水面に流す彼岸花。
 流れるそれに願いを託す。

 ―君へ届くように―

 黒い水面に浮かんだ花は、無事に流れに乗った。
 静かに遠ざかり、紅い点となり、やがて見えなくなる。
 それを見届け、立ち上がる。
 河川敷を登る足元で、柔らかく生い茂った雑草が、靴の下で潰れ、また頭をもたげる。
 勢い良く、傍らを通り抜ける車。
 巻き上げられた汚れた風が、髪を弄る。
 振り返った水面にはもう、あの紅い花はなかった。
「……」
 ポケットに両手を突っ込み、歩き出す。
 足の向く先は、家路とは反対方向。
 やがて見えてきたコンクリートの塊に、知らず笑みが零れた。

「……」
 口元に笑みを乗せたまま、一人螺旋階段を登る自分は、どんなにか不気味なことだろう。
 けれどそれは、今はもうどうでも良かった。
 学校帰りに見つけたこの白い塔は、あの子に逢いに行くための扉があるから。
 二年前、お別れした可愛いあの子。
 今時珍しいくらい、セキュリティの甘いマンション。
 住民には悪いけれど、感謝せずにはいられない。

「……はっ」
 最上階に上った頃には、さすがに息が切れていた。
 ゆっくりと呼吸を整え、錆の浮いた手すりを越える。
 ぱらぱらと掌に付いた錆を掃うと、血の臭いに良く似たそれが、鼻腔を擽る。
「……」
 深く息を吸い込み、うっとおしい本能の声をねじ伏せる。
 あの子に出来て、自分に出来ない訳がない。
 知らず、また笑みが浮かぶ。
 下から吹き上げてくる風が、前髪を揺らす。
 そのままそれは、楽しいほどに晴れ渡った空に、消えた。
 痛いくらいに無音だった。
 下の喧騒も、此処には届かない。
 遙か地上では、小さな影が確かに細々と動いているのに、全て無音と言うのは随分奇妙な感覚だった。
「せーのっ」
 小さな掛け声と共に、手摺から手を離し、コンクリートの床を蹴る。
 頬を弄る風に、願いを託す。

 ―君に逢えるように―

 落ちていく体。
 上昇する意識。

 やがて少年は、

 コンクリートに咲く一輪の、

 紅い紅い花となった―。