からころと、口の中で音を立てるのは飴玉。
 何気なく、見上げた空は、黄金色から茜色に変わり始めていて。
 真昼の強い日差しの下では、直ぐにへたってしまう己にはちょうど良いと、一太郎は口元を綻ばせた。
 川を渡ってきた、夕暮れ時の、涼やかな風が、頬を撫でる。 

「若だんなぁ、そろそろ帰らないと佐助さんたちに叱られますよぅ」

 袖口から、ひょこりと顔を覗かせる鳴家の、小さな頭を一撫でして、思わず、漏れたのは苦笑。
 日が翳り始め、暑さが和らぎ始めた頃、出かけた散歩だけれど、鳴家の言うとおり、そろそろ帰らないと拙い。

「そうだねぇ…」
 
 さっき買った花梨等を差し出しながら、頷く。
 けれど足はまだ、家路には向かなくて。
 もう少し、歩いていたいと思う。

「若だんな…?」

 不意に、背中から掛けられた声に振り返れば、驚いたように目を見開く松之助が立っていた。

「兄さん!」

 呼ぶ声に、喜色が滲む。
 知らず、駆け寄っていた。
 
「どうしたんですか?こんな時間まで外にいるなんて…」
「日が翳ってから散歩に出たんだよ。兄さんは?荷運び?」

 喋る度、口の中でからころと、音を立てる飴玉。 
 頷く松之助に、そっと、背を押される。
 触れられた箇所が、温かい。

「さ、帰りましょう」
「仕事は?」
「終わりましたから」

 見上げれば、降ってくるのは、ひどく優しげな微笑。
 思わず、見上げたまま、固まってしまう。
 がさりと、手にした袋の中の飴玉が、音を立てた。

「若だんな?」

 怪訝そうに覗き込まれ、はたと我に返る。
 見惚れていたと言えば、松之助はどんな顔をするだろう。
 それを想像して、思わず、漏れた一人笑い。
 松之助が一層、怪訝そうに眉根を寄せた。
 見上げ、向けるのは笑い顔。
 先程よりも少し、小さくなった飴玉が、また、音を立てる。

「うん、一緒に帰ろう」

 言いながら、指を絡ませれば、松之助は一瞬、戸惑うような表情を見せたけれど、すぐに、握り返してくれて。
 嬉しくなって笑えば、松之助も、照れたように笑った。  
 随分と転がしやすくなった飴玉を、舌で玩びながらふと、手にした袋を、思い出す。
 繋いだ手を一度解いて、覗き込めば、詰まっているのは赤や黄の、色とりどりの飴玉。
 その一つを、摘むと、一太郎は不意に、松之助の唇に押し当てた。
  
「はい」
 差し出されたそれに、唐突だったのだろう、困ったように見つめ返してきた松之助は、それでも、一太郎が手を引っ込めないので、薄く、唇を開く。
 赤い飴玉が、かつんと、歯列に当たる。
 それはすぐに、松之助の口の中へ、ころりと落ちた。
 一太郎の指先に、僅か、松之助の舌が触れる。
 柔らかく濡れた感触に、ぞくりと、震えが走った。
 
「美味しいでしょ?」

 悪戯を仕掛けた子供の笑みが、一太郎の口の端に、乗る。
 松之助は困ったように笑いながら、それでも頷いた。
 からころと、二つの音が、小さく響く。
 のんびりとした物売りの声が、行過ぎる。
 空はもう、茜色に染まりきっていて。
 長く伸びる、二人の影が、歩くたび、揺れる。
 涼風に、柳の葉が、揺れた。

「兄さん」

 その木の陰、立ち止まり強く、松之助の手を、引く。
 不意のそれに、よろめいた松之助の首を、引き寄せる。

「飴、交換しよう?」

 最後の言葉を言い終える頃にはもう、唇を重ねていた。
 驚いたのか、何か言いかける唇の、その薄く開いた隙間から舌を差込み、己の中の、小さな飴玉を、押し込む。
 舌先が捉える、濡れた甘み。

「んぅ…」

 薄く開いた視界に、松之助が僅かに、眉を寄せるのが見えた。
 肩を押し返されるより早く、舌先で口腔内を弄り、まだ大きな、飴玉を攫う。
 それはひどく、甘く感じられて。

「は…っ」

 ようやっと、唇を離せば、怒った様にこちらを見つめる松之助。
 その目元が、朱に染まっているのは、夕日の所為ばかりじゃないのは、巧く言葉が出てこない様子からも分かる。
 にこりと、向けるのは笑み。
 からころと、大きな飴玉が、口の中で音を立てた。

「わ…若だんなっ」

 誰かに見られたらとか、此処は往来でとか、言いたいことは山の様にあるはずなのに。
 結局、詰るように名前を呼ぶことしか出来なかった松之助に、一太郎は声を立てて笑った。

「全く…帰りますよっ」
「うん」

 諦めたように、溜息を一つ吐いて、再び歩き出した松之助のその手に、もう一度、指を絡ませる。
 今度は、戸惑いもなく、絡め返してくれて。
 嬉しくてまた、笑みが零れる。
 長く伸びた影を踏みながら、二人、辿る家路。
 からころと、響くのは同じ音。
 沈み行く夕日と、同じ色の飴玉は、一太郎の口の中、常より甘く、解けて行った―。