「水野、明日誕生日だっけ?」

 藤代の、不意の問いかけに、そう言えばそうだったと、思い出す。
 
「そうだったな」
「何その他人事みたいなの。忘れてた?」

 笑う藤代に、苦笑交じりで、頷く。
 毎年、忘れてしまい、毎年、シゲに揶揄われる。
 そのシゲも、高校に入ってからは、電話越しでしか祝福の言葉を聞いていない。

「誕生パーティ開いてやるな」
「…俺をダシにして騒ぎたいだけだろ?」

 少し、呆れた様に言えば、酷いと言いながら、だけど、悪びれなく頷きながら、藤代が笑う。
 ほぼ毎月、開かれる誰かの『誕生日パーティ』。
 その騒々しさが目に浮かび、水野は内心で、苦笑を漏らす。

「騒ぎすぎで三上に怒られるのだけは嫌だからな」
「あーそれ俺も嫌」

 眉間に皺を寄せてくどくどと小言を並べた挙句、翌々日まで嫌味を言われる様を思い浮かべたのか、藤代が心底嫌そうに、顔を顰めた。

「ま、明日は空けとけよ」
「多分な」

 二言、三言、軽口を交わして。
 
「おやすみ」
「おやすみ」

 どちらともなく、布団に潜り込む。
 
―誕生日、か…―
 
 ついさっきまで忘れていたのに。
 思い出せば、つい、枕元のケータイを意識してしまう。
 毎年、午前零時丁度に鳴るケータイは、今はまだ沈黙を護ったまま。
         
―今年も、来るかな…―
 
 なんて、期待している自分が、可笑しかった。
 それでも、どこかで確信めいたものは、確かにあって。
 きっと、電話をかけてくる。
 そう思いながら、いつの間にか、水野は眠り込んでいた―。




「―――っ」

 鳴り響いた着信音に、眉を顰める。
 開いたディスプレイの、白い光が、目に痛い。
 それでも、予想通りの名前に、口元、笑みが浮かんだ。

「寝てたんだけど」
「何でやねん。また忘れとったん?」

 耳に響く、笑みを含んだ、声。
 揶揄するようなその言葉に、水野はふ、と笑みを零した。

「いや?さっき寝る前に藤代に言われて思い出した」
「忘れてるやん!」

 呆れたような声に、「仕方ないだろ」と返す。
 不意に、受話器の向こう。
 シゲが黙りこくった。

「シゲ?」

 怪訝に、問いかければ、はぁ、と、吐息を吐く音が、響く。
 良く耳を澄ませば、いつもより雑音が、多い気がした。

「外、いるのか?」
「タツボン、頼みがあるんやけど」

 妙に、低い声で告げられ、何かあったのかと、一瞬、眉根を寄せる。
 
「どうし…」
「外、出てきて?俺寒くて死にそうや」

 一瞬、言われた言葉が、理解できなかった。
 外に出て、それで?

「おま…今何処…」
「えー…武蔵野森学園高等部…」

 寮の門扉に掲げられた看板を読み上げるシゲの声を聞いたときにはもう、水野は上着を引っ掴んでいた。

「水野?抜け出し?」

 背中に声を掛けられ、振り返れば、藤代が布団の中から揶揄する様に、笑っていた。

「悪い、起こしたな」
「いや、ケータイいじってたから」

 起きていたと、笑う藤代。

「藤村?」
「うん…」

 気恥ずかしさに、少し俯けば、「大浴場の窓、夜中でも開いてるから」とだけ、告げられた。
 小さく、礼を言って。
 水野はシゲが待つ、正門へと、急いだ。




 貧相な光を投げかける街灯の下。
 はあ、と、吐き出す息は、はっきりと白い。
 夜目にも目立つ金髪が、そこに立っていた。

「シゲっ!」

 小声で、呼べば、振り返った顔が、笑う。
 それはひどく、嬉しそうで。
 駆け寄れば、有無を言わさず、抱きすくめられた。

「誕生日おめでとう」

 言いながら、頬にあたる、シゲのそれは、ひどく冷たい。
 一体いつから、ここに立っていたのだろう。

「風邪引くぞ馬鹿」
「ありがとうは?」

 きゅっと、無意識にシゲの、ジャケットの背中を握り締めながら言えば、顔を覗きこまれ、近すぎる距離での  不意打ちに、とくり、胸が騒ぐ。

「ありがとう…」

 小さく、告げれば、一層強く、抱きすくめられた。
 その冷え切った体温が、ひどく、愛おしい。
 何より、こんな風に逢いに切れくれた事が、嬉しかった。

「部屋、来るか?」

 このままでは、寒いだろうと促せば、ゆるく、首を振られる。

「ちょっと歩こうや」

 その言葉に、今の時間を思い出せば、シゲが、器用に片眉を吊り上げ、笑う。

「何?自分ちょっと夜更かししたくらいで、明日の練習に響くようなヤワい奴やったん?」
「誰に言ってんだよ」

 ふん、と鼻で笑う様はいっそ傲岸。
 その横顔は、ひどく綺麗で。
 シゲが小さく、息を詰めた。

「ほな、行きましょか」

 差し出される手を、取って。
 二人、並んで歩き出す。
 握った手は、ひどく、冷たかった。




「懐かしいな」

 貧相な街灯が作る、アスファルトに染みのように伸びる影を、踏みながら。
 シゲがぽつり、零した言葉に、小首を傾げる。

「中学ん頃、よおこうやって真っ暗ん中二人で帰りよったやん」

 笑うシゲに、蘇る記憶。
 そう言えば、ここは中学時代、良く通った場所だと、思い出す。
 ただでさえ、人通りがまばらなこの道は、今はもう、誰も通っていなくて。
 二人の声だけが、響く。

「寺には、顔出してるのか?」
「偶にな。こっち来た時は出してる」

 「やなきゃ和尚がうるさいねん」と、続いた言葉に、声を立てて笑う。
 あの和尚には、水野も世話になったから。
 一度、シゲが顔を出すときにでも、ついていってみようかと、思う。

「タツボンは?家には帰ってんの?」
「いや…あんまり」

 その言葉に、思い出すのは、復縁したばかりの両親の顔。
 親密なそれは、なんとなく、傍で見ているのが気恥ずかしくて。
 あまり、実家には寄り付いていなかった。

「お前は?」
「どっちの家?」

 人の悪い笑みを、その口の端に乗せるシゲの、その言葉に、一瞬、息を詰める。
 一拍後、溜息となったそれを、吐き出して。
 軽く、睨みつければ、ごめんと笑われた。

「オカンは顔見せぇ煩いけどな。再婚相手おるし、気まずいやん」

 なんとなく、その気まずさは分かる気がして。
 水野は無言で、頷く。

「藤村の方は、オトンが離れに俺の部屋作ってくれたからな。偶に顔出しには帰ってる」

 そう言って笑うシゲには、もう、中学の頃のような蟠りは無くて。
 ひどく穏やかに、家のことを話す様に、どこか、安堵した。
 
「そっか…。お母さんのとこにも、ちゃんと顔出してやれよ」
「ちゃんとでかい休みには帰ってるて。…相変わらず小姑やなぁ」

 情けなさげに眉尻を下げるシゲに、声を立てて笑う。

「あ、ここ…」
「懐かしいなー」

 いつの間にか、たどり着いたのは、初めて出会った、あの場所。
 コンクリートの壁には、今もまだ、ボールの跡が残っていた。

「タツボンもおっきなったなー」
「うるさい」

 揶揄する様に笑いながら。
 ぐしゃり、髪を掻き乱す手を、乱暴に払い除ける。

「なぁタツボン」

 唐突に、繋いだままの手を、引き寄せられた。
 
「何…」

 抱きすくめられ、ゼロになった距離に、胸がざわつく。
 
「生まれてきてくれてありがとう」

 耳元、囁き落とされた言葉に、思わず、息を詰めた。
 きゅっと、シゲのジャケットを掴む手指に、力が篭る。

「これからもずっと、一緒におろな」

 初めて逢った、この場所で。
 告げられた言葉に、きゅっと、心臓が鳴った気がした。

「…うん…」

 小さく、頷く声が、微かに掠れる。
 胸に満ちるのは、幸福な喜び。
 
「竜也」

 不意に、きちんと名前を呼ばれて。 
 顔を上げれば、絡まる視線。
 どちらとも無く、重ねたのは唇。
 繋いだままの手は、いつの間にか同じ体温になっていて。
 絡まる舌に、交わすのは、熱。
 
「俺も、ずっと、…成樹と、いたい…」

 伝えるのは、想い。
 応える様に、再び重なった唇に、水野はゆっくりと、その瞼を閉じた。

 来年もその先も。
 ずっとずっと、一緒にいたい。