かたり、アルコール液の入った容器に、小さく切ったコルク片を、そっと落とす。
 ちらり、時計を見て、時間を確認。
 今から、十五分。
 立てかけた鏡で、じっと、睨みつけるのは己の耳朶。
 小さく、並んだピアスの一番下。
 一番、引き立つ位置に、買ったばかりのサインペンで、点を打つ。
 合わせ鏡を使い、その真後ろにも、一つ、黒い点を作って。
 表と裏に、黒子を作る。
 ここが、今からまた一つ、ピアスを空ける場所。
 昨日までの自分と、変わる場所。
 そう思うと、くすり、笑みが零れた。
 かさり、一番上の引き出しから取り出すのは、まっさらなキャプティブビーズリング。
 翳せば、サージカルスティールが、部屋の蛍光灯に、鋭く光った。
 水野が、何気なく『その形が一番似合う』と、言ってくれたタイプのもの。
 一応、これも、アルコール液の入った容器に、浸しておいた。
 ちらり、時計を見れば、もうそろそろ良い時間で。
 
「さて、と」

 洗ったばかりの手に、ぱちんと音を立てて嵌めるのは、ディスポーサブルの手袋。
 外傷用イソジン液を浸したティッシュで、表と裏の、黒子を拭う。
 独特の臭気が、鼻を突いた。
 ニードルを持たない右薬指で、用意していたワセリンを掬うと、左手の甲に、山形になるよう、乗せる。
 こうしておけば、後でニードルを潜らせるだけでいいので、楽なのだ。
 机の上に取り出しておいた、パッキングされたニードルを、手にとって。
 ぱきり、小気味良い音をさせながら、パッケージを開く。
 そっと、先端を汚さないよう、ニードルを取り出して、しっかりと、手指に挟み込む。
 左手のワセリンの山に、全体を何度か、潜らせて。
 アルコール液から、きっちり十五分、消毒したコルク片を取り出し、茶色く色づいた、マーキングした耳朶の裏に、押し当てる。
 ひんやりとしたその感触に、とくり、胸が騒いだ。
 
「………」

 久しぶりのピアッシングに、柄にもなく緊張している自分に気付き、漏らすのは苦笑。
 落ち着けるように、深呼吸を二回、三回。
 きっとこれが、最後のピアッシング。

「1、2…」

 自分でカウントしながら、ニードルの先端を、丁度先ほど作った黒子の真上に、押し当てる。
 皮膚を刺す鋭い感覚に、血がざわつく。

「3…ッ」

 息を、吐き出すのと同時。
 迷わず、ニードルを持つ手に、力を込めた。
 微かな痛みと共に、手に伝わるのは確かな感触。
 コルク片を持つ手を離しても、それは落ちることが無かった。

「よっし、…貫通っと…」

 言いながら、手早く、取り出すのは先ほどのリングピアス。
 左手の甲に残るワセリンを、丁寧に塗って、ニードルの最後部に、結合させる。
 
「上手く入れよー…」

 祈るように、呟いて。
 じっと、鏡の中の耳朶を睨みつけながら、ニードルを押し進める。
 微かに、引き攣るような痛みのあと、かくんと、手の中の感触が切り替わったことで、巧く、ピアスが入ったのを知る。
 左手でコルクの突き刺さったニードルを抜き取ると、そのまま、接続させたピアスを、潜らせるように嵌める。

「っしゃ!」

 思わず、笑みが零れた。
 手指についたワセリンを、ティッシュで拭うと、留め具であるボールを、嵌める。
 かちりと、思ったより簡単に嵌ったそれに、ほっと、安堵の息を吐いた。
 鏡で、角度を確認して、曲がっていないか、確かめる。
 
「完璧やん」

 表と裏。
 寸歩違うことなく、真っ直ぐに入ったピアスに、零すのは会心の笑み。
 鏡の中、揺れる銀色が、ひどく、嬉しかった。
 あとは、しっかりと洗浄さえしていれば、安定してくれるに違いない。
 水を含ませた綿棒で、簡単にイソジン液を落とせば、サージカルスティールは一層、シゲの肌に映えた。
 
「こいつだけは安定して欲しいからな…」
 
 その為に、最も安定しやすい位置を選んだのだから。
 鏡の中、光る銀色に、口の端、どうしても笑みが浮かぶのを堪えきれない。
 今までで最も、想いの深いピアス。
 多分、最初に開けたそれよりもずっと。

「タツボンち行こ」

 一人、呟いて立ち上がる。
 行って、会って、見せてやろう。
 この真新しい銀色を。
 だってこれは、その為に開けたのだから。
 



「タツボン!」
「シゲ?」

 出迎えた顔に、向けるのは笑い顔。
 
「ピアス開けたん」

 指し示すのは、昨日までとは違う自分。

「ふぅん。似合ってるじゃん」

 珍しい褒め言葉を寄越す唇に、落とすのは、軽く、触れるだけの口付け。

「―――っ何っ?」

 それは、昨日までとは違う、自分達の関係。

「何で新しく開けたか教えたろか」

 真っ赤になった水野を、抱きすくめながら。
 その耳元、落とすのは真実。

「タツボンとの愛の記念」

 「馬鹿じゃねぇの」と、呆れるように言うのに。
 照れたように笑うその顔は、ひどく嬉しそうだった。

 小さな小さな、銀色のリングは、それから一度も、外されることはなかった。