眠い…。
 のんびりとした春の陽気が悪いのか、先程から三回目あくびが出てしまう。
 生理的な涙で、滲む視界。

「眠いなら横になられたほうが良いですよ」

 ほら、直ぐこれだ。
 向かいに座る仁吉の言葉に、ゆるく首を振る。
 こんな昼の日中から寝てられるものかね。
 入れてもらった、手の中の湯飲みの中のお茶は、まだ口を付けるのには熱く、先程から量が減っていない。
 というより、減らせないというほうが正しいか…。
 …眠い…。

「若だんな?湯飲みを落とさないうちに寝たほうがいいんじゃないのかい?」

 微かな衣擦れの音がして、屏風のぞきがのそりと、その半身を覗かせた。
 やめとくれな、二人して…。
 ああ、そうだ。

「仁吉、さっき貰った菓子があっただろう?あれを出しとくれな」

 言うと、仁吉も「あぁ」と思い出したように傍らに置かれた包みを取り出す。
 がさりと、仁吉が開く包みの音が、やたらと大きく耳に響く。
 菓子の二文字に惹かれたのか、鳴家たちも陰からころりと転がり出てきた。
 途端、賑やかしくなり、落ちかけていた意識が浮上する。

「なんだい?団子かい?」
「うるさいね。若だんなが頂いたんだよ」

 仁吉の手元を覗き込んだ屏風のぞきが、邪険に言われ、不機嫌そうに顔を顰めた。
 でも、仁吉の目の奥底、優しい色を滲ませてるのを、私は知ってる。

「若だんなはあんたと違って優しいからね。分けてくれるんだからさっさと分けなよ」

 言い返す、言葉とは裏腹に、どこか楽しそうな表情を浮かべる屏風のぞき。
 調子も良いし、店にでも出て行ったほうが良いのかしらとも思ったけれど、そんなことをすれば仁吉まで付いてくるに違いない。
 それじゃあやっぱり意味がないよねぇ… 
 だったらまぁこのままでも良いかと、湯飲みに口を付ける。

「熱っ」

 ぼんやりしていた所為で、湯飲みの中身の温度を、確認するのを忘れてた。
 舌先に走る、ひりひりとした痛み。
 
「火傷ですかっ?」
「大丈夫かいっ?」
 
 ああもう舌を火傷したぐらいで大袈裟な…。

「舌を火傷しただけだから大丈夫だよ」

 安心させる様にぺろりと出した舌先を、二人に真剣に見詰められ、気恥ずかしくなり慌てて引っ込める。

「赤くなってるよ。水だ水っ」
「ほら若だんな、水を飲んでください」

 湯飲みを取り上げられ、代わりに水を差し出される。
 冷たいそれを口に含むと、先ほどの熱さが一息に引いていき、心地よかった。
 舌先の、ひりひりとした痛みが、少し、引いていく。

「あんたがちゃんと冷まさないから」

 屏風のぞきが詰るように言う。
 仁吉がむっとしたように、その形の良い眉根を寄せた。

「うるさいね。すぐ冷たくなっちまったらお身体に障るだろう」
 
 二人とも…舌を火傷したぐらいで私は死なないよ…
 それにしても…二人とも随分楽しそうだねぇ…。
 そんな光景をぼんやりと眺めながら、四度目のあくびをかみ殺す代わりに、仁吉が冷ましてくれたお茶と一緒に、渡してくれた団子を齧る。
 眠い…。

「若だんな、やっぱり眠いなら横になられた方が…」

 あ、そんなことより仁吉、屏風のぞきが何か大口を開けてるよ。
 ちょうど屏風のぞきの顔の前にあった、仁吉の手の中の団子を齧ろうとしたんだけれど、不意にそれは取り上げられた。
 目の前にあった菓子を取り上げられ、まるで幼子のように唇を尖らせる屏風のぞき。
 仁吉の、右の口角が、一瞬、にや付いたみたいに吊りあがるのを見てしまった…。
 もしかして仁吉…今の表情が可愛いとか思ったのかい…?
 うわぁ。恋は盲目とはこのことかねぇ…。

「人に物を貰う時はなんて言うんだい?」

 唐突な仁吉の言葉に、いつもと勝手が違うことに戸惑うように、屏風のぞきは一瞬視線を彷徨わせる。

「え…?あー…寄越しな…?」
 
 思わず、吹き出しそうになるのを堪える。
 屏風のぞき、お前一体どこまで自分中心なんだい。

「…違う」

 否定され、再び視線を彷徨わせ始めた屏風のぞきと、目が合った。

「教えておくれな若だんな」
「普通は頂戴とか…そういうのじゃないのかい?」
「おぉっ」

 …お前、本気で思いつかなかったのかい…?

「ちょうだい」

 それはまるで、幼子が言うようにどこか棒読み。

「それも違う」

 …また一瞬だけ右の口角が上がるのを見てしまった…。
 仁吉の再度の否定の言葉に、屏風のぞきは本気で困ったように視線を彷徨わせる。
 付き合ってなんていられないから、屏風のぞき立ちの会話を、聞くともなしに聞きながら、ぼんやりと、畳の目なぞなぞって見る。
 ずっと、今度は気をつけてお茶を啜り、舌に触れた温度に、その必要が無かったことを思いだした時だった。
 屏風のぞきが、とうとう根を上げた。

「あーもうっ!性が悪いねっ教えてくれたっていいじゃないかっ」
 
 苦笑が一つ、仁吉から漏れる。
 不意にその形の良い唇が、はっきりと意地の悪い笑みを作った。

「下さいだろう?人に物を頼む時は」

 なんて意地の悪い顔してるんだい仁吉…。
 屏風のぞきがひどく嫌そうな顔をしてるよ。

「どうするんだい?お前さんが要らないなら鳴家にでもやるさね」

 端で、もう食べ終えてしまっていた鳴家たちが、その言葉に一斉に仁吉の手元を見つめた。
 にやりと、底意地悪く吊り上げられた口角が、屏風のぞきを追い詰めていくのが分かる。 
 鳴家に取られるなんて、屏風のぞきが面白く思うわけが無いからねぇ。
 やるねぇ仁吉…。
 下唇を噛み、逡巡するように、視線を俯かせる屏風のぞきに、仁吉は「いらないんなら」と、鳴家たちに団子を差し出そうとする。
  
「…く…下さい・・・」

 物凄く、不承不承、厭々。
 そんな感がありありと伝わってくる、低く、小さな声で、屏風のぞきが呟く。
 鳴家たちにとられるぐらないなら、仁吉に膝を付くほうを選んだようだね。
 
「ほら」

 仁吉がひどく満足げな笑みを浮かべて、団子の串を、屏風のぞきに差し出してやる。
 それをひったくるようにして受け取ると、屏風のぞきは屏風の中にすっこんでしまった。
 鳴家たちから、ひどく残念気な声が上がる。
 それを、またひどく楽しそうな笑みを浮かべて、視線で追う仁吉。
 ああ全く。
 付き合ってられない。
 五度目のあくびをかみ殺して、今度こそ、睡魔に抵抗せずに、布団に潜り込む。

「お休みになられますか?」
「付き合ってられないからね」

 仁吉が一瞬、驚いたように目を見開く。
 けれどそれに構う余裕は、もうなかった。
 ひどく眠いんだよ。

「寝るのかい若だんな」
「見りゃわかるだろう。話しかけるんじゃないよ」

 屏風のぞきがむくれるのが、気配で分かる。
 思わず、漏れそうになる笑いをかみ殺して、ゆっくりと、眠りの波に身を任せる。
 付き合いきれない二人だけれど、それでもこの空気は嫌いじゃあないよ。
 ばらけ始めた思考の中、ぼんやりと思う。
 温かな視線を背中に感じ、私は最後の意識を手放した―。