近藤と辰巳が連れ立って部屋を出て行って。 
 不意に訪れた、静けさ。
 ぐっと、背を逸らして。
 背後の椅子を、振り仰ぐ。

「なぁ渋沢」

 呼びかければ、弾かれたように顔を上げるくせに。
 
「何…」

 すぐさま、視線を逸らす、その声に、少し不機嫌そうな色が滲んでいるのを感じ取って。
 三上は、僅かに口角を吊り上げた。

「お前もコレ聴いてみ」

 差し出すのは、ヘッドフォンの片側。
 渋沢の視線が、勉強机の上に置かれた課題から、三上の手へと、流れた。

「いい。いらない」

 珍しく固い声音に、内心、零すのは苦笑。

「何。騒いだの怒ってんのかよ」
「別にそんなんじゃあ…」
 
 揶揄する様に言えば、初めて、渋沢の声に戸惑いが滲む。
 今はいない、もう一人のこの部屋の主と。
 つい先程まで、三上と近藤と三人、最近互いがはまりこんでいる楽曲について、話し込んでいた。
 課題に取り組んでいることも、あったのだけれど。
 態と、渋沢が入り込めない話題ばかりを、選んでみた。
 その結果。
 多分、本人はその意味には気付いていないのだろうけれど。
 渋沢の声音には、僅かに拗ねた様な色が、滲んだ。
 
「じゃあ、来いよ」

 その様に満足げな笑みを、口元に浮かべて。
 少し強引に手を引けば、不承々々といった態で、渋沢が三上の隣に、腰を下ろす。
 
「ほら」

 耳に掛かる髪を、軽く掻き揚げてやれば、一瞬、渋沢が無意識だろう、微かに身じろいだ。
 
「流すぞ」

 押し切られるように。
 渋沢が宛がわれたヘッドフォンを、耳に掛けるのを確認して、手の中の小さな機器を、操作する。
 自分も、ヘッドフォンの片割れを耳に宛がって。
 流れ出す音に、眼を閉じる。

「よくね?」
「う、ん」

 二人で聴くには、短いコードは、自然、渋沢と三上の距離をいつも以上に、近づける。
 ちらり、伺った渋沢の目元が、僅かに赤く染まるのを見留め、三上はその口の端、小さく、笑みを浮かべた。


「………」
 
 流れ出る音に身を委ねるように。
 とん、と肩に三上の肩が、触れる。
 とくり、心臓が跳ねた様な気がした。 
 近すぎる距離に、さっきから随分、目元が熱い。
 右耳から流れ込んでくる音に、意識を委ねようと思うのに。
 渋沢の意思の届かぬ範囲で、意識は三上を追いかける。
 
―ついさっきまで、俺のことなんか欠片も構いもしなかったくせに―
 
 そう、思った途端、構って欲しかったのかと疑問が湧く。
 その答えはあんまりにも気恥ずかしすぎて。
 また、一人目元が熱くなるのを、感じた。
 
「………」
「三上?」
 
 不意に、隣の空気が揺れた気がして。
 抱え込んだ膝の上から、顔を上げれば、笑みを零す三上と、目が合った。
 怪訝に、首を傾げたとき。

「俺お前のこと好きだぜ」

 言葉と同時。
 唇に触れた感触に、目を見開いている間に。
 三上はまた、何事もなかったかのように、離れていく。
 右耳から流れ込んでくる音はもう、完全に渋沢の意識から、はじき出されてしまっていた。


 随分と隣の自分を意識してくれて。
 一人、顔を赤くする渋沢が可笑しくて可愛くて。
 ああ俺も末期だなんて思ったら、自然、笑みが零れていた。

「三上…?」
 
 抱え込んだ膝の上から、顔を上げた渋沢が、怪訝そうに見つめてくるのに、好きだなと、思ったのと同時に、口に出していた。
 そのまま、衝動に任せて口付ければ、渋沢の眼が、これ以上ないくらいに、見開かれた。
 その様にまた、笑みが零れる。
 
「お前は?」
「え?」

 小首を傾げて覗き込めば、色素の薄い眼が、揺れる。
 首筋まで朱に染めて俯いて。
 視線を逸らす横顔を、それでも見つめ続ければ、小さく、本当に小さく、渋沢の唇が、動いた。

「何?」
 
 左耳のヘッドフォンを外して、耳を寄せる。
 急に小さくなった音が、微かに、無音の部屋に流れていた。

「好き、だよ。…他の奴に構ってると腹立つくらい…」

 思わず、目を見開いていた。
 どうして自分の機嫌が傾くのか。
 その理由さえ、気付いちゃあいないだろうと、思っていたのに。
 自分から、仕向けたこととはいえ、嬉しさについ、口元が緩む。

「ありがとう」

 こんなにも素直な言葉を吐き出したのは、いつぶりだろうかと内心、苦笑する。
 自分にそうさせるもの、渋沢だけだと、思う。
 驚いた様に顔を上げる渋沢と、視線が絡む。
 互いの想いを、伝え合うように。
 自然、重なるのは唇。
 流れていたはずの音は、いつの間にか、止まっていた。