目障りだなと、思った。
 楽しそうに笑うその顔が、親しげに話す声が。
 煩かった。
 顔も名前も、見覚えなんて無い。
 昼休みや放課後の廊下で、渋沢と話しているのを、何度か見かけただけ。
 渋沢越しの印象しかないような女だった。
 今も、部活に向かう渋沢を捕まえて、何事か話し込んでいる。
 女性特有の、白い柔らかな手が、渋沢の肩に触れる。
 ぞっと、背筋に悪寒が走った。
 すぐにでも駆け寄って、殴りつけて遠ざけたい。
 触るなと、唾を吐きかけてやりたかった。

「悪いな」

 苦笑しながら、戻ってきた渋沢の耳元に、低く、落とす。

「アイツ嫌い」

 一瞬、渋沢が驚いたように目を見開く。
 けれどそれはすぐに、諦めたような笑い顔になった。
 好き嫌いのはっきりした自分の事だから。
 いつものことだと、思われたのかもしれない。
 蓄積する、澱んだ感情。
 その笑い顔にまた、苛立った。




 西日が、誰もいない教室の、机の影を随分と長引かせるのを、ぼんやりと目で追う。
 廊下では、きっと渋沢が待ってる。
 早く行きたいなと、そう思った。

「あたし…ずっと三上君のことが好きだったの」

 呼び出された途端、告げられた使い古された台詞に、思わず、笑ってしまいそうになる。
 目の前には、思いつめたように、自分を見上げてくるあの女。
 渋沢の肩に触れた手は、今はきゅっと、スカートを握り締めていた。
 知らず、吊り上がる口角。
 右側だけが上がるそれは、ひどく冷酷な印象を、相手に与えることを、三上は経験から知っていた。
 すっと、触れそうなほどに近く、顔を寄せる。
 至近距離で見た女の顔は、やはり凡庸だった。
 こんな女が、渋沢と親しげに話していたのかと思うと、吐き気がする。
 驚いたように目を見開くのに、吐き出すのは冷たい声音。

「お前みたいな…」

 侮蔑に、眼を眇める。

「馬鹿女、死んでも好きになんかなんねーよ」

 吐き捨てる様に言って、踵を返す。
 オレンジ色に染まったドアを、引き開ける。
 思ったとおり、廊下には渋沢が立っていた。

「悪いな」
「いや…」

 ちらり、渋沢の視線が、出てきたばかりの教室に、走る。
 途端、勢い良くドアが開いた。

「―――っ」

 走り出てきた女は、泣いていた。
 不細工な泣き面だなと、思う。
 そのまま、一瞬、渋沢に視線をやって、けれど、何も言わずに走り去ってしまった。

「三上…お前…」

 渋沢の声が、低い。
 咎めるような視線が、横顔に当たる。

「何?」

 うんざりと、眉を顰めて、作るのは迷惑そうな顔。

「嫌いな奴に告られて、可哀想なのは俺のほうなんですけど」
「何を言ったんだ」

 向き直った渋沢の顔は、真剣で。
 あんな女の為に、感情を割くのかと、また、苛立った。

「『お前みたいな馬鹿女、死んでも好きになんかなんねーよ』」

 ついさっき、言ったばかりの言葉を、諳んじてみせる。
 右の口角が、吊り上がっているのが、自分でも分かった。

「お前な、いくら嫌いだからって、もっと言い方ってものが…」
「俺が…」

 続く言葉を、遮る。
 庇うのかと、苛立ちが、募る。
 どろりとしたその感情が、ひどく苦しい。

「俺が何で、アイツを嫌うか、教えてやろうか」

 吐き出してしまいたい。
 今すぐに。
 
「触ったからだよ…お前に」
「…何…?」

 渋沢の顔が、怪訝そうに、歪む。
 色素の薄い髪に、西日が絡む。
 自分を見つめる同じ色の瞳が、琥珀色に染まっていて。
 ああ、綺麗だなと、頭の片隅で思った。

「お前と仲良くしてたから」

 言葉にすると、随分と拙い理由。
 思わず、自嘲の笑みが、漏れてしまうほど。
 他人に、言い様の無い嫌悪感を抱き、ぶつけてしまうほど。

「だから、ムカつくんだよ」

 渋沢に触る他人全てが。
 吐き気を覚えるほどに。
 喚起させる理由は、ただ一つ。

「どういう…」
「分からねぇ?」

 すっと、顔を寄せる。
 琥珀色の中に映る自分の顔が、見えた。
 表情までは、分からないそれは、渋沢にはどう映っているのだろうかと、少し、気になる。
 理由を告げれば、渋沢はどんな顔をするのだろう。

「お前が好きだからだよ渋沢」