ぬかった。
 しくじった。
 隙を突かれた。
 そんな言葉ばかりが、先程から仁吉の頭をぐるぐると回って。
 切れ長の目が、じとりと、据わっている。
 その物騒な視線の先には、文机に向かい、何事か考え込むように、眉間に皺を寄せる佐助の姿。
 その手元、置かれたのは、愛らしい薄桃色の紙に、たおやかな文字で綴られた文。
 一見して、女子からの恋文だと分かるそれは、仁吉が貰ってきたものではない。
 そんなものは、とうに風呂の焚きつけになっていた。

「捨てちまえば良いじゃないか」

 何度目か分からぬ言葉は、棘が滲む。
 何度目か分からぬ、咎める様な視線を、投げられる。

「気持ちが篭ってるものを、粗末になんか出来ないだろう」

 言いながら、視線は手元の文に戻されていて。
 そこに書かれているのは、佐助への恋心。
 荷届けに行った先で、受け取ったのだという。

「答えを返さなけりゃあねぇ…」

 困った様に零された言葉に、仁吉は舌打ちを漏らしたい心地にさせられる。
 こうなるから、厭なのだ。
 佐助は誰より優しいから、ろくに言葉も交わしたことのないような娘にまで、その心を割く。
 傷つけないように、悲しませないように、気まずい思いをさせないように。
 だから、そんなことが無いように、今まで殆ど全て、仁吉が阻んできた。
 それでも、ごく偶に、何処の誰とも知らぬ者の想いが、佐助に届いてしまうことがある。
 今が、それだ。

「どうしたもんかねぇ…」

 行灯の灯りに照らされた、悩む横顔は真剣で。
 先程から、文を睨みつけるばかり。
 そのことがまた、仁吉を苛立たせた。

「馬鹿じゃあないのかい。そんなものはただの娘の気まぐれさ。暇つぶしさ。想いを伝えたら、それだけで向こうは満足なんだから」

 一息に、言い切る。
 佐助が、僅かに驚いたように目を見開いて、こちらを見つめていた。

「そうなのかい?」
「そうさ。現にあたしは一度も返事なんてしてないけれど、それで相手にどうこう言われたことなど、一度も無いね」
 
 きっぱりと、頷いてみせる。
 それでも、佐助は納得しかねる様子で、まだ、視線を文に投げかけていた。

「それでは随分、酷いことをしている気がするけれど…」

 きつく、眉根を寄せて。
 零される言葉に、仁吉の苛立ちは、一層、募る。

「そうだね、確かに酷い」

 呟いて、佐助の襟首を、引っ掴んで、布団の上、引き倒す。

「うわ…っ?」

 不意を突かれた身体は、簡単に倒れこんで。
 抵抗されるより早く、圧し掛かる。
 
「何すんだっ」

 吠え付くのに、向けるのは、憮然とした表情。
 
「お前は酷いよ」
「何が…っ」

 憤る声には頓着せずに、視線で示すのは、文机の上の、恋文。

「あんなものを、想い人に目の前で読まれて、挙句返事で悩まれて相談されて。…あたしが楽しい思いをする訳が無いじゃあないか」
「悩むって…そういう訳じゃあ」

 佐助の目が、困惑に、揺れる。
 仁吉は内心、口角を吊り上げた。

「あたしはちゃんと断るつもりで…」
「だったら。…もう良いだろう?」

 遮り、まだ、何か良いかける唇を、己のそれで、塞ぐ。
 瞳に、僅かに寂しげな色を浮かばせて見つめれば、困った様に眉根を寄せながら、それでも、佐助は仁吉の首筋に腕を、絡めてくれた。




「――――っ」

 咄嗟に、息を詰める。
 肌が、粟立つのは、寒さの所為ばかりでないのは、乱れる吐息が示していて。
 握り締めた敷き布が、大きな皺を、作った。

「にき、ち…っ」
「うん?」

 優しげな声音が、耳朶に落ちる。
 そのまま、耳孔に舌を差し込まれ、熱に掠れた、吐息を零す。
 ぎゅっと、硬く閉ざされた瞼を、涙が縁取った。

「んぅ…っやめ…っ」

 背筋を走る快楽に、反射的に、仁吉の肩を押し返してしまう。

「どうして」
「…っぁ…く…っ」

 けれど、一層深く、舌先で弄られ。
 身を捩って、逃れようとすれば、柔く、耳朶に歯を立てられて。
 佐助の唇から、掠れた声が、漏れた。
 
「………っ」

 仁吉の、細く白い指が、佐助の首筋を、辿る。
 それを追う様に、舌を這わされ、ざわりと、快楽に背筋が震えた。

「…っぅ…っ」

 ゆっくりと、降りて行った舌に、胸の突起を弄られ、思わず、息を詰める。
 仁吉の、背に回された手指に、僅か、力が篭った。

「…あ…っ」

 嬲られ、軽く歯を立てられて。
 きつい刺激に、背が、浮く。
 見開かれた眦に、涙が溜まった。
 快楽に、堪えきれず、また、きつくきつく、瞳を閉ざす。
 零れ落ちる涙を、舌先で舐め取られた。

「―――痛ぅっ」

 鎖骨の上、微かな痛みと、水音に、跡を付けられたのを、知る。
 思わず、硬く閉ざしていた瞳を開いて睨みつければ、僅かに、涙で滲んだ視界の向こう、仁吉の目が、底意地悪く、笑う。
 困惑に眉根を寄せれば、形の良い唇が、瞼に一つ、口付けを落としてきてた。

「お前はあたしのものだもの…」

 囁かれる言葉に、とくり、胸が鳴る。
 脳裏を過ぎる、先の仁吉の言葉。
 その切れ長の目に、僅かに過ぎった寂しげな色を思い出し、佐助はそっと、仁吉の白い頬に、指を伸ばす。

「佐助…?」

 怪訝そうな声には、応えずに。
 そっと、仁吉の唇に、己のそれを、重ねる。
 己からすることは、滅多に無くて。
 気恥ずかしさに、目元が熱くなったけれど。
 一瞬、触れただけのそれに、仁吉が驚いたように、己を見下ろしていて。
 思わず、視線を逸らしながら、それでも、口を開く。

「あ、あたしだって…お前が…い…一等愛しい…よ」

 最後は、消え入りそうな声音になってしまったけれど。
 気恥ずかし過ぎてて、耳まで熱い。
 それでも、仁吉には、しっかりと届いたようで。
 酷く嬉しげな笑みを浮かべながら、抱きすくめられた。
 ちらり、視線をやれば、微笑され。
 つられ、零す、照れ笑い。
 寄せられる唇に、ゆっくりと、瞳を閉じながら、ぽつり、零す。

「お前も、あたしのものだよ…」

 返事の代わりに、差し込まれた舌を、より深く、誘い込む。 
 絡め合い、きつく吸われて、頭の芯が、痺れるような心地がした。
 そっと、誘うように、僅かに、足を開く。
 内腿を、柔く指先で辿られ、息が乱れる。

「…っに、きち…」

 掠れた声で、求めるように、名を呼ぶ。
 自身に、絡められる指に、その、直接的な刺激に、佐助の背が、弓なりに反る。
 扱き上げられ、敏感な鈴口を嬲られて。
 強すぎる快楽に、身体が震えた。 

「良いかい?」

 問いかけに、微かに、頷いた途端、入り込んでくる指に、小さく、息を詰める。
 
「―――くっ…ぁ…っ」

 何度も何度も、敏感な箇所をなぞられて。
 喉の奥底、漏れそうになる声を、押し殺す。
 ぎりと、仁吉の背に、立てられた爪は、そのまま、佐助の感じる快楽の強さを、示していて。
 仁吉の口の端に、小さく、愛おしげな笑みが、乗る。

「佐助…」

 求めるように、名を呼ばれ。
 熱に掠れたその声に、とくり、胸が騒いだ。

「に…き、ち…にき…」

 応えるように、求めるように、縋りつく。
 増やされる指に、一層、熱が高ぶるのが、分かる。
 上気し、艶めいた肌を、汗が伝う。

「はや…く…」

 熱に浮かされ、掠れた声に、仁吉が一瞬、息を詰める。
 佐助自身は、気付いていないけれど。
 滅多に聞けない、その言葉が、熱に掠れたその声が、ひどく、仁吉を煽り立てる。
 薄く、誘うように唇を開けば、口付けられ、絡める舌先。
 指を引き抜かれ、一瞬、佐助から切なげな吐息が零れた。
 途端、宛がわれる熱に、僅か、息を詰める。

「―――っ」

 一息に、突き入れられて、漏れそうに鳴る悲鳴を、唇を噛んで押し殺す。
 きつい衝撃に、力の篭った指先が、敷き布を蹴った。

「ごめんよ…今日は…もぅ…」
「…っ待…っ」
 
 制止の声は、突き上げられる衝撃に、喉の奥底、押し殺されて。
 常に無く、余裕の無い行為に、佐助の眉根が、苦痛に寄せられる。
 
「い…っく…ぁ…っ」

 唇から、零される吐息は、荒く、苦しげで。
 仁吉が、何度も何度も、気を散らすように、口付けを落としてくれるけれど。
 きつく閉ざされた目尻に、浮かぶ涙が、痛々しい。
 
「さ、すけ…っ」
「…っは…ぅ…」

 自身に、再び指を這わされ、擦られ、突き上げられて。
 ようやっと、苦痛が和らいでくる。
 
「―――ぅっ」

 押し殺したのは、苦痛の悲鳴では、無くて。
 快楽に、喉が震える。
 意識が、飲まれ始める。

「仁吉…にき…」

 縋るように、求めるように、名を呼ぶ声は、熱に掠れて。

「佐助…」

 絡めあう舌に、一層、熱が高ぶる。
 律動は、激しさを増す。
 きつい快楽に、力の篭った爪先が、また、敷き布を蹴った。
 薄目を開けた先、切なげに眉根を寄せる仁吉に、愛しさが込み上げて。

「―――っ」
「…は…っ」

 二人、同時に、吐き出すのは、白濁とした熱。
 きつい快楽の余韻に、己の上に倒れこんでくる仁吉を、抱きとめる。
 ぼんやりと、焦点の定まらぬ瞳で、仁吉を見つめれば、愛しげな笑みを、向けられた。
 ゆるく、髪を梳いてくる指先が、心地良い。

「嬉しかったよ…」

 ぽつり、零すのは本心。
 言わないけれど、仁吉が、佐助が貰った文に、妬いているのは知っていた。
 そんなことでと、思うけれど。
 妬いてくれるのが嬉しくて。
 そんな仁吉が、愛しくて。
 小さく笑いを零せば、怪訝そうに見つめる視線と、ぶつかった。

「何だい…?」
「何でもないよ」

 言えば、きっと仁吉はひどく気恥ずかしい思いをするだろうから。
 黙って、ただ、微笑う。
 文をくれた娘には、悪いけれど。
 互いに愛おしい体温を、腕に抱いて。
 二人はゆっくりと、同じ眠りに落ちて行った―。