よっこいしょ、と、丁寧に置かれた己の本体に、その、地に足が着く感覚に。
 屏風のぞきはほっと、安堵する。
 伊三郎が雑に扱うとは思わないけれど、それでも、己の大事な本体が、地に着いてない間
は、ひやりとした心地になる。

「これから宜しくね」
「はいはい。どうぞよろしく」

 見あげてくる、利発そうな娘に、屏風の中から、笑みを返す。
 伊三郎の部屋で、何度か話しをしている時に。
 伊三郎は好きだが、此処は他の妖はこないわ、菓子も無いわでつまらないと、ぽつり、零
せば、「だったらこっちに来れば良い」と、誘われた。
 伊三郎も商いが忙しく、以前の様に、囲碁の相手もままならないのを、気に病んでいたの
か、「お前さえ良ければ」と勧められて。
 やって来たのは、一人娘のおたえの部屋。 
 伊三郎も口では、そう言っていたけれど。
 本当は最近急に、浮いた話が多くなった娘を心配してのことだと、屏風のぞきは踏んでい
た。

「今日からこっちに来ることになった屏風のぞきだ。知ってる者も、いるのかな?」

 伊三郎の問いに、妖狐の中で、何匹か見知った顔が頷いている。
 屏風の中から軽く手を上げれば、はたり、尻尾を振られた。

「皆仲良くね」

 まるで、幼子に言うような伊三郎の言葉に、思わず苦笑しながら。
 屏風から抜け出れば、狐たちの輪が囲む。

「何だ、お前鈴君のところを追い出されたのか」
「馬鹿言ってんじゃ無いよ。お前らが頼りないから来てやったんじゃないか」

 軽口の応酬に、狐たちから笑いが起こる。
 まるで、昔からそこにいたかのように。
 馴染んでしまった屏風のぞきを、伊三郎が目を細めて、見つめていた。

「おたえのこと、宜しく頼むね」
「はいはい」

 ほら見ろ、あたしの思ったとおりだと、伊三郎の相変わらずの親ばかぶりに、内心、苦笑
しながら。
 生意気に笑って、頷いてやる。

「それじゃあ、私はおっかさんと出かけてくるから」
「気をつけてね」
 
 手を振る伊三郎に、軽く、手を振り替えして。
 ぱたぱたと、出て行った振袖を見送れば、伊三郎も、商いに戻ってしまう。
 部屋の主のおたえが居なくなれば、狐たちも、三々五々に散っていった。
 一緒に花見にでも行かないかと、誘われたけれど。
 生憎、空の機嫌が宜しくないようなので、遠慮した。

「さて、と…」

 不意に、訪れた静寂。
 見慣れぬ部屋を見回せば、部屋の隅に、人影が一つ、残っていて。
 人の形はしているけれど。 
 人のそれとは違う、真白い髪から覗く、獣の耳が、その正体を告げている。
 全く、気配に気付かなかったから。
 軽く、目を見開く。

―寝てる…のか…?―

 じっと、部屋の隅に座ったまま、俯いて。
 動かないその狐の眼は、閉じているのか開いているのか。
 そうっと、顔を覗き込めば、不意に、その唇が、動いた。

「何だい?」

 てっきり寝ているものと、思っていたから。
 思わず、身を仰け反らせて、驚いてしまう。

「お、起きてたのかい」

 その言葉に、気を悪くした風でもなく。 
 狐は小さく、笑みを零した。

「起きてるよ。これでもちゃんと、眼は開いてるんだけどねぇ」

 言いながら、己の糸のように細い目を指差して、困った様に眉尻を下げるのに、声を立て
て笑う。
 
「いや、悪かった。ごめんよ。…お前さんは行かないのかい?」
「守狐が、遊び呆けていたら格好がつかないだろう?」

 苦笑交じりのその言葉に、目の前のこの狐がそうなのかと、目を見開く。
 皮衣が、実子に付けたと言う、守の狐。
 きっと、大柄で見るからに強そうな奴だと、ばかり、思っていたのに。
 目の前でのんびりと欠伸をする男は、細いばかりでちっとも、迫力が無い。

「何だ。お前さんが守狐か。…もっと強そうなやつかと思っていたよ」
「…お前さんさっきから、随分ひどいねぇ」

 「これでも、そこそこ強いんだよ」と、情けなさそうに笑うのに、とてもそうは見えない
と、屏風のぞきは笑う。

「あたしは…」
「知ってるよ。…屏風のぞき、だろう?」

 覗きこんでくる、黄金色の眼が、そう言って笑った。
 それは、今まで見たことが無い、上等な鼈甲細工よりも、綺麗な色で。

「へぇ!お前さん、随分綺麗な眼の色をしてるんだね」

 思わず、感嘆の声を、漏らしていた。
 向けられた、守狐の眼は、驚いた様に、見開かれていて。
 黄金色の双眸が、真ん中で揺れていた。

 それが、屏風のぞきと守狐の、最初の出会いだった。




「守狐守狐、大変、この間買った簪が見つからないの」
「それならこの間そこの引き出しの一番上に、ちりめんに包んで入れてたじゃないか」
「あら、本当。良かった、今日はこれと決めていたもの」
「はいはい良かったね。ほら、貸してみな」
「守狐守狐、一局打とうよ」

 おたえの髪に、簪を挿してやる、その袂を、くいと引いてくる手に、守狐は僅か、苦笑を
漏らす。
 どうやら自分は、新参者の付喪神に、随分懐かれているらしい。
 
「他の奴と打ちなよ。私はこれからおたえに付いて行かなくちゃならないから」
「あら、私は一人で平気よ。女中だってついてくるもの」
「他の奴は化けれないから碁石が持てないよ」

 ぶうっと、二つならんだ膨れ顔に、守狐の苦笑が、一層、深くなる。
 やれやれと、小さく、溜息を吐いた。
 それでも。
 最近、世話を焼く頭数が、一人増えたのに、それを、妙に楽しいと感じている自分に、守
狐は気付いていた。

「女中は頼りにならないよ。河童に皮に引きずり込まれるかもしれない、天狗に吹き飛ばさ
れるかもしれない。…世の中何があるか分かったもんじゃないからね」
 
 だから、と、今度は市松模様に、向き直る。

「碁は、帰って来てから、相手になるよ」

 言いながら、宥める様に、屏風のぞきの黒くしなやかな髪を梳く。
 さらり、指の間を流れるのが、心地良かった。

「仕方がないね」

 「きっとだよ」と、上目越しに念を押してくるのに、頷けば、ひどく嬉しそうに笑うから

 つられ、守狐からも、笑みが漏れる。
 常は、いっそ生意気な程、つんと澄ましているくせに。
 妖艶な笑みを刻んだと思ったら、こんな風に、幼子のように無邪気に笑う。
 そのくるくると良く変わる表情は、見ていて飽きるものではない。
 面白い奴だと、守狐は思う。

「じゃあ、お土産買ってくるから」
「あ、桜餅が良い」
「はいはい」
 
 そんな、おたえとのやり取りを背中で聞きながら。
 守狐はそっと、その身を影に溶け込ませた。




 ふうわり、春の柔らかな風が、頬を撫でる。
 おかみの部屋に寄ると言うおたえから、桜餅を受け取って。
 勝手に一つ頂きながら、付喪神が待つ、おたえの部屋に、急ぐ。

「おや、鈴君」
「しぃ…っ」

 おたえの部屋から出てきた伊三郎が、口元に笑みを含んで、人差し指を翳す。
 怪訝に、小首を傾げながら。
 部屋の中を覗き込めば、座布団を枕に、狐たちと眠る市松模様。
 すうすうと響く、心地良さげな寝息に一瞬、守狐の目元が、和む。

「全く、誰か来たらどうするんだい」
「まぁまぁ…。菓子を届けに来たんだが…。二重になってしまったみたいだね」

 言いながら、苦笑する伊三郎が、視線で示す文机の上には、こんもりと上等な菓子が盛ら
れた菓子鉢。
 守狐の手の中に在る包みを見て、すまなそうに眉尻を下げるのに、大丈夫だと笑う。

「幾つあったって、どうせ全部あいつらの腹ん中ですよ」

 そう言って、寝こけている狐たちの、屏風のぞきの腹に乗る尻尾を、摘みあげる。
 一向に起きる気配の無いそれに、呆れた様に溜息が漏れる。
 その様に、伊三郎が困った様に笑った。

「屏風のぞきは、皆と仲良くやってるみたいだね」

 伊三郎の、まるで幼子扱いな言葉に、守狐は内心、苦笑を漏らしながら。
 屏風のぞきの頬に掛かる髪を、梳いてやる。
 その手に、屏風のぞきが無意識だろう、擦り寄るような仕草を見せて。
 守狐は一瞬、目を見開いたけれど。
 それはすぐに、ひどく優しげな微笑に変わる。

「心配無いですよ。…皆、馴染んでいる」
 
 呟く、その声音に、寝顔を見守る、その眼差しに。
 伊三郎は軽く、片眉を引き上げた。

「そうかい。…お前さんも、随分馴染んでいるみたいだね」
 
 伊三郎の言葉に、守狐が顔を上げる。
 よく、分からないけれど。
 細い目を何度か、瞬かせている様だった。

「えぇ…。そうかも、知れませんね」

 零すように呟いて。
 見つめるのは、穏やかな寝息を立てる横顔。
 傍目にも分かるほどかと、内心、苦笑が漏れた。
 初めて、顔を覗きこまれた時。
 随分綺麗な作りだと、驚いた。
 その、切れ長の眼が、無邪気に笑って。
 金睛と、皆が畏怖するこの眼を、綺麗だと、言ってくれた。
 幼い頃より時を過ごしてきた兄弟子以外、そんなことを言って来る者など、今まで無かっ
たから。
 それがひどく、己の胸をざわつかせたのを、目の前で眠る、付喪神は知らない。
 懐かれて、日に数え切れぬほど、名前を呼ばれて。
 いつの間にか、心の裡深くまで、その存在を許していた。
   
「良かった」
「え?」

 顔を上げれば、何でもないと、首を振られる。
 
「じゃあ、私は此れで、失礼するよ」

 腰を上げる伊三郎に、にいこりと、随分優しげに笑われて。
 僅か、守狐は眼を瞬かせる。
 怪訝に、小首を傾げる間にも、伊三郎は店表に、戻っていってしまった。





 
「そう言えば…」

 ふと、思い出して、帳面から顔を上げれば、鏡の前で、寝支度を整えていたおぎんが、小
首を傾げて振り返る。
 昼間の、守狐の眼を、思い出せば、つい、口元に笑みが浮かんでしまう。
 
「あら、なぁに?」

 その様子に、つられたように、笑みを含んで、おぎんが覗き込んでくる。
 何やら喜ばしい話らしい気配に、その目が、期待を含んで、伊三郎を見上げた。

「守狐は、屏風のぞきのことが好きみたいだね」
「屏風のぞき…?」

 言われても、一瞬、ぴんと来ないのか。
 小首を傾げるおぎんに、おたえの部屋に置いた屏風の付喪神だと、教えてやる。

「あぁ、あの顔の綺麗な子」
「そうそう。気持ちも優しい子なんだよ」
 
 少し生意気だけれど。と、内心で付け足して。
 それでも、そこが面白いところでもあると、伊三郎は一人、笑みを零す。

「あら、あらあら。守狐ったら、その子に?」
「そうみたいだよ。…ひどく優しい、目をしていたから」

 思い出すのは、眠る、屏風のぞきのその横顔を。
 見つめる眼差し、優しげな声音。
 髪を梳く指先は、愛しいものに触れる、指先だった。

「もう想いは告げたのかしら?」

 おぎんの言葉に、今度は伊三郎が、小首を傾げる。
 守狐は、屏風のぞきを愛しいと、思っている風だったけれど。
 相想いの二人が見せる、密やかな空気は、無かった様に思う。

「まだ、じゃあないかな?」
「まぁ、屏風のぞきは守狐が嫌いなの?」

 途端に、眉根を寄せて、心配そうに訊ねてくるおぎんに、伊三郎はゆるく、首を振る。
 確か、守狐に一番懐いていると、おたえから聞いたことがある。

「いや、そんなことは、無いはずだよ」
「あら、まあ。…じゃあ、守狐ったら、恥ずかしいのね」

 おかしそうに笑うおぎんに、伊三郎はただ、笑う。
 守狐が聞いたら、なんと言うか。
 想像すると、可笑しかった。

「よし、決めた」
「何を?」

 急に、胸を逸らして。
 手を打つおぎんに、伊三郎は怪訝そうに小首を傾げる。

「私が、あの仔を後押ししてあげる。あの仔には、幸せになってもらいたいもの」

 そう言って、ひどく嬉しそうに笑うおぎんに、つられ、伊三郎からも笑みが漏れる。
 ずっと、おぎんを支えてきてくれた、弟子の一人であり、また、おぎんが赤子の頃より育
てた仔だから。
 幸せになってもらいたいと、ずっと、願ってきたのだろう。
 その思いに、伊三郎からも、笑みが漏れる。

「そうだね。幸せになって貰いたいからね」

 頷けば、おぎんはひどく嬉しそうに、頷いた。
 




 ぱたぱたと、廊下を掛けてくる足音に、ぴくり、守狐の耳が揺れる。
 
―この、足音は…―

 師である皮衣が、何かしら思いついたときの、足音。
 大抵それは、守狐を始めとする誰かを、困惑させる。
 警戒心を持って、障子を見つめた時。

「守狐!」

 勢い良く、開かれた。

「まあおっかさん、どうしたの」

 驚いた様に目を見開くおたえに、小遣いを渡して。
 団子でも買って来いと、追い立てる。
 ならばと守狐が付いていこうとすれば、遠慮なく尻尾を引きつかまれて、悲鳴を上げた。
 
「何するんですっ!」

 同じ狐なら、尻尾を無遠慮に掴まれることがどれ程痛いか、分かるはずなのに。
 あんまりな仕打ちに、いっそ涙目で怒鳴れば、悪びれなく笑うおぎん。

「お前に話があるんだよ。…供は…あ、ちょいとお前、行っとくれ」

 適当にその辺りに畏まっていた妖狐に言いつけて。
 ちょんと、目の前に腰を下ろし、向けてくるのは上機嫌の笑み。
 守狐は、溜息を一つ吐いて。
 訳が分からぬ展開に、心配そうに屏風から声を掛けてくる屏風のぞきに、笑みを返す。
 おぎんの視線が、ちらり、その屏風のぞきの顔に、流れた。

「で、何なんです」

 まだ痛む尻尾に、つい、眉間に皺を寄せながら。
 一応、茶でも入れようと、狐から半妖に姿を変える。
 鉄瓶から急須へと、湯を注げば、ふうわり、柔らかな湯気が、頬を撫でた。
 
「お前、好きな子がいるんだろう?」

 唐突過ぎる言葉に、一瞬、急須を持つ手が跳ねて。 
 ばしゃり、畳に湯が零れる。
 屏風の中からも、驚いたような声が、上がった。

「鈴君……」

 思い出すのは、昨日の伊三郎に向けられた、ひどく優しげな笑い顔。
 真逆こうなるとは…と、己の読みの浅さを嘆いても仕方ない。
 さてどう返事をしようかと、茶を入れることで巧く視線を逸らしながら、思案する。 
 その間に、おぎんの視線は、屏風のほうを向いていた。

「屏風のぞき、だったね」
「は、はい…」

 真逆、自分に矛先が向くとは思っても見なかったのか。
 屏風の中で、畏まっていた市松模様に、緊張が走る。
 
「皮衣様」

 何を言い出すのだと、咎める様に名を呼んでも、にこにこと笑う師は、意に介した様子が
無い。
 
「お前、守狐は嫌いかい?」
「へ?…あ、いや…嫌いじゃあ、無いですよ」

 その言葉に、とくり、胸が騒ぐのに、知らず、手指を握りこむ。
 一体何を言い出すのかと、内心、ひやりと汗をかいた。

「じゃあ、好き?」

 おぎんの問いに、屏風のぞきがきょとんと、目を見開く。 
 そのままこくんと、細い首が、縦に振られた。

「好きですよ。…守狐は良い奴だもの」
 
 その言葉に、おぎんがひどく嬉しそうに、頷いて。 
 くるり、固まったままの、守狐に向き直る。

「ね?さっさと言ってしまいなさいな」

 そう言って。
 きゅっと、守狐の手を握る。

「誰か愛しい人と添い遂げるって言うのは、幸せなことだよ」

 その目は、ひどく優しい色を浮かべていて。
 どうやら、この師は本気で、自分と屏風のぞきが結ばれれば良いと、思っているのだと、
分かる。
 屏風のぞきが自分に抱いている思いと、自分が、屏風のぞきに抱いている想いとは、違う
というのに。
 思わず、苦笑を漏らせば、おぎんは安心させるように、微笑を浮かべて。
 まるで子供にするように、くしゃりと一度、守狐の頭を撫でると、さっさと席を立ってし
まう。

「………」

 後に残ったのは呆気に取られた様な屏風のぞきと、一人気まずい思いを抱えた守狐。

「…何だったんだろうね?」

 ようやく、呟かれた屏風のぞきの言葉に、守狐は小さく、苦笑を返す。
 確かに、屏風のぞきのことは愛しいと想う。
 けれど、屏風のぞきに、その気は無いだろうから。
 想いを告げる気は、無かったのに。
 
「守狐、お前…」

 無かった、けれど。
 きっともう、分かってしまったに、違いない。
 内心、漏らすのは苦笑。

「やれ、仕方ないねぇ」
「うん?」

 小さく、呟いて。
 しゅるり、屏風から抜け出てきた屏風のぞきの顔を、覗きこむ。

「どうしたんだい?」
 
 小首を傾げるその顔に、向けるのは笑み。

「好きだよ。お前が」
「え……」

 一瞬、屏風のぞきの目が、大きく見開かれて。
 一拍後に、かあっと、頬に朱が走る。 
 その、少し予想外の反応に、驚いたのは守狐。

「何だい。…気付いたんじゃなかったのか」
「な、…え?…あ…!」

 赤い顔のまま、言われて初めて、合点が行ったようで。 
 驚いた様に、目を見開いたまま、固まるのに、思わず、笑ってしまう。

「気にするな。…今まで通りで良いんだから」
 
 くしゃり、頭を撫でれば、それきり、俯いてしまうから。
 守狐は困った様に、笑う。
 
「守狐」
「うん?」
 
 ようやっと、顔を上げたと思ったら。
 唐突に、首を引き寄せられて、驚いた。

「なん、……っ」
「ん……」
 
 見開いた眼に、映るのは、屏風のぞきの、震える睫毛。
 唇に触れる、柔らかに濡れた感触に、僅か、唇を開けば、差し込まれる舌に、歯列をなぞ
られる。
 一体、どういう了見なのか。
 読めないけれど。
 とくり、胸がざわつくのに任せ、口腔内に入り込んでくる舌を、絡め取って。
 きつく、吸い上げれば、屏風のぞきから鼻に掛かった吐息が漏れる。
 微かに響く、濡れた水音が、ひどく卑猥だった。

「は、ぁ…」

 唇を離した途端。
 くたり、しな垂れかかって来る屏風のぞきを抱きとめてやりながら。
 守狐は、怪訝そうに、その顔を覗きこむ。

「屏風のぞき…?」
「分かった…」

 きゅっと、守狐の着物を握り締めて。 
 小さく、呟かれた言葉に、何事かと、耳を寄せる。

「分かったよ守狐」
「何が?」

 顔を上げたその目元は、僅かに上気していて。 
 微かに、潤んだ目に見上げれられて、とくり、胸がざわつく。
 濡れた唇が、ひどく艶かしくて。
 そっと、視線を逸らす。

「あたしも…守狐が、好きなんだ」
「…お前…」
 
 無理するなと、苦笑交じりに、その肩を押そうとした時。
 屏風のぞきが、小さく、零す。

「あたしゃね、この見てくれだから、もてるんだ」
「はあ」

 まあ、そうだろうと思う。
 実際、屏風のぞきのことを気に入っている妖狐の中でも、そう言う意図の奴もいるだろう


「だから、まあ、…雨の日とか、気を分けて貰うってのもあるし…接吻もしたし、抱いて抱
かれたこともかなりある」
「………」

 そうだろうとは、思うけれど。
 別段、気にはしないが、守狐にとっては、面白い話ではない。
 
「でも…そりゃあ、巧い奴とするのは気持ちが好いけれど…でも…」
「でも?」

 一体何が言いたいのか。
 苛立つような心地がしたが、それでも、堪えて聞いてやる。

「でも、違う。…守狐は、違う」
「………」

 繰り返される否定の言葉に、ずきり、胸が痛む。
 ほらみろと、笑って身を離そうとしたその手を、不意に、掴まれる。

「したい。もっと、したい。心の臓が疼くのは、お前だけなんだ」

 真っ直ぐに、見つめられて。
 告げられた言葉に、目を見開く。
 知らず、頬が熱い。

「そりゃあ…嬉しい、ね」

 つい、ゆるむ口元のまま、己から口付ければ、屏風のぞきは誘うように、舌を差し出して
くるから。
 互いに絡め、貪るように、熱を交す。
 白い手指が、きゅっと、掴んだままの手を、握ってくるから。
 振り解いて、己から、手指を絡ませる。
 どちらとも無く、繋いだ手に、力が篭った。

 互いの腕の中に手に入れたのは、ひどく愛しい、優しい温もり。