「なぁ坊ちゃん、外はまだ寒いよ」
小さな肩を抱いて、押し留めようと、その、まだ丸い頬を覗き込む。
「良いの。我は平気だから。…屏風のぞきにもおみやげを取ってくるからね」
邪気の無い笑い顔は可愛いが。
言い切る目は、幼いなりに、強い光を宿していて。
一体誰が桜が咲いたなんて、この子に教えたんだと、屏風のぞきは天井を睨み付けた。
「けどねぇ…この間熱を出したばかりだろう?また兄やさんがたに怒られるよ」
あたしが。と、内心で付け足して。
もう一度一太郎の顔を覗き込めば、ぶうと、頬を膨らまされて、屏風のぞきは片眉を引き上げた。
「兄やたちが我をお外に出したがらないのはいつもだもの」
確かに。と頷きかけて慌てて首を振る。
桜が咲いたとはいえ、まだ風は冷たい。何より、三日前にやっと、熱が下がったばかりのこの子を、外に出すわけには行かなかった。
けれど幼い目は一向に譲る気配を見せなくて。
さてどうしたものかと、屏風のぞきは宙を睨む。
「そうは言ってもねぇ…」
「もう良いよ。我は行くったら行くんだから」
市松模様の袖を振り切って。
縁側から直接、庭に降りようとするその裾を、慌てて引っ掴む。
「屏風のぞき?」
「あー…うぅ…っ駄目だ坊ちゃん、急に腹が痛くなってきた」
言いながら、縁側に腹を押さえて蹲ってみる。
一太郎が驚いた様に、両の目を見開いた。
「だ、大丈夫?」
心配げな声音に、内心、笑みを漏らす。
けれど、表情に出すのは、眉根を寄せた苦悶のそれ。
「兄やたちを呼んでくるよ」
「い、いや、それは良いよ。うん、そこまでは至らない」
慌てて駆け出そうとするのを、半ば必死で、引き止める。
兄や、それも仁吉なんぞ呼ばれたら、それこそ何を言われるか分からない。
「大丈夫。坊ちゃんが傍にいてくれたら、大丈夫だよ」
切れ切れに、できるだけ具合の悪そうな声音で、言ってみる。
一太郎のまだ幼い、柔らかな小さい手のひらが、ひたり、屏風のぞきの額に触れる。
「お熱は無いみたいだけど…」
その、立派な看病人の仕草に、笑みを零してしまいそうになりながら。
きゅっと、掴んだままだった裾を、握り締めた。
「傍に、いてくれるだろう?」
覗き込むように見上げた幼い顔は、心配そうに、こくりと一つ、頷いてくれた。
小さな手に、ぐっと、肩を押されて。
大した力ではないのだけれど。
屏風のぞきを困らせるには、十分だった。
「坊ちゃん、そこまでしなくっても大丈夫だよ」
「駄目だよ、寝てなくちゃあ。いつも屏風のぞきだって言ってるでしょう?」
言われてしまえば、言葉に詰まる。
それでも、一応はこの離れの主、一太郎の布団に横になるのは、気が引ける。
何より、己が寝ていて、一太郎が起きているというのが、落ち着かなくていけない。
「ほら早く、寝なくちゃ駄目だよ」
「うぅん…。そうだねぇ…あぁそうだ、坊ちゃんも一緒に寝ておくれよ」
そう言ってぽんぽんと、己の隣の布団を叩けば、一太郎の黒く濡れた幼い眼が、見開かれた。
一太郎が小さな胸を、反らして。
「もう、屏風のぞきはおおきいのに。仕方がないなあ」
なんて、取り澄まして言いながら。
何処か得意げに、布団に潜り込んで来る。
「ついててあげるから、ちゃんと寝るんだよ」
思わず、零れそうになる笑いを、必死に堪えて。
神妙に、頷いてみせる。
一人っ子で、病弱で。
いつも、誰かの世話にならねばならず。
そんな己を、幼いなりに、不甲斐ないと思っているのは、知っていた。
「おなか、大丈夫?」
「へ?あ、あぁ。…大丈夫だ。ありがとうね」
労わる様に。
肩を撫でてくる小さな手に、慌てて頷けば、安心したように、一太郎が笑う。
こうして、自分が誰かの世話を焼くなんてことは、多分、この子が生まれてから初めてのことなんだろう。
何処か得意げで、何処か嬉しそうな。
そんな幼子を、屏風のぞきは、愛しいと思う。
「具合が悪くなったら、すぐに我に言ってね」
「うん」
優しい、他者を労わる言葉に、目元が和む。
幼い幼いと思っていた子は、いつの間にか、少しずつ成長していたらしい。
温かい、春の昼下がり。
いつの間にか、離れには二つの寝息が、零れ始めていた。