吐き出す白い息が、寒さを強調する。
 かじかむ手で、部室の鍵をかけると、水野は無意識に、両の手を擦り合わせた。

「お疲れ」
「ん。お疲れ」

 だらだらと下らない話を垂れ流しながら。
 多分、自分を待っていてくれていたのであろうシゲと、二人並んで、無人のグラウンドを横切る。
 今日は終業式のみだったから。
 いつもより、鞄が軽い。

「タツボン、今日なんかあんの?」

 不意の問いかけに、驚いてシゲを見遣れば、薄闇の中。
 揶揄する様に笑う瞳と目が合い、僅か、面くらう。

「何で」

 知らず、口元を覆う左手。
 顔に出ていたのかと思うと、目元が熱くなる。

「別に?何や今日は機嫌良さそうやなと思って」
「うん。…まぁ…」

 曖昧に、言葉を濁す。
 どうやら思い切り、顔に出ていたらしい。
 横顔に当たる、見透かした様な視線が、気恥ずかしい。
 自然、足早になったとき。

「あら。お迎え?」

 呆れたような、揶揄するようなシゲの声に顔を上げれば、貧相な街灯の下。
 門柱に寄りかかる人影を、見つけた。

「水野っ!」

 向こうも、こちらに気づいたのか。
 手を振る郭の、白い息が、風に流れた。

「郭っ!…何で…」
 
 駆け寄ってきたかと思えば、まるで割って入るように。
 シゲと水野の間に、立つ。
 近くで見れば、色の白い耳は、寒さに赤い。
 一体いつから待っていたのかと、思わず、眉根が寄る。
 その郭が、不意に、笑った。

「ああ、なんだ藤村か」

 唐突な言葉に、シゲが器用に片眉を引き上げ、小首を傾げる。

「水野が不良にでも絡まれてるのかと思った」

 遠目だったから。
 なんて、笑い告げる郭に、僅か、シゲの頬が引き攣ったのには、水野は気付かない。
 形だけの笑みに、シゲも、口元だけの笑顔を、返す。

「何で俺が絡まれるんだよ」
 
 背中で、抗議の声を上げる水野に、郭が笑って、口先だけの謝罪を告げる。
 その目は、先程のそれと違い、ひどく優しい。

「待ってるなんて聞いてない」
「だって今日、約束してたでしょ?」
「そうだけど…」

 だとしても、待つ場所は他にもあっただろうと言えば。

「だってここで待ってた方が、早く合えるじゃない」

 なんて、笑顔でのたまうから。
 知らず、耳が熱くなるのが、自分でも分かった。

「ほなタツボン、俺帰るわ」
 
 いつもより、少し大きな声で、掛けられた言葉に、思い出した様に、振り返る。
 折角、待ってくれていたのに。
 少し、気まずい。

「あ、うん。…悪いなシゲ」
「かまへんよ。…郭やっけ?」
「何?藤村」

 笑い顔で気にするなと手を振るシゲに、不意に、腕を引かれた。
 一瞬、掠める様に。
 冷えた頬に、何かが触れる感触。
 目の前の郭の双眸が、驚いた様に見開かれた。

「意地っ張りで難儀な性格の子やけど、よろしゅうな」
「誰が…!…っわ!」

 ぐしゃり。
 思い切り髪をかき回されて、とんっと、結構な力で突き飛ばされた。
 唐突なそれに、一瞬、身体がバランスを失う。
 けれど次の瞬間には、郭に左腕を取られていた。

「当たり前でしょ。…一生手放す気はないよ」
「か…っ!」

 人前で言うことかと、抗議の声を上げようとしたのに。
 随分と近くにある郭の顔に、一瞬、思考がついていかなかった。
 唇に触れる、柔らかな感触。
 
「そ、ならええけど」

 口付けられたと、気付いたのは、口角を吊り上げて、笑ったシゲが、もう、背を向けて歩き出した時だった。

「郭っ!」

 何をするんだと、詰るように名を呼べば、今度は頬に、口付けを落とされる。

「何すんだよっ!」

 頬が熱い。
 赤くなっているのが、自分でも分かった。

「何って、消毒」
「は?」

 訳が分からないと眉根を寄せて睨みつければ、郭の双眸は、遠ざかる金髪を、睨みつけていて。
 いつになく険悪な表情に、どうかしたのかと、怪訝に小首を傾げる。

「藤村って、水野の何」
「は?何って…腐れ縁…」
 
 多分、親友と呼べる位置にいるのだろうけれど。
 何となく、気恥ずかしくてそう答えれば、「ふぅん」と、気のない返事が返ってきて、一層、訳が分からなくなった。

「何だよ。シゲがどうかしたのか?」
「気付いてないならいいよ。…それより」

 掴まれたままだった左腕を、引き寄せられる。
 指先に絡むのは、冷え切った、郭の指先。
 
「行こう?今日は二人で過ごそうって、決めたじゃない」

 向けられるのは、ひどく愛しげな微笑。
 また、頬が熱くなるのを感じながら。
 こくりと小さく、頷いて。
 きゅっと、絡めた指先、力を込めた。

「水野」
「うん?」
 
 顔を上げれば、絡む視線。
 
「Merry X'mas」

 今日と言う日を祝う言葉と一緒に、降って来たのは優しい口付け。

「Merry X'mas…」

 応える、水野の目元にも、愛しげな色が、滲んでいた。


 水野は、気付いていないけれど。
 シゲが腕を引いた、あの瞬間。
 水野の頬に、触れたのはシゲの唇。
 掠めるようなそれは、ほんの一瞬の出来事だったけれど。
 向けられた、挑むような視線は、確かに郭を、捕らえていた。

「まぁ、負ける気は無いから、良いんだけど、ね」

 水野は、気付いていないようだけれど。
 郭は以前から何となく、シゲが水野に向ける感情の意味に、気付いていた。

「何?」

 一人、呟くように零せば、傍らを歩く水野が、覗き込んで来る。
 なんでもないと、笑い返して。
 郭はもう一度、しっかりと、繋いだ手を、握りなおした。
 この温もりを、誰にも、譲る気は無いから―。