宴会の後の静けさが、部屋を満たす。
見下ろす足元、見つめるその先で、微かに、長い睫が震える。
規則正しかった寝息が、僅か、乱れた。
―もうそろそろか…―
思ったその先、ゆっくりと瞼が開かれる。
ぼんやりとしたその目が、自分の足を辿り、やがて、視線が絡む。
「あ…仁吉さん…?」
少し呂律が回っていないのは、酒の所為か、寝起きの所為か。
恐らくはその両方。
「随分飲んだみたいだねぇ」
猫撫で声で、向けるのは笑顔。
上体を起こした屏風のぞきは、相変わらずぼんやりとした表情のまま、へらりと笑う。
「長崎屋の門出の祝いだもの」
酒の所為で感覚が鈍くなっているのか、何時もなら笑顔なぞ向けようものなら、警戒して後退るところだが、今はその素振りも無く、ただへらへらと、笑う。
いつもなら、仁吉に対してこんな風に笑うのも珍しい。
静かな部屋を見回して、僅か、小首を傾げる。
上気した項にはらり、髪が流れた。
「何だい、皆帰っちまったのかい?」
頷けば、まるで幼子の不満げに唇を尖らせる。
その顔にすいと、顔を近づけ、覗き込む。
作るのは、笑顔。
ただし目は、笑わずに。
「お前…今日は随分若だんなにべたべたと触ってくれたじゃないか」
その言葉に、やはり、酒の所為で頭が回らなくなっているのか、屏風のぞきは怯える事も無く、一瞬、きょとんとした表情を見せた後、記憶の糸を辿るように視線を天上に向けた。
「あー…あ?そんなことあったけ?」
言いながら、また、小首を傾げる。
潤んだ目元は、朱に染まって。
無防備ともいえるその仕草に、にやり、口角が上がる。
「あったよ。まるで若だんなに気があるような仕草だったね」
言いながら、その形のいい唇を指先でなぞれば、自然、薄く開く。
ちろりと、微かに覗く、赤い舌。
いつもよりも熱を孕んだ吐息が、指先を擽る。
その唇が、不意に、笑みを刻んだ。
「そんなこと無いよぅ」
相変わらず、へらりと笑いながら、言う。
いっそ無邪気とも言える目が、見上げてくる。
「あたしが好いてんのはあんただもの」
にへらと、嬉しそうな笑い顔で言われ、仁吉はひょいと、器用にその肩眉を吊り上げた。
こんな言葉は、滅多に聞ける例が無くて。
思わず、口角が上がる。
「へぇ?そりゃあ初めて聞いたね」
揶揄するように言えば、立てた膝を胡坐に変えて、不満げに唇を尖らせる屏風のぞき
「好きじゃなきゃあ、あんなことするもんかい」
頬を膨らませながら言われた言葉に、思わず、笑いそうになり、喉の奥、殺す。
「本当かねぇ?」
「……」
不意に、屏風のぞきの顔から、表情が消えた。
内心、小首を傾げつつ、どうしたのだろうと覗き込んだ途端、ぐっと首を引き寄せられる。
唇に触れる、柔らかな感触。
そのまま、口腔内、絡んできた舌に残る、甘い、酒の香り。
一瞬、意外そうに肩眉を上げた仁吉は、けれど、次の瞬間にはもう、しっかりとそれに応えていて。
「ふぁ…」
屏風のぞきから漏れる、甘さを孕んだ吐息。
唇を離せば、伝う銀糸。
濡れた唇から微かに覗く、赤い舌が、更に、熱を煽って。
両の膝を立てた屏風のぞきの、割れた裾から零れた白い足が、仁吉の腰に絡む。
引き寄せ、誘うそれは、ひどく淫猥で。
「あんただけに決まってるだろ」
その唇、浮かぶのは、ひどく艶を孕んだ、微笑。
まるで挑むように向けられたそれに、仁吉はにやり、口角を吊り上げた。
「そいつは…嬉しいね」
言いながら、再び深く口付け、屏風のぞきの着物の合わせ目、手を差し込む。
身体を這うひんやりとしたその手に、屏風のぞきは喉をのけぞらせながら、それでも、満足そうに微笑った―。
「酔いつぶれた奴を襲うかい、普通…」
行為の最中で意識を失うように寝てしまった屏風のぞきの、目覚めて開口一番の言葉に、仁吉は眉を顰めながら、器用に方眉だけ上げてみさせた。
もうすっかり酒は抜けたのだろう、その声は、寝起きの割には、しっかりとしていて。
けれど、いつもよりも掠れた声が、先の激しさを暗に示す。
「どの口が言ってんだい。…自分で誘ったんだろうが」
最後の一言は、揶揄するように意地悪く口角を吊り上げて言えば、屏風のぞきは驚いたように目を見開いた後、否定しようと口を開きかける。
けれど、その記憶の端、覚えがあったのか、徐々に、強張る表情。
目元が朱に染まっていく。
一つ思い出せば、後から後から記憶は出てきたようで。
素面では絶対に見せない己の言動の数々に、その頬が面白いぐらい赤くなる。
「あ…ぜ、全部覚えて…?」
情けないほど弱々しい声に、けらけらと笑い、頷く。
「当たり前だろう。あたしゃほとんど酒なんか入ってないんだから」
その言葉に、屏風のぞきが、ばたり、布団に突っ伏する。
背けられた顔、僅かに覗く耳が赤い。
「いっそ死にたい…」
呟かれた言葉に、仁吉は声を立てて笑った。
「素直なお前さんも可愛かったよ」
背けられた顔、後から覗き込むようにして、底意地悪く笑えば、もう何も言い返す気力が無いのか、屏風のぞきは全て諦めたように溜息と共に、目を閉じる。
そんな屏風のぞきに、いつまでも楽しげに笑う仁吉。
その夜、もう二度と仁吉の前では絶対に酔いつぶれたりなどしないと、屏風のぞきは硬く誓った―。