視界の端、咲くのは火の花。
一泊遅れて、低く大きく、腹の底に響くような音が響く。
黒い夜空に咲くそれは、ひどく綺麗で。
一瞬、周囲が闇から浮かび上がる。
遠くで、沸きあがる歓声。
昼の暑さとは離れた、涼やかな風が、肌を撫でる。
「ぃ…ちたろ…っ」
零れた声は、縋るような響きを持って。
「駄目だよ。声を出しちゃあ」
柔く、囁くように耳元に落とされ、松之助はきゅっと、両の目を閉じた。
ぱたり、落ちたのは、涙。
また、周囲が明るく照らされて。
乱れた裾が目に映り、必死に、一太郎に縋りつく松之助の指が、羞恥に震えた。
「誰か来たら…困るでしょう…?」
闇の向こう、ゆるく、微笑まれ、松之助の背が、びくりと強張る。
かさり、耳元で音を立てたのは、夏虫か。
その小さな音にさえ、神経を尖らせる松之助に、一太郎から思わず、苦笑が零れた。
苦笑を浮かべたままの唇を、そっと、その首筋に落とす。
そのまま舌を這わせれば、走る震えが愛おしい。
軽く、鎖骨に歯を立て、残すのは跡。
僅か、息を詰める気配がしたけれど、それはすぐに、花火の音のかき消されて。
久方ぶりに触れる体温は、ひどく愛おしくて。
それなのに、鼻腔を掠める、咽る様な夏草の匂いに、一太郎は僅か、眉根を寄せた。
―全く兄やたちも困るよねぇ…―
仁吉と佐助がけんかをして、と言うより、仁吉が一方的に佐助を怒らせてしまって、佐助が一太郎の部屋で寝起きを共にするようになって数日。
一太郎は松之助とゆっくり話をすることも出来なくて。
夏祭りに理由をつけて、それでも、人混みに行くなどと、渋い顔をする兄やたちに、籠を呼ぶから船を借りるから、兄と行くからと、どうにかこうにか説得して。
抜け出してきたのがつい先程。
人気の無い暗がり、気付けば、求めるように唇を重ねていて。
「ぁ…っ」
乱れた合わせ目から差し込まれた指先に、柔く、胸の突起を掻かれ、松之助の唇から小さく、悲鳴が漏れる。
熱を孕んだそれを、指の腹で押し潰すように嬲られ、堪えきれぬというように、己の手で口を塞ぐ、その指の狭間から、微かに、零れる吐息が、ひどく一太郎の情欲を煽った。
舌を這わせ、少しきつめに、歯を立てる。
強すぎる刺激に、松之助が何度も、這い上がる快楽を否定するかのように、首を左右に打ち振った。
その、力の篭った足先が、意味も無く青草を摺る様に蹴り、一層、強くなった、草の匂い。
「ふ…ぅ…」
打ち上げられた花火の、黄金色の光に、情欲に濡れた瞳が、照らし出される。
辺りを憚って、中途半端に脱いだ、乱れた着物は、常より艶を孕み、煽り立てて。
「兄さ…」
求める声が、喉に絡み、掠れた。
そっと、すっかり熱を持った下肢へと指を這わす。
内腿の、ひどくきわどいところを、柔く指先で辿れば、求めるように、松之助の腰が浮く。
「は…っぅ…ぁ」
指の狭間、くぐもった吐息が、寸の間の静寂を埋める。
既に滲み始めていた先走りに濡れた鈴口を、親指の腹で擦り上げれば、微かに響く、淫猥な水音。
指の輪で扱き上げれば、きつく、両の目を閉じて、寄せられた眉根が、切なげで。
そっと、押さえる手を退けさせれば、怪訝そうに見上げてくる、薄く開かれた目に、滲むのは涙。
快楽に戦慄く唇に、一太郎は思わず深く、口付けていた。
歯列をなぞれば、招くように薄く開かれ、互いに絡ませる、濡れた体温。
二つの水音が、熱を煽る。
「ん…ぅ」
どちらともない吐息が零れ落ちて、ようやっと、唇を離す。
濡れた視線を絡ませれば、二人、漏らすのは微笑。
松之助が誘うように僅か、足を開く。
「いち…たろ…」
急くように名を呼ぶ、松之助の目元が、羞恥に朱に染まっていた。
じりじりと、花火が、夜空を焦がす音が、遠くに響く。
まるでそれは、二人の身の裡も焦がすようで。
「く…っぅ…んっ」
つぷり、差し込まれた指に、内壁を擦り上げられ、松之助が小さく呻く。
声を押し殺そうと、強張る身体は、より強く、指を感じて。
久しい感覚は、常よりも熱を呼ぶ。
「いゃ…だ…ぁ…っ」
敏感な箇所を擦り上げられ、一層、熱を煽られる。
何度も強く、左右に首を打ち振る松之助に、一太郎は宥めるように口付けを散らす。
「駄目だよ兄さん…指を傷つけてしまうよ…?」
ふと、鼻腔を掠めた土の匂いに、松之助の爪が、地を掻いているのに気付き、傷つく前にと、己の首に回させる。
増やした指を、ばらばらに中で動かせば、途端、すがり付いてくる様が、ひどく愛おしくて。
耳元で感じる、荒い吐息。
ひどく切なげなそれに、一太郎自身、堪えが効きそうになかった。
「いい…?」
そっと、耳元に囁き落とせば、こくりと、小さく頷くのを確認して、指を引き抜く。
「んぁ…」
きゅうと、切なげに指を締め付け、物足りなさげな声を上げるのに、思わず、苦笑を漏らすと、松之助の目元に、さっと朱が走った。
「―――っ」
そっと、自身を宛がい、一息に突き入れれば、松之助の背が、悲痛なほどに反り返る。
見開かれた双眸から、ぼろり、零れた涙に、花火の色が流れた。
ぎゅっと、一太郎の背に爪を立てぬようにと、握りこまれた拳の、白く浮き出た関節が痛々しい。
何度身体を重ねても、慣れる事のないこの一瞬は、久方ぶりと言うのもあって、いつもより辛い。
それを分かっているからか、気を散らすように髪を梳き、啄ばむように口付けを落としてくれる一太郎が、松之助はひどく、愛おしかった。
松之助は何度も、深く息を吸い、呼吸を整える。
ようやっと、馴染んだ頃に、そっと、再び一太郎の首筋に、腕を絡ませた。
互いに、交わす視線には、どうしようもないほどの愛しさが滲んで。
軽く、松之助の瞼に口付けを落として、一太郎がゆっくりと、腰を使い始める。
「んぁ…ぅ…」
息苦しさの中、それでも、生まれるのは快楽で。
徐々に甘さを孕み始める吐息の中、一太郎からも、余裕は消えていって。
突き上げられ、揺さぶられる度、漏れそうになる声を、松之助は必死に、喉の奥底、押し殺す。
それはそのまま、中の一太郎を締め付けて。
「にぃ…さ…」
はたり、汗が落ちる。
掠れた声はそのまま、一太郎の快楽を伝えていて。
「ぁく…っぅ」
再び自身に指を這わされ、松之助の背が、反る。
嬌羞に朱に染まった身体に、うっすらと汗が滲む。
煽られた熱が、限界を訴えた。
「ひぁ…ぁ…も…っ」
堪えきれないと、きつく縋りつけば、それは一太郎も同じの様で。
一層、激しくなる律動に、もう声を堪えることすらできなかった。
「ぅっ…あぁ…っ」
力の篭った爪先が、青草の狭間、小石を蹴り付け、微かに、痛みが走る。
切れたのか、ほんの少し、鼻腔を掠める血の匂いが、一層二人を煽り立てた。
ちりちりとした小さな痛みすら、快楽の波に飲まれ、掻き消えて。
「―――っ」
最奥を突き上げられるのと同時に、鈴口を擦り上げられ、松之助は白濁とした熱を、一太郎の手の中、吐き出す。
ひくつき、収斂する内壁に、そのきつい締め付けに、堪えきれず、一太郎も己の熱を、解いた。
「ふ…っ」
ずるりと、自身を引き抜けば、青い草の上に、どろりとした白濁が伝い落ちる。
それはひどく、淫猥で。
このままでは気持が悪いだろうと、そっと、後始末に手拭で拭えば、達したばかりで敏感になっているのだろう、ぴくりと、その身を微かに震わせる松之助に、思わず漏れる微笑。
「背中…痛くない?」
そっと、上体を起こす松之助を気遣えば、ゆるく微笑し、首を横に振る。
その目元はいまだ潤み、上気して。
気怠さの中に孕む艶に、一太郎は今更のように、そっと視線を逸らした。
その松之助の指が、不意に、一太郎のそれに絡む。
顔を上げれば、向けられるのはひどく優しげな微笑。
「花火、綺麗ですよ」
言われ、振り返れば、大きな音と共に、黒い夜空に咲く、黄金色の火の花。
じりじりと空を焦がすそれは、ひどく綺麗で。
遠くで、人々の歓声が、湧く。
「花火を見に来たのに、全然見てなかったね…」
思わず、零れた言葉に、二人、交わすのは照れ笑い。
小さく交わしたその笑みも、夏の花火は黄金色に照らし出して。
終焉が近いのだろう、一際大きな歓声が、周囲を包む。
何連もの音と比例して、一息に連なり咲いた、大きな大きな、幾つもの火の花。
知らず、互いに絡めた指に、力が篭る。
視界の全てを、奪われていた。
「凄い…」
呟かれた言葉に、ただ無言で、一太郎は頷き返す。
やがて、黄金色の花弁は闇に消え、じりじりと焦がす音も、人の声に紛れて消えた。
「帰りましょうか…あんまり遅くなると佐助さん達が心配されます」
言いながら、立ち上がる松之助は、もう兄の顔に戻っていて。
それでも、差し伸べられた手を掴み、指を絡ませれば、しっかりと返してくれて。
「うん。帰ろう」
頷く一太郎の口の端、浮かぶのは、ひどく幸福そうな、微笑。
それは、松之助も同じで。
からころと、鳴らす二つの下駄の音が、穏やかな二人の空気に響いていた―。