草で、舌を這わせる。
 仁吉の後ろ髪を引き掴んでいた手指が、微かに震えて。
 きゅっと、着物の肩を、掴んだ。

「……っ」

 そのまま、耳孔に舌を差し込めば、熱の籠った吐息が、唇を震わせる。
 近すぎる距離で、吐き出されるそれに、仁吉はぞくり、背筋がざわつくのを感じた。

「佐助」
「………」

 視線を絡ませれば、無言で、見上げてくる眼は、微かに、熱にうるんでいて。
 とくり、胸が脈打つ。
 自然、唇を重ねれば、どちらともなく、舌を絡め合う。
 柔らかに濡れた感触に、また、背筋がざわついた。

「…お前は強引すぎるんだよ」
「…今日のはお前が悪い」

 唇を離した途端、ぽつり、呟かれた言葉に、苦笑交じりに返せば、また、何か不満そうに言い掛けるから。
 再び、唇を深く重ねて、言葉を奪う。
 なるほど確かに、強引かもしれないと、内心、一人笑った。

「ふ…ぅ…っ」

 着物の合わせから、指をすべり込ませて。
 首筋から鎖骨、胸へと、唇でなぞる。
 くっきりと浮き上がる鎖骨に、わずかに歯を立てれば、佐助が反射的に息を詰める気配が、空気を揺らす。
 
「く…ぅ…っ」

 胸の突起に、指を這わせながら。
 耳介を、舌でなぞれば、敏感な個所への刺激に、佐助が唇を噛んで、逃れるように顔を反らす。    
 声を、漏らさぬようにと、きつくきつく、唇を噛むから。
 滲む赤の痛々しさに、仁吉はそっと、眉根を寄せて。
 なだめるように、その濡れた唇に、舌を這わす。
 
「…噛むなと、いつも言ってるじゃないか」

 舌先に感じる、僅かな血の味に、どこか、甘く感じるそれに、とくり、身体の奥底、熱が宿る。
 窘めるように言えば、佐助はふいと、視線を逸らしてしまった。
 その、目尻は、朱に染まっていて。
 仁吉は小さく、笑みを零すと、宥める様に、その眼尻に口づけを落とした。

「佐助…」
 
 耳元、囁き落とせば、耳朶を掠める吐息に、佐助が小さく、身体を強張らせる。
 脇腹を緩くたどる指先に、きゅっと、仁吉の着物を掴む指先に、力が籠った。

「―――っ」

 耳朶を、舌先で嬲って。
 軽く、歯を立てれば、びくり、佐助の身体が、大きく震える。
 帯をほどこうとすれば、軽く、抗うように手を添えてくるから。
 反対に捕らえた手に、手首から掌、指先へと、見せつけるように舌を這わせれば、視線の先、佐助が頬まで、朱に染めて。
 
「放、せ…っ」 

 熱に掠れた声で、詰りながら。
 手を引こうとするのに、わざと、節くれだった指先に、歯を立てる。 
 途端、びくり、手の中にとらえた、佐助のそれが、震えた。
 今度はもう、掴んでいた手を、放しても、抗うそぶりは見せない。
 帯を解く、その衣擦れの音すら、羞恥心を煽るのか。
 顔を背けたまま、敷き布をきつく掴む様に、僅かに、苦笑して。
 もう一度そっと、耳朶に口づけを落とす。

「―――ぁっ」

 もう、熱を宿し始めた自身に指を這わせれば、大きく、佐助の肩が、跳ねる。
 見開かれた眼から、ぼろり、溜まっていた涙が、伝い落ちた。

「にき、ち…っ」

 悦楽に掠れた声で、名前を呼ばれて。
 ぞくり、背筋がざわつく。
 思わず、息を詰めていた。

「佐助…」

 互いの舌を、絡ませながら。
 少しきつめの指の輪で、根元から扱き上げて。
 敏感な窪みを、軽く擦れば、直接的な刺激に、佐助の腰が、求める様に、浮く。
 
「ん…ふぅ…」

 口腔内に、佐助のくぐもった嬌声が、消える。
 きつく、眉根を寄せて。吐息を震わせて。 
 快楽を堪える様はひどく扇情的で、知らず、息を詰める。

「ぁく…っぅ…っ」

 先走りに濡れた先端、鈴口を親指の腹で拡げるように嬲れば、佐助が小さく、仁吉の肩に、爪を立てた。
 這い上がる快楽を、否定するように。
 なんども、無意味に首を左右に打ち振る。
 上気した肌を、汗が流れた。

「足、開いて」
「嫌、だっ……あ…っ?」

 膝頭を、閉じ合わされるより早く。
 強引に身体を割り込ませて足を開かせば、羞恥に、佐助が顔を背けた。

「悦いくせに…」

 揶揄する様に笑えば、反射的にきつく睨みつけてくるから。
 小さく、笑みをこぼして、詫びるように、その額に、軽く、口づけを落とす。

「…っぅ…ん…っ」

 そっと、後孔を、指の腹で円を描くように、なぞりあげれば、先の刺激を知っているから。
 佐助が、無意識だろう、求めるように、腰を浮かせる。
 その様に、知らず、口元に浮かぶのは笑み。 
 こみ上げる愛しさに、そのまま、佐助の、きつく閉じられたまぶたに、口づけを落として。
 佐助自身の、先走りに濡れた指先を、差し込んだ。

「ぁ…は…ぅ…」

 きつく、眉根を寄せて、異物感をやり過ごす、その頬に、額に、唇に。
 啄ばむ様に、口づけを落とす。
 きつく、締め付けてくる内壁が、馴染んだ頃を見計らって。
 軽く、指を動かせば、びくり佐助が息を詰める。
 敏感な一点を擦りあげれば、力の籠った爪先が、敷き布を蹴った。

「だから唇を噛むんじゃないってば…」
 
 また、きつく唇をかみしめるから。
 再び、傷つき、滲む赤を、仁吉は宥める様に、舐め取る。

「だ…って、っう…」

 そのまま、舌を耳介に這わせて。
 舌先で、耳孔を侵す。
 
「ひ…っくぅ…っ駄目、だ…っ」

 ざらついた舌先で、敏感な耳孔を侵したまま。
 空いた手は、再び、佐助自身に、絡みつく。
 後孔を責める指を増やせば、一度に与えられる、きつすぎる快楽に、佐助の目が、見開かれた。

「んぁ…っぁ―――っ」

 ぎりと、きつく、仁吉の肩に、佐助の爪が、食い込む。
 指に絡みつく内壁が、求める様に、収斂を繰り返した。

「佐助…」
「仁、吉…仁吉…っ」

 掠れた声で、縋るように名前を呼ばれて。 
 見上げてくるのは、情欲に濡れた瞳。
 
「欲しい?」

 ばらばらに、含ませた手指を動かせば、与えられる刺激に、佐助の背が、反る。
 ぎゅっと、仁吉の首筋に縋りつきながら。
 小さく、本当に小さく、頷く。
 その様に、ゆるく、笑みをこぼして。
 そっと、己自身を、後孔に宛がう。
 そのまま、一息に突き入れれば、佐助の目が、大きく見開かれて。 
 ぼろり、伝う涙が、痛々しい。

「痛い?」
「あ、たりまえ、だ…」

 切れ切れの声は、苦しげで。
 啄ばむような口づけを落としながら、その耳元、詫びる。

「馴染むまで待つから」
「ん……」

 こくんと、頷く佐助に、何度も何度も、触れるだけの、口づけを落とす。
 
「仁吉…」
 
 熱に掠れた声で、名前を呼ばれて。
 そこに、ほんの少し、強請る様な色が、滲んでいるのには気づいていたけれど。
 態と無視して、向けるのは優しげな笑み。

「まだ、痛い?」
「も、いい…から…」

 羞恥に、頬を染めながら。
 視線をそらしたまま、告げてくるのに、にやり、口角を吊り上げる。
  
「なら、自分から求めてみなよ」
「…な、に……?」

 唐突な言葉に、佐助の、焦点の合わぬ瞳が、怪訝に揺れる。
 息を乱す、その首筋に口づけを落として。
 口元の笑みを、一層、深めた。

「続き、して下さいって言ってみな?…あたしは今日散々な目に遇ったんだ。…それぐらい良いだろう?」
「何…っ、っぅ…」

 反論しようと、口を開きかけるのを阻む様に。
 ゆるく、腰を動かして。
 敏感な一点を突きあげれば、反射的に、佐助は息を詰める。

「して欲しいんだろう?」

 快楽の行為に慣らされた身体は、先の悦楽を知っているから。
 何度も、切なげな収斂を繰り返す内壁を、焦らすように、嬲る。
 囁き落とせば、佐助はぎゅっと、きつく目を閉じて。
 唇を噛んで、顔を反らしてしまう。
 
「意地っ張り…」

 言いながら、軽く、耳介の縁に歯を立てて。 
 ぎりぎりまで、引き抜けば、内壁は逃さぬように、きつく締めつけてくる。

「ねだって、言ってみなよ」

 揶揄するように笑いながら。
 耳元、囁き落とせば、佐助が僅かに、息を詰めて。
 
「い……っ」

 不意に、後ろ髪を強く引き掴まれて、痛みに、呻く。
 ぶちりと、鈍い音が聞こえたから、何本かは、髪が抜けたのかもしれない。
 何をするだと、睨みつければ、睨みあげてくる佐助と、視線がぶつかった。

「さっさと、しろ…っ」

 言葉だけは、強いくせに。
 声は、熱に掠れていて、まるで囁くような、響きを持っていて。
 睨み上げてくる瞳は、情欲に濡れていた。

「―――っ」

 熱の籠った吐息も、嬌羞に上気した肌も。
 そのすべてが、ひどく扇情的で、愛しくて。

「…はい…」

 思わず、随分と素直に、頷いていた。         

「ひ―――っ」

 きつく、突きあげれば、佐助の爪が、肩に食い込む。
 その、小さな痛みは、佐助の感じる快楽を、そのまま、仁吉に伝えていて。
 愛しい存在をかき抱いて、ただ、互いの快楽を、追う。

「に、きち…っ…」
 
 快楽で回らぬ舌で、名前を呼ばれて。
 意識が、悦楽に飲み込まれるのを、感じた。



 
「いや、だ…も…っ」
 
 零れ出るのは、哀願じみた声音。
 あれから、何度精を吐いたか分からない程、熱を交わして。

「…まだ、だよ」

 熱に掠れた声音で囁けば、佐助が何度も、首を打ち振る。
 そこにはもう、あの強い光はなくて。 
 悦楽に溺れた眼が、縋る様に、仁吉を見上げてた。
 その、内腿を、どちらのものとも知れぬ、白濁とした液が、伝い汚す。
 少し、褐色を帯びた肌に、それはひどく淫猥で。
 思わず、息を詰める。

「佐助…」

 ゆるく、腰を使う度、繋がった個所から、濡れた音が上がる。 
 無音の部屋響くそれは、仁吉の熱を、煽った。
 囁きながら、そっと、耳朶に舌を這わせる。
 耳朶から耳孔、耳介へと、なぞりあげて。
 軽く、歯を立てれば、佐助が逃れるように、顔を反らす。

「や、だ、ぁ…ぁ…」

 意味を為さぬ声が、濡れた唇から、零れ落ちる。
 腕の中の気配が、不意に揺らいで。      
 舌先に触れるのは、柔らかな毛並み。
 見る間に、人の耳から、獣のそれへと、変化して。
 本性が出るほどに、気を乱したその様に、ゆるく、笑みが零れる。
 
「佐助…」

 ぐっと、一層深く、自身を推し進めて。
 尻尾の付け根を、円の描くように指先でなぞれば、快楽に、佐助の背が、反る。
 滑らかな毛並みを、愉しむ様に、舌を這わせて。
 ぴくり、跳ねる犬神の耳の、その尖った先端に。
 少し、きつめに歯を立てる。

「い…っぁ―――っ」

 きつい刺激に、内壁が何度も収斂を繰り返して。
 何度目かわからぬ白濁とした熱が、佐助の腹を汚す。
 
「さ、すけ…っ」

 仁吉も、何度目かわからぬ精を、吐き出していた。

 




 翌朝。
 身支度を整えながら、仁吉は目が覚めてから何度目か分からぬ、謝罪の言葉を、口にする。

「だから、悪かったって」

 苦笑交じりに詫びても、睨みつけてくることすら、無い。
 徹底した存在の無視に、仁吉は苦い笑いを、零す。

「お前が煽るから」
「知らんっ」

 変化が解けるほど、気を乱したのがよほど自尊心を傷つけたのか。
 それだけ言うと、ぴしゃり、仁吉の鼻先で障子を閉じて、出て行ってしまった。

「困った奴だねぇ」

 呟く、仁吉の口元はけれど、昨夜―と言っても、今日の明け方まで、熱を交わしていたのだけれど―のことを思い出したのか。
 笑みが浮かんでいた。




「佐助さん、大丈夫ですか?」

 今日は、廻船問屋の方も、落ち着いているから。
 昼餉は皆で食べようと、離れに松之助も、誘ったのだけれど。 
 その視線は絶えず、隣に座った佐助を、心配そうに見上げていて。
 正直、一太郎は不服なことこの上ない。

「大丈夫ですよ」
 
 笑う、その顔は力なくて。
 どこか、やつれているようにも、見える。 
 一層、松之助の眉根が、心配そうに寄せられた。

「唇、痛くありませんか?」

 切れた唇では、飯を食うのも痛むのではと、松之助の指先が、気遣うように、佐助の唇をなぞる。
 途端、一太郎の、茶碗を持つ手に、力が籠った。

「朝から、なんだか怠るそうですし…お昼の仕事は代わりましょうか?」
「いえ…本当に大丈夫ですから」

 力なく、笑いながら。
 佐助の手が、安心させるように、松之助の頭を、撫でる。
 その、笑う眼の下には、ひどい隈が作られていて。
 
「………仁吉」

 にいこりと、目の前にすわる一太郎に、笑みを向けられて。
 仁吉はひょいと、片眉を引き上げた。

「しばらく、母屋の手代部屋で過ごす?」

 告げられた言葉に、箸を持つ手が、止まる。
 佐助はそうしろとばかりに睨みつけてきて。
 松之助だけが、不思議そうに小首を傾げていた。