闇に浮かぶ深緑。
 濃緑のまだ固い蕾を、重なり合った葉の狭間に見つけ、屏風のぞきは忌々しげに眉根を寄せた。
 今はまだ、頬を撫でる夜風も、冷たい。
 けれど、あの蕾の緑が徐々に薄くなり、綻んで赤や青の花を咲かせたら、己のもっとも嫌いな季節を運んで来る。

―梅雨なんて無くなれば良いのに―

 まるで子供の祈り事の様だと、己でも思いながら、それでもやはり、好きにはなれない花、紫陽花から視線を逸らし、随分と通い慣れてしまった部屋の戸に、手を掛ける。

―あれ…?―

 のぞきこんだ部屋に、主の姿は無い。
 元々、あまり己のことに頓着しない仁吉が、妖の目が効くのを良いことに、明かりをつけないことが多い部屋は、主の不在も手伝ってか、ひっそりと暗い。
 無音の部屋は、まるでどこか見知らぬ部屋のよう。
 寝間の支度はしてあるから、風呂にでも行っているのだろう。
 勝って知ったるという風に、慣れた手つきで行灯に火を入れ、ごろり、布団に横になる。
 手持ち無沙汰に左右の足をぶらつかせながら、ふと、視線が布団の横、畳に出来た小さな傷に止まる。
 何の傷だろうかと、指を這わせて、はたと気付く。

―これ…は…―

 情事の際、快楽に堪え切れずに、掻いた傷。
 丁度這わした手指の先、己の爪にぴたりと嵌るその傷に、己が晒した痴態を思い出し、かっと目元が熱くなる。
 慌てて指を引っ込め、その淫猥な傷から、視線を逸らす。
 己の記憶から逃げるように、きつく布団に潜り込めば、鼻腔を満たす、仁吉の匂い。
 それはとても、熱を取ってくれるものではなくて。
 脳裏に思い出される記憶が、勝手に映し出す情景を振り払うように、きつくきつく、目を閉じる。
 きゅっと、布団を握り締める手指に、力が篭る。
 己を落ち着かせるように繰り返す深い呼吸は、いつの間にか、睡魔を呼び込んで。

―少しだけ…―

 仁吉が帰ってくるまでに起きれば良いと、自分自身に言い訳して、屏風のぞきはゆっくりと、その意識を闇へと委ねた―。




「…あぁ…っ」

 熱と、甘さを孕んだ己の声に、目が覚めた。
 途端、背筋を駆け抜ける痛みと快楽に、思わず、目を見開く。
 
「やっと起きたかい?」

 揶揄するような声音に視線を上げれば、ひどく楽しげに口角を吊り上げる仁吉と、目が合う。

「に…仁吉さ…―――っ?」

 慌てて身を起こそうとして、己の異変に、気付く。
 上肢が動かない。
 混乱してもがけば、手首に感じる、微かな痛み。
 後ろ手に縛られているのだと気付き、反射的に睨みつければ、底意地の悪い笑みを返され、思わず、怯む。

「な…何すんのさっ」
「人様の布団で勝手に寝扱けるような奴には仕置きが必要だろう?」
 
 それでも精一杯の虚勢を張って詰れば、今度は忍び笑いと共に返された言葉に、屏風のぞきの目にはもう、怯えの色が隠しきれずに、浮かぶ。

「い…っ」

 不意に伸びてきた指に、胸の突起をきつく捻られ、見開いた目尻、涙が伝う。
 それでも、いつの間にかすっかり開けられ、熱を帯びた下肢が疼くのを、止められなくて。

「まぁ尤も…手酷く扱われるのが好みなお前さんにとっちゃあ、罰になるか分かんないがね」
「違…っひぁ…ぅ…」

 揶揄を含んだ声音に、否定しようとした言葉が、喘ぎに消える。
 散々いたぶられた突起に、ざらりと舌を這わされ、また、きつく歯を立てられて、びくり、身体が跳ねた。
 まだ乾ききっていない、仁吉の髪が、肌を這う冷たい感触に、ぞくりと粟立つ。
 己の身体の下になった両の手が、鈍い痛みを訴えたが、それすら、かまう余裕が無いほど、快楽に飲まれていく。
 与えられる快楽に、求めるように腰が揺れるのを止められなくて。
 それを知ってか、足の付け根の内側、柔い皮膚を焦らすように這う仁吉の指が、もどかしい。

「や…ぅあ…っ」

 ぎゅっと、己の背の下、握りこんだ指が、掌に爪を立てる。
 一番触れて欲しい所に、仁吉は決して触れてはくれなくて。
 己でも、触れることが出来なくて。

「仁吉さ…」
「ん?」

 縋る様に名を呼べば、余裕の笑みを口元に刷いた顔が、見下ろしてくる。

「ふ…ぁっ」

 また、焦らすように内腿を撫で上げられ、甘さを帯びた吐息が、唇から零れる。

「何?」
「や…っも…触…って…」

 羞恥と屈辱に、視界が滲む。
 それでも、這い上がってくる快楽には抗えなくて。

「仕方ないねぇ…堪え性が無いったら…」
「ひ…っ」

 言いながら、自身を強く握りこまれ、寸の間、息が詰まる。
 少しきつめの指の輪で根元から上下に扱かれ、親指の腹で拡げる様に、先走りで濡れた鈴口を擦り上げられて、思わず、求めるように腰が浮く。
 求めていた刺激を与えられ、意識が、快楽に飲まれる。

「痛ぅ…っ」

 唐突に自身に走った痛みに、目を見開く。
 薄笑いを浮かべた仁吉と目が合い、訳が分からず、怯えに身が竦む。

「あんまりお前さんの言うままにしてちゃあ、罰にはならないからねぇ」
「な…っ」

 言われ、視線を下げれば、自身の根元、達することが出来ぬように、いつの間にか解かれたのか、屏風のぞきの髪紐できつく縛られていて。

「やめ…っひぅ…っ」

 鈴口に爪を立てられ、その強すぎる刺激に、屏風のぞきの見開かれた瞳から、ぼろぼろと涙が伝う。
 そのまま指を後孔に滑らされ、つぷり、入ってきた異物感に、寸の間、息を詰める。

「……はっ…あぁ…っ」

 強引に増やされた指に、痛みが走る。
 けれど、かき乱すように中を責められれば、生まれるのは快楽で。

「嫌…だ…ぁ…」

 快楽を与えられれば与えられるほど、熱を帯びれば帯びるほど、髪紐はきつく自身に喰い込み、屏風のぞきを苛んだ。
 また、眦を涙が伝う。
 己で解くことの出来ぬもどかしさに、自然、腰が揺れる。

「入れるよ」

 耳元で囁かれ、そのまま仁吉の舌に耳孔を犯され、ぞくりと、背筋に快楽が流れる。

「や…っ待…っ」

 悲鳴にも似た哀願の色を浮かばせた制止の言葉はけれど、聞き入れられず、指の代わりに押し入ってきた仁吉自身による圧迫に、かき消された。
 
「あぁ…ん…くぅ…っ」

 苦しげな呼吸音が、喉から漏れる。
 背が、痛々しいほどに反り、きつく力の入った爪先が、敷き布を蹴る。

「ひぁ…っあ…も…頼む…から…」

 戒めを解いてくれと哀願しても、返ってくるのは忍び笑い。

「言ったろう?罰だって」
「嫌…だ…っひぅ…あっ」

 まだ馴染んでもいないのに激しく突き上げられ、唇から漏れるのは悲鳴。
 己の身体の下、両の手が、軋む様に痛む。

「あぁ…ぅ…」

 動きはひどく乱暴なはずなのに、それは確実に、ある一点を突いては、屏風のぞきを攻め立てた。
 痛みと快楽の狭間で、意識が宙に浮く。
 じわり、白濁とした液が、先端に滲む。

「あ…もぅ…ぃ…きた…い」

 快楽に意識が、蝕まれる。
 追い詰められ、虚ろな視線が、中を彷徨う。

「いきたい?」

 脳髄に直接響くような仁吉の囁きに、こくこくと頷く。
 もう、意識を保つのも、自信が無い。

「ひぁ…あぁぁっ」

 仁吉の指が紐を解いたのと、一層激しく突き上げられたのは同時。
 自身を強く擦り上げられ、そのあまりにも強い快楽に、散々追い詰められていた屏風のぞきは、あっけなく精を放った。

「は…ぁ…ぅ…」

 己の最奥、放たれた仁吉の熱を感じながら、屏風のぞきはその最後の意識を手放した―。




「ん…」

 ぼんやりとした視界。
 情事の後の、ひどく気怠い身体を起こせば、すっと差し出される白湯。
 受け取ろうと伸ばした、その白く細い手首に残る、赤い跡が目に入り、一瞬、動きが止まる。

「いつもより良かったみたいだねぇ?」
「―――っ」

 それに気付いたか、形のいい唇に揶揄するような笑みを刷いて覗き込んでくる仁吉。
 慌てて視線を逸らせば、その動きに合わせて、降りかかってくる己の髪がうっとうしい。
 髪を纏めようと、一つに束ねたところで、はたと気付く。

「これかい?」

 差し出された己の髪紐は、屏風のぞき自身の精で汚れていて。
 思い出すのは、先程の熱。
 思わず、目元が熱くなる。

「つ…使うかいそんなのっ…あんたのを貸しとくれっ」
「はいはい」

 くつくつと、喉の奥で押し殺した笑いが、耳に煩い。
 仁吉が差し出してくれたそれをひったくるようにして、髪を結い上げると、ばさりとそのまま布団に倒れこむ。
 そのまま背を向け、布団にもぐりこめば、背中でまた、忍び笑い。

「いい加減煩いよっ」

 思わず、振り返って怒鳴れば、心底楽しげに笑う仁吉と、目が合う。

「けどこういうのも良いかもねぇ。…畳に傷をつけられなくて済むし」

 毎回毎回畳を傷つけられちゃあ適わないと続く言葉に、一瞬、言葉を失う。
 
「し…知って…?」
「当たり前だろう?己の部屋なんだから」
「―――…っ」

 きっと、今の己の顔は、赤い。
 にやりと、さも面白そうに笑う仁吉を見れば分かる。

―全く…―

 なんでこんな、性根の悪い奴に惚れてしまったのか。
 己自身に呆れ、溜息が出る。
 それでも、抱き込んでくる腕を解く気にはなれなくて。
 そんな自分に、また溜息。

「でもまぁ…」
―惚れてるんだから仕方ないね―

 内心で呟き、浮かぶのは微笑。

「何か言ったかい?」
「いや…何も…」

 振り仰ぐように見上げれば、絡むのは視線。
 自然、重なる唇。
 絡めた舌で、交わす体温。

―この瞬間がずっと続けばいい―

 まるで子供の祈り事の様だと、己でも思いながら、それでもやはり、屏風のぞきは願わずに入られなかった―。