「タツボン!タツボンて」

 肩を揺すられ、無理矢理、意識を覚醒させられる。
 練習で疲れた身体は、まだ、泥のように重い。

「んだよシゲ…。…まだ眠い…」

 身を包む、温かな毛布を引き上げ、ごろり、背を向ける。
 シゲの髪が、頬を擽る感触に、覆いかぶさって来たのを、知った。

「起きてや…」

 言いながら、落とされるのは口付け。
 触れるだけのそれは、啄ばむように頬に、鼻に、瞼にと落とされる。
 それがひどくくすぐったくて、心地良くて。
 知らず、口元に笑みが浮かんだ。

「だから何だよ…」

 ようやっと、目を開ければ、ひどく優しい目にぶつかって、一瞬、目を見開く。
 そっと、髪を梳いてくる手が、心地良い。
 目を細めれば、また、瞼に口付けを落とされた。

「自分忘れてる?」

 こつん、額に、シゲの額が、当てられる。
 近すぎる距離で覗き込まれ、とくり、胸が騒いだ。

「何、を?」

 思い当たる節など、ない。
 自分が覚えていて、シゲが忘れていることなら、きっとごまんとあるに違いないけれど。
 そう言えば、シゲが困った様に笑ったあと、ちらり、時計を見て、もう一度同じ質問を、繰り返された。

「だから、何だよ」

 いい加減、苛立ってきて。
 口調に、少し拗ねた様な色が、滲む。
 覚えてないと、言っているのだから。
 早く答えを教えてくれれば良いのに。
 こういう時のシゲは、少し、意地が悪い。

「どうしよっかなぁ…」

 なんて言って、揶揄する様に笑いながら、ちらり、もう一度視線を時計へと投げるシゲ。
 そこに何かあるのかと思って、自分も視線を投げてみたけれど。
 規則正しく、かちかちと時を刻む秒針以外、何も応えてはくれなかった。

「だったらもう良い。寝る」

 ぐっと、シゲの顔を押しのけて。
 もう一度毛布を、引き寄せる。
 シゲが、困った様に笑う気配が、空気を震わせた。

「起きてって…」

 今度は、柔らかく毛布越しに、抱きすくめられる。
 耳元、囁き落とすその掛かる吐息に、僅か、身を竦めた。

「竜、也」

 不意に、きちんと名前を呼ばれて。
 思わず、向き直っていた。

「な、に?」

 たったそれだけのことなのに。
 目元が、熱い。
 視線を合わせたシゲが、笑った。

「誕生日おめでとう」

 唇に、落とされたのは、触れるだけの、ひどく優しい口付け。

「あ…」

 その言葉で、ようやっと、思い出す。
 ちらり、時計を見遣れば、針は、重なったばかり。

「ホンマに忘れとった?」
「…忘れてた」

 苦笑交じりに覗き込まれ、こくりと小さく、頷く。
 目元が、頬が、熱い。

「ま、えぇけどな。そうやと思っとったし」

 「タツボンすぐ寝てまうんやもん」と、続いた言葉に、気恥ずかしくて視線を逸らす。
 軽く、毛布が引っ張られる感覚の後、隣に、潜り込んで来るシゲ。
 古い木造の寮は、恐ろしいほど風通しがいいから。 
 触れ合った、シゲの爪先は、少し冷たくなっていた。

「明日休みやし、朝になったらプレゼント買いに行こな」

 嬉しそうに笑うシゲに、つられ、零れる照れ笑い。
 頷けば、また、落とされる口付け。

「俺新しいシューズが欲しい」
「無理」

 即答で返され、声を立てて笑う。
 
「なぁ、明日…じゃない、今日…」
「うん?」

 覗き込んで来るシゲの、シーツに流れる金髪を何気なく弄びながら。
 ぽそり、言葉を零す。

「俺んち、泊まりに来いよ」
「タツボンち?」

 こくんと、小さく頷く。
 
「母さんが、色々作ってると思うし…」

 言いながら、そう言えば誕生日に、練習以外で家にいないなんて、初めてだなと思い出す。

「真里子さんの料理?行く!」

 予想通りの反応に、漏れるのは笑み。
 今日はずっと、最初から最後まで、一緒に、いたいから。
 なんて、絶対、言ってやらないけれど。
 
「タツボンのお誘いなんて珍しいしな」

 揶揄する様に笑うシゲを、睨みつける。

「それに…」
「それに、何だよ?」

 不意に、きゅうと、抱きすくめられる。
 元から、少なかった距離が、ゼロになる。
 とくり、胸が騒いだ。

「ずっと一緒におりたいやん。今日は、誕生日なんやし」
「―――っ」

 告げられた言葉に、大きく、目を見開く。
 同じ事を、思っていたのだと思うと、それはひどく、嬉しくて。
 思わず、シゲの首に回す手に、力が篭った。

「俺も…」

 小さく、本当に消え入りそうに小さく、そう返して。
 水野は己から、そっと、触れるだけの口付けを、シゲの唇へと、落とす。
 それはとても、幸福な、味がした―。