兎に角その日はひどく寒かった。
 自慢の真白い毛皮があるから、自分にはあまり関係が無いけれど。
 遊びに行ったら、 丁度昼寝デモする所だったのか、足の先は本体に突っ込んだまま、新入りの付喪神の腹に頭を預けた屏風のぞきの、白い腕が伸びてきて。
 思ったとおりに、すぐに抱き込まれた。

「寒い…」
「はいはい」

 ふかりとした、自慢の毛皮に顔を埋めて来るから、笑いながら真白い尾を腕に絡ませてやる。
 胸の上で組まれた手は、常より一層、冷たかった。

「若だんなはお店かい?」
「ん…」

 温かくなって、一息に気が緩んだのか、応える声はもう、力無い。
 その様に小さく笑って、守狐はくるり、体を反転させる。
 向かい合った顔は、やはり、眠たげで。
 前脚でぽんと、その頬を叩く。

「眠いのかい?」
「いや…」

 誰がどう見ても、寝るつもりだったくせに。
 ほとんど反射的に、否定の嘘を吐き出すのに、思わず、苦笑する。

「いいよ。寝なよ」
「ぅん…」

 頷く声はもう、途切れていて。
 閉じられた瞳に、守狐の口の端に小さく、微笑が浮かぶ。
 規則正しい寝息が、深いそれに変わったのを確認して。
 身体に絡む腕を、起こさぬようにそっと解いて、変化を掛ける。
 寝苦しいのだろう、小さく呻き、もぞりと、無意識に、お獅子が体を動かし始めたのに、気付く。
 軽く苦笑して、人のそれとなった己の腕を、どちらの付喪神も起こさぬように、そっと変わりに差し出して。
 開放されたお獅子は、再び、深い寝息を刻み始めた。

「………」

 寒いのだろう、本体から抜き出された片足が、守狐のそれに、絡む。
 肩口に顔を埋めるように、擦り寄ってくる、その馴染んだ仕草に、ここにはいない者の影を見た気がして、知らず零れた、苦い笑い。
 
―よくもまぁ…見せ付けてくれるよねぇ…―

 本人には、全く欠片も、そのつもりは無いのだけれど。
 それが一層、守狐には、引っ掛かって。
 二人の仲を、邪魔立てする気は無いけれど、少し、面白くないのも、また事実。 

「……んっ」

 軽く、狐の名残の尻尾で、首筋を擽れば、逃れるように、屏風のぞきは喉を反らす。
 その、差し出された白く細い首筋に、這わせるのは己の舌。
 途端、びくりと震える身体が、愛しい。

「…っきち…さ…」

 唐突に、唇から漏れた名前に、目を見開く。
 その声音は、今まで一度も、聞いたことが無い甘さを帯びて。
 夢の中で求めるそれと同じように、絡んでくる、己と同じぐらい細い腕に、守狐の思考が、止まる。
  見てはいけない、他人の深淵を覗いてしまった気がした。

「―――っ」

 不意に、流れ込んできたのは剣呑な色を孕んだ、大妖の気。
 それに、どこかほっとしている自分に気付き、また、漏れる苦い笑い。
 いつの間に部屋に入ってきたのか、己を見下ろす、怒気を含んだ冷たい双眸に、さてどうしようかと、思考を巡らせる。
 物も言わずにしゃがみ込んだ仁吉の手が、荒く、屏風のぞきの肩に掛かり、引き剥がされた。
 強い衝撃に、屏風のぞきの双眸が、開かれる。
 状況を把握し切れていないのだろう。
 振り向かされた焦点の定まらぬ瞳は、ぼんやりと仁吉を見上げ。

「おい…」
「ん…」

 何か言いかけた仁吉の唇を、屏風のぞきのそれが、塞いだ。
 細い腕が、仁吉の首筋に絡み、引き寄せる。
 あまりに唐突なことに、驚いたのは仁吉も同じの様で。
 けれど一拍後には、しっかりとそれに応えていた。
 一層深くなった口付けに、どちらとも無く、零れる吐息は、ぞくりとする程、艶を孕んで。

「に…吉さん…?」
「どうした?」

 ようやっと、夢の中のそれと、現のそれとに、微かな違和感でも覚えたか、小首を傾げる屏風のぞきに、応える仁吉の声は、聞いたことが無い甘さを孕み、そっと、屏風のぞきの頬を撫でる白く細い指は、常からは想像も出来ぬ程に、優しげで。
 その仁吉の眼が、屏風のぞきの肩越しに、守狐を捕らえ、笑った。
 そこには、勝ち誇ったような色が、ありありと浮かんでいて。
 何度目か分からぬ、苦い笑いが、守狐から、零れる。

「ん…何でも…何でもないよ…」

 結局、気のせいだと思ったのか。
 再び、艶めいた水音が響いた時にはもう、守狐の影は消えていた―。