ぼんやりと、意識が朧になってくる。
身体を包み込む心地良いそれに、抵抗することなく、意識を明け渡していく。
「眠い…」
「ったく仕様が無いねぇ」
口では、そういうけれど。
決して追い返されることが無いのは、重ねた経験で良く知っているから。
その細く白い首筋に、腕を絡めて、肩口に顔を埋める。
鼻腔を埋める、仁吉の匂い。
肌に触れる、確かに脈打つその体温。
その全てを感じながら、心地良い睡魔の波に、意識を明け渡す。
身に馴染んだこの仕草は、いつからだったか。
ばらけ始めた思考の中、夢か現か、意識は過去と呼ぶにはまだ日の浅い日を、瞼の裏に描き始めた。
ざあざあと、やけに大きな雨音が、耳につく。
冷えた空気に、足先が寒い。
ごろり、何度目かの、寝返りを打つ。
眠い、はずなのだ。
現に身体は先の行為で思い切り疲れているのに。
下手に無駄話に講じてしまったのが悪かったのか。
全く持って、眠れなかった。
良く考えてみれば、自分はとんと布団と言うものに縁が無かったのだと、思い出す。
大抵いるのは屏風の中だし、昼の日差しの中で転寝するのは畳の上だ。
「………」
ちらり、視線を投げかければ、布団の主はもう、寝息を立てていて。
何度か布団の中で目が覚めたことはあるが、殆ど行為の最中に、ひどく気に入らないことだけれど、気を失ってしまった時ばかり。
屏風に戻れば良い話なのだろうけれど。
何故だか、それをする気にはなれなくて。
意識ばかりが先走り、眠気がどんどん遠退いていくような心地に、軽く焦りさえ抱き始めた時。
「うっとうしいねぇ。…とっとと寝な」
寝ているとばかり思った仁吉に、唐突に抱き込まれて驚いた。
視線をやれば、眼は閉じられているけれど、眉間には迷惑そうな皺が刻まれている。
確かに、大の男が一つの布団は少々狭い。
その狭い空間で、ごそごそやられたら、寝れるものも寝れないだろう。
「あたしはお前と違ってね、朝から忙しいんだよ」
だから早く寝ろと、続く言葉に、真逆今更、布団だから寝付けない。なんて言える訳が無い。
軽く、悪態を吐いて、それでも、言われたとおりに目を閉じてみる。
寝返り一つ、打てなくなってしまったこの状況。
丁度、仁吉の肩口に顔を埋める形になったそれは、気恥ずかしいはずなのに。
―あ………―
鼻腔を埋める、仁吉の匂いに、肌に触れる、確かに脈打つその体温に。
何故かは分からない、むしろ、癪に障るから分かりたくは無いけれど。
ひどく、心が落ち着くのが、分かる。
いつの間にか、意識は眠りの海に沈んでいた―。
瞼を刺す日の光に、意識が呼び起こされる。
途端、眩しいそれに、小さく、呻く。
無意識に、傍らに手を伸ばせば、当然の様に、仁吉は居ない。
それでも、己が布団にいるのは、まだ眠っていてもいいと言うことなのだと、勝手に解釈して。
未だ意識を引き摺り込もうとする眠りの波に、抵抗することなく意識を明け渡そうとして、ふと、気付く。
ぼんやりとした意識の中、無意識に求めるのは布団の主。
「………」
不承不承、瞼を開いて、ぼんやりとした視界の中、部屋を見渡す。
調度品一つ無い簡素なそこに、置かれていたのは小さな行李。
半身を布団に突っ込んだまま、手を伸ばしてふたを開ければ、一番上に置いてある、見覚えのありすぎる夜着を引きずり出す。
顔を埋めれば、確かに、鼻腔を埋めるのは仁吉の匂い。
体温は、感じられないけれど。
それは確かに、昨夜と同じ様に、ひどく心を落ち着かせるから。
「………」
頭にあのは、眠ること唯一つ。
屏風のぞきは何も考えず、そのまま夜着を布団に引っ張っり込んで、再び惰眠を貪った。
「何だいこりゃ」
仁吉は思わず、そう呟いていた。
見下ろす先には、きちんとしまったはずの己の夜着に顔を埋めて、ひどく心地良さそうに眠る憑喪神。
見れば、閉じたはずの行李の蓋が、投げ出されてしまっている。
一太郎が、昼になっても主が帰ってこない屏風絵を、気にかけるから。
いつまで寝ているんだと、様子を見にきたら、これだ。
それでも。
目の前のそれに、どうしても口角が吊り上がるのを、止められない。
「…いつまで寝てるんだい」
軽く、爪先で頭を蹴飛ばせば、衝撃に、屏風のぞきの眼が、開く。
状況が全く把握できていないのか、ぼんやりと見上げてくるその顔の真上、屈み込んで、向けるのは揶揄するような、笑み。
「お前、自分が何をやってるかわかってんのかい?」
「……?」
焦点の定まらぬ、ひどく危うい瞳に、映るのは疑問符。
知らず、吊りあがる口角。
「これ、あたしはちゃんと仕舞ったはずなんだけどねぇ?」
ひょいと、夜着を取り上げて示せば、屏風のぞきの眼が、大きく見開かれた。
どうやら一息に、意識がしっかりしたらしいのは、面白い程に朱くなった頬で、分かる。
「随分可愛いことをしてくれるじゃあないか」
「な…っだ…っ」
揶揄するように、笑みを向ければ、言葉が巧く出てこないのか、唇を震わせる様が愛おしい。
のどの奥底、押し殺した笑いが、くつくつと音を立てる。
「言ってくれたらねぇ?出しておいてやったのに」
言いながら、見せ付けるように、夜着を翳す。
「う、うるさいよ…っ!」
ばさり、それを跳ね除けて。
妙に上擦った声で、それだけ言うと、逃げるように部屋を飛び出してしまった。
その背に、また、漏らすのは忍び笑い。
誰も居なくなった部屋の中、暫くそれは、止むことがなかった―。
「最悪だ…」
過去の記憶を映し出した夢に、思わず、呟いてしまっていた。
思い出すだけで、頬が熱くなる。
「何だい起き抜けに」
怪訝に眉を顰める仁吉に、この性悪にあんな様を見せてしまうなんて一生物の不覚だと思う。
しかし、そう言えば、「一生物の不覚」とも言える様な様を、良く考えれば他にも晒していることを思い出し、その数の多さに、いっそ井戸の底に沈めてくれとさえ、思う。
「いっそ死にたい…」
「はぁ?」
訳分からないと言った風に顔を顰める仁吉を置き去りにして。
その朝、屏風のぞきは随分と長い間、両の腕の間に埋めた顔を、上げることができなかった。