「休憩に入っておくれな」
番頭の声に顔を上げる。
客足が途絶えた店中は、日が差し込まなくなったのも手伝って、ひどく閑散として見えた。
午前中、いつにも増して忙しかった分、皆、不意に訪れたこの静寂に、ほっと息を吐いているのが分かる。
何人かは、もうすでに休憩に出たらしく、姿が見えない。
手元の帳簿にひと段落をつけると、仁吉は一太郎の様子見も兼ねて、離れへと腰を上げた。
磨きこまれた廊下を歩きながら、そう言えば、離れがひどく静かなことに気付く。
まさかまた抜け出したのではと、焦り覗いた部屋の中、仁吉は思わず、その切れ長の目を驚きに見開いた。
一太郎は、大人しく自分の布団で寝息を立てている。
その周りで、日頃煩い鳴家たちも、午後の陽気に気が和んだのか、眠り扱けていた。
「…なんでお前まで寝てるんだい」
思わず、呟く。
一太郎の布団の傍ら、小箪笥に凭れ掛るようにして、佐助まで寝息を立てていた。
温かな日差しが、部屋全体に差し込み、それは確かに眠気を誘う。
けれど佐助が寝扱けるなんて珍しいと、仁吉は傍らにしゃがみこみ、その顔を覗きこむ。
差し込む日が、小箪笥の木目を柔く滲ませる。
「……」
鋭い印象を与える目も、今は閉じられていて、穏やかな寝息を立てるその横顔は、無防備で。
差し込む日差しが陰影を作る唇に、そっと指を這わせれば、微かに指先に舌が触れ、無意識であろうその行動に、仁吉は思わず笑みを零す。
そんな佐助の膝の上で、寝息を立てている存在に気付き、思わず、眇められる双眸。
「で?何でお前はそんなとこで寝てるんだい図々しい」
低く呟きながら、佐助の膝の上、丸まりながら、皆と同じように寝息を立てるお獅子の首根っこを引っ掴んで放り投げる。
箱根からこっち、何故だか知らぬが、やたらとこの新米の付喪神は、佐助に懐いていた。
唐突に心地よい眠りから叩き起こされ、お獅子は不満げに鼻に皺を寄せたが、仁吉に睨まれ、大人しく一太郎の布団の端で、再び丸くなって寝息を立て始める。
静かに満ち足りた空気の中、仁吉は再び、視線を佐助へと戻す。
起こすのは忍びないが、いつまでも寝扱けている訳にもいかないだろう。
規則正しく上下する肩に手を掛け、軽く揺さぶる。
「佐助、起きな。…佐助」
「ん…ぅ…」
寝起きの、掠れた声と共にゆっくりと開かれた双眸は、まだぼんやりとして、いつもの鋭さが無い。
焦点の定まらぬ、危うげな瞳で見上げられ、漏れるのは苦笑。
「にきち…?」
未だ回らぬ舌で名前を呼ばれ、仁吉はそっと、その少し乱れた後ろ髪を梳いてやる。
「お前いつから寝てたんだい?仕事は?」
髪を梳く手が心地良いのか、佐助は再び目を閉じるが、意識は未だあるようで、
「今日は暇だから若だんなについてろと…」
と、相変わらず掠れた声が告げた。
「そうかい。ならよか…佐助?」
言葉が途切れたのは、己の肩に温かい重みが掛かったから。
呼びかけると、目を閉じたまま、佐助の唇が微かに動く。
「あと少しだけ…」
後半半分は、ほとんど声にならない吐息だった。
佐助の、柔らかな髪が、首筋を擽る。
すぐ傍で、再び刻まれ始める寝息。
「やれやれ…」
溜息を付きながら、それでも、唇に浮かぶのは微笑。
半身を自分に預けて眠る佐助の体温が、ひどく心地良かったから。
仁吉はそう理由付けして、自分もそっと、その瞼を閉じた―。