さらさらと、紙を滑る筆の音が、微かに、響く。
手本よりも端正な字が並んでいるであろう帳面に、筆を走らせるその横顔を、じっと、見上げる。
ゆれる、行灯の灯が、少し褐色を帯びた肌を、橙色に染め上げていて。
高い鼻梁が、その光を帯びた頬に、影を落としていた。
「………」
布団の上に寝転んで、行儀悪く頬杖をついて。
ただじっと、見上げる横顔。
それは時に、思案する様に、眉根を寄せて。
僅かに尖らせた口元に、筆の柄尻を、押し当てる。
微かに、押し開かれた唇の、その僅かな隙間から覗いた白い歯が、行灯の灯に、濡れて光った。
触れたいと、不意に思う。
「悪いな。灯、邪魔かい?」
視線に、気付いているのだろう。
帳面に視線を落としたまま、掛けられる言葉に、ゆるく、首を振る。
寝支度を整えてはいるが、まだ少し、寝るには早い。
何より、たかだか灯りの有無で、眠れなくなるほど、柔い性分は持ち合わせていなかった。
「いや、平気だよ」
応えながら尚、視線は横顔から外さない。
尖った頤から、首筋にかけての稜線を、行灯の灯が、揺らす。
橙色の光が、澄んだ両の眼の、その濡れた表面を、照らしていた。
その眼を無理に振り向かせて、滑らかな頬に手を沿えて。
柔らかに濡れた、その澄んだ眼の表面に、舌を這わせたい。
驚いた様に目を見開いて、なじるために開かれた唇に、己のそれを重ね合わせて。
息を奪うほどに激しく、口付けて。
朱に染まる耳に指を這わせ、震える吐息を、肌に感じたかった。
筆を取り上げて、節だった長い手指に、己のそれを絡め合わせ、繋ぎとめる。
押し倒して、首筋に唇を寄せて、舌でなぞって。
はっきりと浮かぶ鎖骨に、歯を立てれば、いつも、息を詰める気配が、空気を揺らす。
堪える様に、眉根を寄せて。
朱に染まる目元、その瞼は、きつくきつく閉ざされて。
必死に、声を殺す様は、何より愛しい。
「………」
触れたいと、はっきりと、思う。
こんなにも、見つめているのに。
その眼はただ一心に、帳面の上、筆先を見つめていて。
此方の視線に、気付いているくせに。
佐助の視線は、決して、此方を向くことがない。
普段、仁吉のことを性が悪い質が悪いと言うけれど。
無自覚な分、佐助のほうが、質が悪いと、仁吉は時折、思う。
「なぁ佐助」
呼びかける。
返って来る、生返事。
その声が、熱に掠れて、己の名前を呼ぶのを、脳裏に思い描く。
「好きだよ」
こんな言葉を投げたって。
耳を朱く染めながら、気恥ずかしさを隠すように、「馬鹿が」と一言、返されるだけ。
いつものそれも、愛しいと思うけれど。
たまには。
「あたしもだよ」
そう返してくれても良いのに。
「え…?」
思わず、顔を上げていた。
そこにははっきりと、此方を見つめる眼があって。
行灯の灯に、半分を照らされた顔が、ただ、微笑う。
今更、返された言葉が、ゆっくりと頭の中に、入ってきて。
じわり、耳が熱くなる。
「もう少し待ってろ。…すぐ、終わるから」
小さく、笑みを零して。
また、帳面に、向き直る横顔。
橙色に染まる横顔に、はたと、我に返る。
「お前のほうが、性悪だ」
普段、仁吉のことを性が悪い質が悪いと言うけれど。
無自覚な分、佐助のほうが、質が悪いと、仁吉は、思う。
見上げていた横顔から、視線を外して。
柔らかな布団に乗せた頬が、やけに熱かった。