ざぁざぁと、降り続ける雨音はもう3日も、止む気配は無くて。
 湿った空気のお陰か、一太郎の喉から咳が零れることはないけれど。
 せっかく体調が良いのに、雨では何処にも行く事ができなくて。
 幼い目が、どんよりと暗い空を睨む。

「雨…止まないね…」

 しょんぼりとした呟きに、佐助が苦笑を零す。
 畳の上、散らばったビードロ玉での遊びにも、飽きてしまったのだろう。
 今はもう、放り出されたままで。
 幾つもの鮮やかな色の影が、畳に落ちていた。

「坊ちゃん、囲碁はいかがです?」

 仁吉が、碁笥を掲げて見せても、一太郎は首を振るばかり。
 どうやら全部に、飽きてしまったようで。
 くるり、背を向け、雨が降り注ぐ庭を、じっと見つめるばかり。 
 兄やたちが二人、困ったように視線を交わす。
 ふと、仁吉が思いついたように口を開いた。

「そうだ坊ちゃん。掃晴娘を作ってみませんか?」

 相方の言葉に、顔を上げた佐助が、それは良いと頷く。
 一太郎が、不思議そうに二人を振り仰いだ。

「掃…晴…にゃん?って…なぁに?」

 聞きなれぬ、異国の響きに、一太郎が小首を傾げる。
 
「雨が止むようにと、願いをかけるおまじないですよ」

 佐助の説明に、一太郎の顔が、ぱっと輝く。
 
「作る…っ!」

 なにやら楽しげな事の成り行きに、鳴家たちも、ころりころりと、影から姿を表して。
 元気の良い返事に、兄やたちからも、笑みが零れた。




「それじゃあまず、あたしが手本を作りますから」

 そう言って仁吉が、鋏で器用に、真白い紙を切っていく。
 それはあっという間に、ただの紙から、人の形を成していって。
 
「うわぁ…すごい」

 感心する一太郎の目の前で、ひらりと、紙から抜け出るように落ちた紙人形に、仁吉が針で穴を開け、するり、糸を通す。
 目の前、翳されたそれに、一太郎が、嬉しげに笑う。

「女の人…?」

 零れた問いかけに、聡い子だと、仁吉が口の端、優しげな笑みを浮かべながら、頷く。

「そうです。「晴娘」と言う、大陸の娘です」
「大陸…っ!」

 遠い遠い異国の名に、一太郎の唇から漏れる、驚きの声。
 目の前の小さな紙人形の、見慣れぬ着物の影の訳に、両の目が、零れんばかりに見開かれる。
 切りやすいようにと、紙に型を描いてやる仁吉。
 息を吹きかけながら墨を乾かしたその口の端、ふと、笑みを乗せる。

「ああ、じゃあ少し、この人形の話でもしましょうか」

 佐助に手を添えられながら握った鋏で、懸命に仁吉の描いてくれた型紙に刃を入れながら、一太郎が、弾かれたように顔を上げた。
 
「坊ちゃん、危ないですよっ」

 佐助が慌てて、手の中の小さな手を、握り直す。
 鋏が、線の外側へ、大きくずれた。
 
「ほら坊ちゃん、しっかり持って」
 
 そんな様子に、苦笑しながら、仁吉がそっと、促す。
 一太郎が再び、鋏に集中したのを確認して、ゆっくりと、語り始める物語。

「昔、大陸に大層性の悪い龍王が居りましてね」
「りゅうおう…?」

 一太郎の疑問符に、膝の上、その小さな身体を抱えた佐助が、優しげに笑いながら、教えてやる。
 今度は、鋏は外側に逸れることも無く、きちんと仁吉が描いた線の上、ちょきんちょきんと進んでいく。

「海や川…あらゆる水を守る神様ですよ」

 その説明に、仁吉が頷きながら、言葉を続けた。

「龍王にもいろんな性格の奴が居りましてね。東の龍王は大層性が悪かった。度々大雨を呼んでは、周りの人々を苦しめていました」
「悪い奴だね」

 紙を睨みつけながら零された素直な言葉に、兄やたちが視線だけで、笑みを交わす。

「困り果てた人々を救ったのが「晴娘」です」

 鋏の音が、止まる。
 一太郎の視線が、仁吉が作った紙人形に注がれた。

「龍王は息子の嫁御になること、つまり、水の底のお城に来いと、「晴娘」言いました。来たら、雨は降らせないからと」
「水の底じゃあ、おっかさんやおとっつぁんに会えないじゃない」

 悲しげに眉根を寄せる一太郎に、仁吉が苦笑しながら、頷く。

「そう、辛い辛い、約束です。それでも、「晴娘」は皆を守るために、水の底のお城にお嫁に行きました」

 一太郎の耳には、仁吉の紡ぐ言葉だけが、響く。
 雨音が、遠ざかる。

「…空は晴れ、川は静まり、都は助かった。…「晴娘」は大層切り絵が巧い娘でしたから、人々は感謝の思いを込めて、雨の日には、こんな風に切り絵の人形を、軒下に吊るしたのです。…すると、不思議と空は晴れた」
 
 一太郎の小さな手が、きゅっと、己の手に重ねられた佐助の手を、握る。
 それをしっかりと握り返してやりながら、佐助が笑った。

「坊ちゃん、「晴娘」はね、そうやって、人々のお願い事をかなえながら、人々の心の傍に、いつも一緒にいたんですよ」

 言いながら、促せば、一太郎の小さな手に持たれた鋏は、再び音を刻み始めて。

「我も…我もお願いする。「晴娘」の傍に、我もいてあげる」

 物語の娘まで思いやる、その優しい心根に、自然、見守る兄やたちの目元が、和む。
 ちょきんちょきんと、鋏の音が、雨音を裂く。

「できた…っ!」

 完成と共に、掲げられた紙人形を受け取り、佐助が紐を通してやる。

「さぁ、吊るして、お願いしましょうね」

 言いながら、三人、縁側に立つ。
 佐助に抱え上げられた一太郎が、くるりと糸を結び、二つの紙人形が、風に揺れる。

「明日天気になりますように。…「晴娘」、どうか我の願いを叶えてください」

 きゅっと、両の目をつぶり、祈る一太郎。
 その幼い声に答えるように、揺れる「晴娘」。

「さぁ坊ちゃん、此処ではお体が冷えてしまいますから」

 仁吉に促され、まだ名残惜しげに紙人形を見つめていた一太郎は、けれど、再び佐助に抱え上げられて、部屋へと戻されてしまった。





 翌日、久方ぶりに見えた青空に、一太郎の歓声が上がった。
 
「ありがとう「晴娘」っ」

 見上げ、向けられた言葉に、どこか嬉しそうに、「晴娘」が、初夏の風に揺れていた―。