とんとんと、己の華やかな表面を、拙い手が、叩く気配に、目を覚ます。
真闇の部屋の中、妖の眼を凝らせば、寝起きの、まだぼんやりとした視界の中で、濡れた幼い瞳が、じっと此方を見上げていた。
「どうした坊ちゃん。厠かい?」
自分を含めて。
周りに人ならぬ者が溢れているからか、夜の真闇を恐れることは無かったけれど。
それでも、寝起きの拙い足取りのまま、一人で行かせるのは危ういと、夜の小用は、必ず誰か呼ぶように、言いつけていたから。
今もそれかと、しゅるり、屏風から抜け出て、小さな背と、視線を合わす。
「ちがう…」
まだ、眠気が残るのか。
眼を擦りながら、呟かれた言葉に、殆ど癖のように、幼子の額に、手を当てていた。
「何だ、身体が辛いのかい?」
熱は無いようだが…と安堵しつつも、小首を傾げれば、くいと、袖を引かれた。
「ちがうの。…兄やのところに行きたい…」
零された言葉に、屏風のぞきはふ、と笑みを浮かべる。
あの兄やは気に食わないが。
普段、齢よりもずっと、聞き分けの良い一太郎が、こんな風に、不意に見せる齢相応の子供らしさが、微笑ましいと、思う。
「なんだ、寂しいのかい?」
問いかければ、素直に、こくりと一つ、頷かれる。
一人で寝るようになって、本当にもう随分と立つけれど。
時折、怖い夢でも見るのか、人恋しいと、思うようで。
屏風のぞきは笑って、差し出された幼い手を、握ってやった。
「じゃあ、行こうか」
人は夜目が利かない。
真闇の廊下を、手を引いて歩いてやりながら、奥の部屋へと向かう。
「兄やたち…もう寝てるかなぁ…」
少し不安げに。
きゅうと、自分の手を握り締めながら、見上げてくる幼い眼に、笑って、首を振る。
ふうわり、その柔らかな髪を、撫でてやった。
「大丈夫さ。あの兄やさん方なら…」
言い終わる、その前に。
廊下に響いたのは、襖の開く音。
廊下の向こう、不意に、明かりが灯る。
「ほうら、おいでなすった」
「坊ちゃん、どうされました」
二人、揃って。
蝋燭を手に、部屋から駆け寄ってくる二人に、一太郎は少し、気恥ずかしそうに。
屏風のぞきの足に、ぎゅっとしがみついて隠れてしまう。
頭に置いたままの手で、かるく促しながら。
「ほら坊ちゃん。ちゃんと自分で言わないと、勘違いした兄やさんに、また苦い薬を飲まされちまうよ」
笑いながら言えば、病ではないのかと、兄やたちの表情に、安堵の色が、浮かぶ。
二人、顔を見合わせて、笑みを交わして。
優しげな笑い顔のまま、一太郎の前に、屈みこむ。
「ほら、坊ちゃん…」
促せば、屏風のぞきの後から、ひょこり、顔だけ覗かせて。
「あの、あのね。…一緒に寝ても、良い?」
はにかむ様に笑いながら。
小首を傾げて尋ねるのに、二人の兄やが、破顔する。
「良いですよ。一緒に寝ましょう」
両の手を、佐助と仁吉に、取ってもらって。
兄やの部屋へと、入る。
「何で坊ちゃんの布団も持ってこなかったんだい」
「うるさいねぇ。あんたが畳で寝りゃあ、それでいいだろ」
言った途端。
仁吉の平手が、屏風のぞきの、後頭を張つく。
「痛ったいねぇ!」
「は…っ」
「……二人ともうるさいよ…」
佐助の言葉に、二人慌てて、口を閉じる。
見ればもう、一太郎は佐助と二人、布団にもぐりこんでいて。
結局、仁吉と佐助の布団を、二つ合わせて、三人、川の字になって、寝ることになった。
「で、何でお前がまだいるんだい」
「坊ちゃんが心配だもの。あたしだって此処で寝るさ」
お前は構うなと言うように、ひらひらと手を振って。
三人の頭の上、勝手に拝借した座布団を枕に、ごろり、畳に寝転がるのに、仁吉が迷惑そうに眉根を寄せる。
「仁吉…」
くいくいと、袖を引かれて。
仁吉が視線をやれば、眠そうに眼を瞬かせる一太郎が、そこにいて。
「みんな、一緒が良いよう…」
その言葉に、屏風のぞきが勝ち誇った様に笑みを浮かべた。
頭の上の市松模様は、気に食わないが。
大事の一太郎に、そういわれては、仁吉も、黙って布団に潜り込むしか、出来なくて。
そんな様に、佐助が、小さく、笑みを零した。
「みんな、おやすみ」
「おやすみなさい」
一太郎の声に、三つの声が、応えて。
程なくして、聞こえ始めた小さな寝息に、見守る三人の顔には、同じ色の笑みが、浮かんでいた。