互いに身を寄せ合うようにして眠るのが、いつの間にか当たり前になっていて。
 触れ合った箇所から、流れ込んでくる体温が、ひどく心地良く、愛おしい。
 
「おやすみ」

 白沢の肩口に顔を埋めながら、犬神が小さく、告げる。

「おやすみ」

 無意識に、口元に笑みを含みながら、返した途端。
 はじかれた様に顔を上げた犬神に、閉じかけていた目を、開く。
 顔を上げれば、驚いた様にこちらを見上げる犬神と、目が合った。

「なんだい…?」
「いや…白沢が返してくれたの、初めてだなと思って」

 言って、犬神がはにかむ様に、ひどく嬉しそうに、笑った。
 その言葉に、今度は白沢が、目を見開く。
 言われて、初めて気付いたけれど。
 そう、かもしれない。
 『おはよう』だの『おやすみ』だの。
 今までまともに交わす相手もいなかったから。
 今までまともに返してすら、いなかったのかも知れない。

「そう、だったかね」
「そうだよ。…いっつも「あぁ」とか「うん」だったろうが」

 軽く、白沢の口調を真似る犬神に、言われた通りに返していた己を思い出し、漏れるのは苦笑。
 少し不満げなその口調に、揶揄する様に、笑ってみる。

「随分不満だったみたいだねぇ?」
「当たり前だろう。……返してくれなきゃ、寂しい心地がするじゃあないか」

 言葉尻に、ほんの少し、拗ねる様な色が、滲む。
 白沢の肩口に顔を埋めることで、器用に視線を逸らす犬神に、また、苦笑が漏れる。

「そりゃあ悪かったねぇ。…生憎勝手が分からないんだ。堪忍しとくれよ」

 宥めるように、柔く、耳の根元を掻いてやれば、無意識だろう。
 擦り寄るような仕草を見せるのが愛おしい。

「別に…。これからはちゃんと返せよ」

 上目越しに、軽く睨みつけてくるから。
 頷けば、どちらとも無く、笑みが零れた。

「犬神」

 きゅうと、腕の中の存在を、強く抱きしめて。
 その耳元、囁くように、言葉を落とす。

「愛しい、よ」

 吐息が、耳を掠めたのか、言葉が、胸を掠めたのか。
 犬神が小さく、息を詰めたのが、空気で分かる。
 覗きこんだ目元が、僅かに、朱い。

「………」

 目が合えば、ふいと、気恥ずかしげに視線を逸らすから。
 知らず、口角が吊り上る。

「応えとくれよ。……返してくれなきゃ、寂しい心地がするじゃあないか」

 先ほどの言葉を、そっくり返せば、鋭い視線を、投げつけてくるけれど。
 朱に染まった目元では、あまり効果は無い。

「犬神…」

 促すように、瞼に一つ、口付けを落とす。

「犬神…」

 ほんの少し、強請るような色を滲ませて、首筋に唇を寄せれば、腕の中の体が、小さく、震えた。

「あ、たしも…」

 きゅっと、白沢の夜着を掴む手指に、力が篭る。

「愛しい、よ…」

 殆ど消え入りそうな声音で、耳元、囁くように落とされた言葉に、ざわり、胸が騒いだ。
 ぎゅっと、ひどく愛おしい体温を、掻き抱いて。
 満たすのは、幸福。
 白沢はゆっくりと、その瞼を閉じた。




 ふわり、意識が引き上げられる。
 まだ蔀戸も開けぬ、薄暗い部屋の中、瞼を開けば、腕の中で犬神が僅か、身じろいだ。
 そっと、柔く耳の根元を掻いてやれば、無意識に、擦り寄る仕草を見せるのが愛おしい。
 その睫毛が微かに、震え出す。
 ゆっくりと瞼を開いた犬神の、まだぼんやりと焦点の定まらぬ瞳に、向けるのは微笑。
 
「おはよう」

 ひどく、幸福な目覚めを分かち合う様に、ゆっくりと口にする。
 ふうわりと。
 まるで幸福そうに。

「おはよう」

 犬神がそう言って、ひどく嬉しそうに、笑った。