「…何しに来たんだ…?」

 正直な疑問を投げかければ、ふわりと、紫煙が鼻先を掠める。
 へらりと笑いながら、灰を落とす仕草をするので、灰皿代わりの空き缶を差し出してやる。

「寺は寒いからなぁ」

 言いながら、一層深く、炬燵に潜り込むシゲ。
 半分以上、掛け布団を取られ、松下は顔を顰めた。
 古いアパートのドアの隙間から、入り込んでくる風は、恐ろしく冷たい。
 石油ストーブ特有の匂いが鼻を突くこの部屋は、寺とそう変わらないだろうと、松下は思う。

「引っ張るな。寒いだろうが」
 
 文句を言っても、返って来るのは笑い声だけで。
 本当に、何をしに来たんだと、思う。
 それでも、追い返しはしないけれど。
 天板に置かれた、シゲのケースから、一本抜き取り、口に咥える。

「あ、取んなや」
「ケチるな」

 それでも、火を差し出してくれて。
 肺深くに紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
 いつもと違う味のそれに、軽い違和感を覚えた。

「―――っ」
「だっさ」

 唾液で濡れたフィルターが、乾いた唇に張り付いて、薄皮を剥いだ。
 微妙に鋭い痛みに、思わず眉を顰めれば、不意に、翳る視界。
 顔をあげれば、すぐ側に、シゲの顔があって。
 狭い一角に、無理矢理、潜り込んで来る。
 
「………」

 無言のまま、切れた唇に、シゲのそれが、重なる。
 傷口を下で、なぞられる。
 そのまま口腔内に入ってきたそれに、適当に応えてやりながら、今、同じ味なんだなと、ぼんやりと思った。

「何のつもりだ?」

 問いかければ、シゲの眼が、笑う。
 人をくったようなそれに、松下は微かに、眉根を寄せた。
 こう言う笑い方は、あまり好きではない。

「別に。…好きやで、おっさんのこと」

 この上なく感情の篭っていない告白に、思わず、溜息が漏れる。

「水野はどうした」
「タツボンは一番大事。でもおっさんもちゃんと好きやで」

 へらりと笑い告げるその指が、服の裾から入り込んでこようとするのを、やんわりと押し返す。
 
「何?せぇへんの?」

 不思議そうに小首を傾げる、その金色の頭を、ぐしゃりと掻き乱す。
 痛んだ髪が、指に絡んだ。

「阿呆。子供に手ぇ出せるか」

 その言葉に、怒るかと思ったけれど。
 一瞬、驚いたように目を見開いたシゲが、次の瞬間、浮かべたのは、何故だかひどく嬉しそうな、笑い顔で。
 いっそ無邪気なそれに、松下は僅かに、目を見開いた。

「そっか」

 へらりと、笑う顔は、先のそれとは違い、本当に嬉しそうで。
 ずるずると、凭れ掛ってくる体が、重い。

「おいシゲ…」
「4時になったらタツボンち行くから起こして。それまでは起こさんといて」

 結局、胡坐をかいた膝の上、金色の派手な頭は落ち着いて。
 
「灰落とすぞ」
「嫌や」

 嬉しそうに笑う、声の向こう、両の目はもう、閉じられていて。
 いつの間にか、本当に眠ってしまった。
 その口の端、浮かんだままになっているのは、やはり、ひどく嬉しそうな微笑。
 その横顔を、見つめること暫し。

「あぁ…」

 やっと、納得する。
 甘えたかったのだ。
 この、恐ろしく器用で、恐ろしく不器用な少年は、甘えたかったのだ。
 松下の口の端に、微笑が浮かぶ。

「ま、いいか…」

 なって、やろうと思う。
 この恐ろしく器用で、恐ろしく不器用な少年の甘えの場に。
 それは、同じ歳の水野にも、風祭にも、無理なことだろうから。
 自分に、それを望むなら、叶えてやりたいと、思う。
 
「ガキだねぇ」

 それが、ひどく愛しく思えて。
 松下の呟きは、誰に受け止められることなく、紫煙の向こうに溶け消えた―。