褥の上に、投げ出したままの足元。
 たった今行為を終えたばかりだというのに。
 不意に、夜着の裾を捲り上げられ、白沢の少し冷たい指先が、踝から脹脛へと、這わされる。
 
「何…」
「傷、薄くなったね」
 
 するんだと、続く言葉が、宙に浮いた。
 視線を落とせば、白沢の指先にある、少し色素の薄い皮膚が、鈍く艶めいていた。
 踝から膝下まで。
 かろうじで着物に隠れる其処は、普段は目に付くことは無い。

「あたしの薬も、効かなかった」

 皮衣に拾われた当初。
 狐火にやられ、襤褸切れの如く傷ついた犬神に、白沢手製の薬を塗りこんでは、悲鳴を上げさせた。
 お陰で狐火にやられたのであろう傷は、すぐに癒え、今となっては跡形もない。
 けれど、最も酷かったこの脚の傷は決して癒えることが無くて。
 火傷らしいそれは、いつまでもじくじくと膿み、痛々しく肉を露出させていた。
 
「あたし薬が効かないなんて初めてだったよ」

 心外そうに言う白沢に、犬神はただ、苦く笑う。
 そもそも、妖の身は随分丈夫に出来ている。
 この程度の傷が、いつまでも癒えぬわけが無い。
 なのに、いくら月日を重ねても、犬神の脚の傷に、新しい皮が張られることは無かった。

「あの時の、傷だから…」

 あの、火事の時。
 着物から燃え移った火が、犬神の皮膚を焼いた。
 あの日から、その傷は癒えることなど無く、ただいつまでも犬神を苛んだ。
 それはまるで、責める様に、詰るように。
 決して、忘れることなど許さぬように。
 それが、いつからだろうか。
 白沢と穏やかな日々を過ごせるようになってから。
 痛みは消え、傷は乾き、薄皮が張った。
 いつの間にか、傷を気にすることさえ、無くなった。

「……でも、多分これは永劫消えない」

 そっと、己の指先を、ほんの少し隆起した傷跡の、奇妙に艶やかな表面に這わす。
 妖の傷が癒えぬのは、そこになんらかの強い思いが、篭っているから。

「でも、それで良いんだよ」

 じっと、傷を見つめる犬神の目に浮かぶのは、穏やかな微笑。

「今度はきっと、守り抜いて見せる。そう、思わせてくれるから」

 しっかりと、白沢の眼を見つめながら。
 言い切る瞳は、強い光を宿していて。
 揺ぎの無いその眼に、白沢の口元、笑みが乗る。

「そうかい」

 ただ一言、そう返して。
 ごろり、褥に横になる。
 身に馴染んだ仕草で、犬神を抱きすくめれば、不意に、手をとられ、閉じかけていた眼を、開く。

「ありがとう」

 笑い告げられた言葉に、小さく、笑みを零す。
 
「さあ?あたしの薬は効かなかったけれど」

 態と、拗ねた様に言えば、犬神が声を立てて、笑った。 

「でも、白沢のおかげだよ」

 屈託のない、その笑い顔に。
 つられ、白沢からも笑みが零れる。

「お前自身の、おかげだろうさ」

 驚いた様に、目を見開いた犬神の瞼に、そっと口付けを落として。

「おやすみ」

 今度こそ本当に、瞼を閉じる。
 きゅっと、取られたままの手に、不意に力を込められて。

「ありがとう…」

 小さく、呟かれたその声には、気付かぬふりで。
 白沢は一層強く、その身を抱きすくめた。