大事な一太郎の瞳に光が戻って。
 随分と久しぶりに、手代部屋の布団で、佐助と二人、眠りにつく事が出来た。
 きゅっと、抱きすくめた腕の中の存在の、その、首筋に。
 仁吉は決して柔くない力で、歯を立てた。

「痛…っ」
 
 不意に、首筋に走った痛みに、佐助は僅かに、顔を顰める。
 何をするんだと、背中の仁吉を睨みつけてくるから。
 首筋から顔を上げ、反対に睨みつけた。

「確かめてるんだよ」

 言いながら、くるり、体勢を入れ替える。
 真上から佐助を見下ろせば、その瞳が、困惑に揺れた。

「何を」

 怪訝に眉根を寄せる佐助の額に、こつり、仁吉の額が寄せられる。
 尚も、小首を傾げる佐助に、仁吉が一つ、溜息を付いた。

「お前が、帰ってこなかったらどうしようかと思った」

 そんなことはありえないと、分かってはいたけれど。
 目を、覚ました時は、思わず、その額に手を当てて、無事を確かめた己が、いた。
 心配、だったのだ。

「そんなことあるわけ無いだろう」

 困った様に、苦笑して。
 佐助の手が、仁吉の背を、安心させる様に叩く。

「でも、何日も目を覚まさなかったじゃないか」
 
 おまけに、相手はただの鬼ではなく、人の女だという。
 それが、仁吉の不安を掻き立てたのだ。

「おたきは、優しい女だったんだよ」

 宥めるように言う、その声はひどく優しい。
 だから、不安だったのだと、仁吉は言いたい。
 
「優しいのは、お前だよ」

 佐助は、誰より、何より、優しいから。
 枕に取り付いた、哀れな女の傍に、居続けてやってしまうんじゃあ、無いだろうか。
 そんな不安が、日が過ぎるたび、仁吉の心に、滲み出した。
 知っていたら、絶対に、行かせはしなかったのに。

「仁吉…」

 知らず、唇を噛み締めていたのか、佐助の指先に、そっと、唇をなぞられ、その指先を汚す赤に、我に返る。
 心配げに眉根を寄せて、見上げてくるのに、ふ、と口元に苦い笑みが乗る。

「よかったよ…。戻ってこれて。…本当に良かった…」

 きゅっと、確かめるように、佐助を抱きすくめる。
 背に回る腕に、その久しい温もりに、知らず、笑みが零れた。

「そう言えばお前、その女と、夢の中で夫婦だったんだよね?」

 ふと、ある事に引っ掛かって。
 顔を上げて訊ねれば、佐助が不思議そうに小首を傾げながら、一つ、頷く。
 ぎっと、また、眉間に皺が寄るのが、己でも分かる。
 唐突に、睨みつけられて、佐助が僅か、身構えた。

「お前…」
「何…?」

 夫婦、だったのだ。
 それも、仲の良い、夫婦だったというのだ。

「寝たのか」

 可能性としては大いにあるだろうと、睨み付る眼に、力が篭る。
 けれど、余りに予想外の問いだったのか。
 佐助は一瞬、きょとんと目を見開いた後、怪訝に、思い切り眉を顰め、

「は?」

 と、間が抜けた応えを寄越してきた。

「だから、情を交わしたのかって訊いてるんだよ」
「な……っ?―――っ!馬鹿かっ?」

 分かりやすく言えば、一体何をそんなに怒ることがあるのか、佐助は見開いた目元を、紅く染めて。
 思い切り、近すぎる距離で怒鳴られ、仁吉は僅かに、眉を顰めた。

「何で。夫婦なんだっらそれぐらいしかすることが…」
「無い分けないだろうっ?大体あたしはおたきを助けて、若だんなの為の…」

 途中まで言いかけて、結局、佐助は疲れたような溜息を一つ、吐き出した。
 
「もう良い。…寝る」
「あ、お待ちよ」

 腕の中で、くるりと身体を横に向けて。
 瞳を閉じてしまう横顔に、話はまだ済んでいないと、声を掛ければ、佐助の口元が、小さく、動いた。

「…大体、お前以外とするわけないだろ」
「…………」

 寄せた耳に、届いた声は、余りに小さかったけれど。
 仁吉の言葉を、奪うには十分で。
 知らず、口元を手で、押さえていた。
 頬が、熱い。

「佐助…」
「うるさい。寝るって言っただろう」
 
 不機嫌に眉を顰めたまま、背ける顔は、耳まで赤い。
 思わず、口元が緩む。
 ぎゅうと、抱きすくめる腕に、力を込めた。

「好きだよ。ずっと」

 誰より愛しい存在に。
 夢の中の女の跡を、消すように。
 仁吉はそっと、その首筋に唇を寄せた。