「何しにきたんだ」
 部屋に入った途端、投げつけられてくる剣呑な声に思わずムッとする。
「佐助さんに頼まれてね。お前さんの面倒を見に来たんだよ」
 布団の横に膝を着きながら、不機嫌さを前面に出して答えれば、すぐに「帰れ」と邪険に追い払われる。
「怪我人が何言ってんだい。若だんなだって寝付いてるんだ。余計な手間をかけされるわけにはいかないだろう?」
 先程自分が佐助に言われた言葉を、そっくりそのまま仁吉に投げると、形の良い眉が思いきり顰められた。
「自分の世話ぐらい自分で出来るさ」
「その腕でかい?」
 さらしの巻かれた腕を指されれば、仁吉はもう黙るしかない。
 朝方佐助が巻いていったまっさらなさらしは、まだ所々赤い血が滲んでいて見るのも痛々しい。
「とりあえず傷に薬を塗ってくれと言われてるんだか…」
 そう言って屏風のぞきは視線を巡らせる。
 一太郎以外頓着しない二人の部屋らしく、簡素な部屋なので直ぐに探し物は見つかった。
「コレでいいのかい?」
 確かめるように眼前に差し出された、屏風のぞきの手の中のものを見止めた途端、仁吉は顔を顰めた。
「違ったのかい?」
 けど塗り薬はコレしかなかったよと、訝しげに小首を傾げれば、気まずげに視線を逸らされた。
「いや…合ってるのは合ってるよ。…けど使わなくて良い」
 不可解な物言いに、屏風のぞきは更に深く、首をかしげる。
「アンタが自分で調合した薬だろう?若だんなにいつも使ってるじゃないか」
 顔を覗きこむようにして問いかけても、「使わなくていい」の一点張りで顔を背けられる。
「なんだいその態度。兎に角やることやっとかないと、後で佐助さんに怒られるのはあたしなんだからねっ」
 先程佐助に強く念押しされていた屏風のぞきは、無理やり仁吉の腕を取ると、手早くさらしを解く。
「―っこのっ」
 仁吉がさっと手を引っ込めようとしたものだから、とっさに強く掴んだ指先が、意図せずして傷口に触れてしまった。
「―っ痛ぅ」
「あっ…ごめんよ」
 今ので傷口が開いたのか、また新たに血が滲み始める。
 パックリと開いたその奥に、白っぽい肉のようなものが見えて、屏風のぞきの顔から血の気が引いた。
「い…今薬を塗るから…っ」
 そういって蛤の合わせから景気良く薬を掬うと、さっと傷口に塗りこめる。
 おぞましい様な色をした薬と、鮮血とが交じり合って、傷口はなんともいえない色となった。
「――――っぅあっ」
 その瞬間、仁吉は腕を抱えて布団の中で蹲った。
「ど…どうしたんだい?」
 慌てて覗き込んだ顔色は青く、額に汗が滲んでいる。
「…っ」
 苦しげに歪められた口元から、人の知れではない牙が覗く。
 屏風のぞきは、思わず身を固くした。
 畳の目に、無意識のうちに爪を立てる。
 それでも傷口をそのまま晒しておくのは拙いと、そろそろと手を伸ばす。
「さらしを巻くよ…?そのままにしておけないからさ…」
 そっと抱え込まれた手をとっても、今度はもう何も言わなかった。
 そのことに少し安堵して、くるくると器用にさらしを巻いていく。
「はい、出来たよ」
 そう言ってそっと布団の中に手を戻してやる。
 仁吉は未だ、細かく息を吐くばかりで反応は無い。
 それでも先程よりは、少しはマシになったのか、あの鋭い牙は見えなくなっていた。
「そんなに調子が悪いのかぃ?」
 この大妖がこんなにも弱ったところを見た事が無い。
 恐る恐る額に手を当てると、傷の所為で少し熱があるようだったがそんなに酷いものでもない。
「熱…はあるけど酷くは無いね」
 ならばやはり傷が痛むのかしらと考えを巡らせていた時、ふと、以前一太郎が零していた事を思い出す。
『仁吉の薬は良く効くのは確かなんだけどね…飲めば苦いし塗れば染みるし…』
 その苦さと痛みを思い出したのか、一太郎は酷く顔を顰めていた。 
「塗れば染みる…」 
 そう呟いた時、仁吉の肩がぴくりと、ほんの微かに震えたのを、屏風のぞきは見逃さなかった。
「仁吉さん、アンタもしかして…」 
 胸の内に湧いた考えが、ゆっくりと確信に変わっていく。
「薬が染みて痛いから嫌がっ…」
「うるさいっ!」 
 みなまで言わぬ内に、言葉は怒声に掻き消される。
 頑なにこちらを向かぬ背中が、何よりも強い肯定を示していた。
「…っふ」
 一度噴出してしまえば後はもう歯止めが利かない。
 屏風のぞきの大きな笑い声が、離れに響き渡った―。


 その後、屏風のぞきの意外に献身的な看護のお陰か、仁吉のさらしは程なくして取れた。
 そしてそれ以降、以前ほど、屏風のぞきの仁吉の対する恐怖心は無くなった様だった。

 時折、「あの大妖がねぇ…」と呟いては一人笑うのを、鳴家が目撃しては、小首をかしげていたという―。