最近、急速に冷たさを帯び始めた風が、頬を撫でる。
 ドアの真上に、申し訳程度に設けられた小さな蛍光灯が投げかける、貧相な光が、一層、寒さを協調しているような気がして。
 部室の鍵を掛けながら、水野は無意識に、合服であるカッターシャツの腕を、擦った。

「寒なったなー」

 言いながら、カッターシャツの上から、ジャージを羽織ったシゲも、同じように腕を擦る。
 確かに、日も暮れた今、身を包む温度は、涼しいと言うより、寒い。
 
「はよ帰ろ」
「ん」

 軽く、頷いて。
 足元に置いた荷物を、肩に掛ける。
 吹き抜ける乾いた風が、体温を奪っていくような気がした。

「タツボンもジャージ着たらえぇのに」
「ダサい」
「…さいですか」

 短く言えば、呆れたように返って来る視線を、軽く無視して、
 寒さに急かれる様に、足早に歩く。
 
「あ、もうすぐ自分誕生日やん」
「もうすぐって…あと一ヶ月以上も先だろうが」
「二ヶ月ないやんか」

 そう言って笑うシゲに、覚えていたのかと、とくり、胸が騒ぐ。
 「何あげよー」と一人ごちるのに、小さく、笑みを零す。

「それにしても、寒いな」

 風が吹きぬける度、腕を擦りながら、呟けば、不意に、腕を引かれ、よろめいた。

「何…っ?」
「えぇからえぇから」

 笑いながら、背後から抱すくめてくるシゲを、振り払おうと身を捩れば、一層、身体を寄せてくるから叶わない。
 いい加減にしろと、少し声を荒げても、返って来るのは気の抜けた笑い声だけ。
 
「だってくっついたらあったかいやん」

 「タツボン見てるこっちが寒いわ」と、続く言葉と共に、首筋に絡むジャージの腕。
 抱きすくめると言うより、圧し掛かるようにして歩き出すものだから、自然、押されるように水野も歩かざる得ない。
 確かに、背中の体温は、温かいけれど。

「シゲ」
「んー?」
「歩きにくい」

 熱を持つ目元を誤魔化すように、不機嫌に零す。
 互いの荷物がぶつかり、水野の腰骨に、当たって痛いし、当然、少なからずシゲの体重を掛けられているこの状況では、驚くほどゆっくりとしか、進めない。
 
「じゃ、今日タツボンちにかーえろ」
「はぁ?」

 楽しげに言いながら、ようやっと、離れる腕に、抱くのは安堵と、寂しさ。
 大仰に眉を顰めて見せながらも、拒む言葉は、吐き出さない。
 シゲもそれを分かっているのか、振り返る顔は、笑っていた。

「ほれ」
「………」

 差し出される手に、視線をそらしたまま、自分の手指を絡ませる。
 ゆるく、絡ませれば、しっかりとした強さで、握り返された。
 半歩遅れて、手を引かれるように、歩き出す。
 並んで歩くのは恥ずかしいなんて建前で。
 本当は、微かに笑みを刻む口元を見られたくはなかったから。
 人気のない路地裏。 
 吹きぬける風は冷たくて、ちかちかと貧相な光を投げかける街灯が、一層寒さを強調するけれど。
 繋いだ指先から流れ込んでくる体温は、ひどく温かい。

「今日泊めてな」
「嫌だ」

 ベッドが狭くなると言えば、情けない声を上げるシゲに、声を立てて笑う。
 
「だって寺寒いんやもん」
 
 げんなりと零された言葉に、返すのは苦笑。
 たしかに、古い木造の寮は、恐ろしいほど風通しが良かった。

「俺の家は暖房代わりか」

 呆れた様に零せば、不意に、先を歩くシゲが立ち止まるから。
 その背にぶつかりそうになり、慌てて、立ち止まる。
 僅かに、見上げるその顔は、水野にしか見せない色の微笑を浮かべていて、とくり、胸がざわついた。

「何だよ急に」
 
 薄暗い路地裏に、きっと赤くなっているであろう目元が隠れていることを願いながら。
 怪訝そうに眉根を寄せれば、笑みを刷いたままの唇が、すい、と寄せられ、息を詰める。

「分からん?」
「な、にが」

 きゅうと、繋いだままの手指に、篭る力。
 頬が、熱い。

「おりたいからやん。自分と」

 言葉と共に、降って来たのは触れるだけの口付け。
 きっと、自分の頬は貧相な街灯でさえ、映し出せるくらい、赤くなっているだろうと、水野は思う。

「あ、そう」
「うん」

 嬉しそうに頷くシゲに、俯く頬が、一層熱い。
 再び、歩き出すシゲの手を、握る指先には、ほんの少し、力が篭っていた。

「俺、冬って好きやわぁ」
「ふぅん」
「堂々、タツボンとくっつける理由になるやん?」

 なんて、言いながら悪戯っぽく笑うから。
 呆れた様に悪態を吐いてしまうけれど。
 それでも、繋いだ手は、解く気にはなれなかった。
  
 吹きぬける、最近急速に冷え始めた風は、もう気にならなかった―。