かさりと、舞い上がり、吹き込んできた落ち葉が、障子に当たっては、乾いた軽い音を立てて落ちていく。
 微かな隙間から、風が吹き込む。
 けれど、傍らで暖かな音を立てる火鉢があるからか、それほど寒さを感じることは無かった。
 少なくとも、火鉢の傍にいる白沢は。

「寒いだろう。いい加減こっちに来たらどうだい」
「………」

 苦笑交じりに呼びかけても、帰ってくるのは剣呑な視線だけで。
 それほど怒ることだろうかと、小首を傾げるけれど、怒らせてしまったものは、仕方ない。
 一刻程も前から、犬神は薄ら寒い部屋の隅、当てつける様に蹲ったまま、こちらには視線すら寄越さない。
 口も、きいてはくれなかった。
 寒いのは苦手なくせにと、内心、苦笑が漏れる。
 現に今も、冷たくなってしまっているのだろう。抱え込んだ膝の裏に、己の両の手を差し込んで、少しでも暖を取ろうとしているのが、分かる。
 その仕草に、白沢は思わず、零れそうになる笑いを押し殺して、火鉢の上、暖かな湯気を立てる鉄瓶を、そっと手に取った。
 
「そんなとこにいちゃあ、身体が冷えるだろう」

 言いながら、立ち上がり、近づけば、犬神は一層身を強張らせて。
 暗に示される拒絶を無視して、傍ら、吐息が掛かるほどに近く、身を寄せる。
 思った通り、首筋を撫でる隙間風が、ひどく冷たく、寒い。

「ほら」
 
 ふんわりと、暖かな湯気が立ち上る湯飲みを差し出しても、犬神が受け取るはずも無く。
 強引に唇に湯飲みの淵を押し付ければ、熱かったのだろう、傍らの体温が、微かに身じろいで。
 その、軽い衝撃に、湯飲みの中の白湯が、揺れる。

「ほら、零れちまうよ」

 再度、促せば、引っ込められることの無い手に、犬神は不承不承、湯飲みを受け取った。
 不服そうに、睨み付けて来るから、にこりと、一等人好きのする笑顔を向けてやる。
 途端、視線はすぐに逸らされて。
 ずっと、言葉も無く白湯をすするその耳の根元を、そっと、優しく掻いてやる。
 暖かい白湯に、気が緩んだのもあるのだろう。
 心地良いその手に、無意識に擦り寄りそうになり、それに気付いて、慌てて手から逃れる犬神。
 その様に、つい、笑いを零せば、不機嫌そうな横顔は、一層深く、眉間に皺を刻む。

「こっちを向いておくれな。…全部あたしの独り言になっちまう」
 
 声音には、寂しげな色を混ぜて。
 ちらり、投げ寄越された視線に、やはり、寂しげな色を浮かべた微笑を返せば、瞳に過ぎる、微かな戸惑いの色。
 すぐに逸らされたけれど、その横顔には、微かに困惑げな色が浮かんでいて。
 内心で笑みを零して、そっと、後ろから抱き込む様に、腕を絡ませれば、びくりと、身を震わせたけれど、振り払われることは無く。
 機嫌を取るように、柔く髪を梳き、耳の根元を掻いてやり。
 そっと、首筋に顔を埋めれば、そこに、己が付けた赤い跡を見つけ。
 軽く、指で辿れば、犬神が微かに、息を詰める気配がした。
 そういえば、今回の犬神の機嫌を損ねることとなった原因は、これだったと、白沢は思い出す。
 どこの誰かは分からぬが、目ざとい狐にこの跡を指摘され、己が付けたのだと言えば、どうやらそれは、ひどく犬神の機嫌を損ね。
 どうしてそんなことでと、思うけれど。
 どうやら、その態度も、宜しくなかったらしい。
 
「もう…」
「ん?」

 ようやっと、零された、小さな声を聞き逃すまいと、耳を寄せる。
 優しく、耳の根元を掻いてやりながら、続きを待つ。
 今度は、逃れることなく、擦り寄せてきて。

「もう、見えるところにつけるのは…」

 やめろと、言外に言うのに、白沢は微かに、眉根を寄せた。

「どうしてだい?」

 返ってきた疑問符に、犬神が白沢を振り返る。
 睨み付けるその目元が、微かに赤い。

「恥ずかしいからに決まってるだろうっ」

 その言葉に、白沢は一瞬、驚いたように目を見開いたけれど。
 せっかく直りかけた機嫌を、また、損ねるわけには行かなくて。
 軽く苦笑を零しながら、宥めるように、髪を梳き、頷いてみせる。

「分かった分かった。…もうしないよ」

 犬神は一瞬、胡乱げな視線を投げてきたけれど、微かな溜息と共に、再び身を預けてきて。
 ぽつり、ぽつりと、言葉を零す。

「…人前で、あんな事言うのも…」
「もうしない」

 頷けば、伺うように振り仰いできたので、返すのは微笑。
 軽く、瞼に口付けを落とせば、犬神は全体重を白沢に預けてきて。
 抱きとめれば、擦り寄るような仕草を見せた。

「犬神…?」

 珍しいそれに、微かに目を見開けば、きゅうと、白沢の袂を握り、ぽつり、零される言葉。

「寒い…」

 呟かれたそれに、思わず、笑みが漏れる。
 冷えてしまった身体を、しっかりと抱き込んでやりながら、そういえば、こんな風に他人の機嫌を取るなど、ずいぶんと久しいなと、思い出す。

「お前だけだよ…」
「え?」

 聞き返す犬神に、なんでもないと、首を振る白沢の口元には、ひどく穏やかな笑みが浮かんでいた−。