息が苦しい。
 酸素が足りない眩暈がする。
 もう…。
 そんな感覚が、一瞬、頭を過ぎりかけて、何度も何度も、首を打ち振る。
 
「三上?」

 不意に背中に掛かった声に、振り仰げば、渋沢が立っていて。
 その色素の薄い瞳と、視線が絡み、何故だか舌打ちしたい衝動に駆られて、視線を逸らす。

「先行け」

 ぐっと、ユニフォームの胸元を引き寄せて、口元を覆う。
 土と汗の匂いが、鼻腔を掠める。
 巧く俯きながら、顎をしゃくった。 

「三上」

 肩に、手が掛かる。
 三上のそれより、ずっと大きな手。
 天才と、褒め賞される者の、手。

「触るな」

 跳ね除ける。
 きつくきつく、睨みつける。
 
「不調なの、気にしてるのか?」

 かっと、頬が熱くなった。
 心配そうに眉根を寄せる様に、泣きたい様な心地にさせられた。
 どんなに努力しようとも、どんなに年月を積み重ねようとも。
 届かないものがある。 
 それを、目の前の、自分と同じ年の、この少年は、持っている。
 それも、決して奢ることなく。
 過不足なく、自分の能力を評価して。
 湛えるのは、優等生の微笑。

「………」

 怒鳴りつけてやろうか。
 殴りつけてやろうか。
 一瞬、握り締めた両の拳に熱が走る。
 
「………」

 けれど、その全てが、一層己を追い詰める気がして。
 結局三上の眼は、ただ渋沢を睨み上げるだけだった。

「少し、話そうか」

 柔らかく笑って。
 先を行く渋沢の背に、何故か大人しく、ついていく自分がいた。

「お前な、最近背、急に伸びただろう」

 部室前の通路。
 置かれた、簡素なベンチに腰を下ろす。
 薄暗い通路に、コンクリートが砂利を噛む音が、響いた。 

「…お前よりは低いけどな」

 確かに最近は毎夜、成長に伴う激痛とも呼べる痛みに、起こされる。
 まだ掠れる声で、低く零せば、渋沢が声を立てて笑う。
 
「コーチに訊いたんだけどな。…多分、お前の不調の原因、それじゃないかって」
「…は?…身長伸びたらミスが増えんのかよ」

 言って、眉間に皺が寄るのが、自分でも分かった。
 また、あの息苦しさが、喉を塞ぐような心地がする。

「うん…俺もよく分からないんだが…。多分、急な身体の変化に、脳の認知がついていってないんじゃないかって…」
「…じゃあ、追いついたら直るのか…?」

 思わず、目を見開いて訊いていた。
 渋沢が、柔らく笑って、頷く。

「うん。成長期にはよくあることだって」
「そう、か…」

 喉を塞ぐようなあの息苦しさが、少し和らぐような心地がした。
 思わず、深く息を吐き出せば、隣で渋沢が、微笑する気配がして、顔を上げる。

「何だよ」
「うん。…サッカーが好きなんだなと思って」

 その言葉に、一瞬、目を見開いたけれど。
 すぐに、その瞳を、不快に眇める。

「大嫌いだよ」

 吐き捨てる様に呟いて。
 コンクリートの床を蹴るようにして、立ち上がる。
 渋沢が何か言いかけるのを無視して、ただ、足早に歩く。
 大嫌いだ。
 心底、そう思う。 
 こんなにも苦しい思いをさせるものなのだから。
 サッカーも、渋沢も。
 みんな大嫌いだと、思う。
 絡み付いてくるの感情を、思考を。
 振り切るように、足早に歩く。

「なあ三上」

 それでも、渋沢は追いついてきて。
 そして、微笑う。

「お前って、お前が思ってる以上に、すごい奴だよ」
「………」

 やはり、と思う。

「お前なんか大嫌いだ」

 呟いた声に、返って来たのはやはり、柔らかい笑い顔だけだった。