覗いた、部屋の中、見つけて思わず、笑ってしまった。
 開け放した障子の向こう、そよぐ風は心地良くて。
 日の差し込まない部屋の中は、夏だというのにひんやりとして。
 確かにそれは、眠気を誘う。

「土方さん、起きて下さいよ」

 畳に寝転がる土方から、応える声は無くて。
 ただ穏やかな寝息に、小さく、胸が上下する。
 その寝顔は、いっそ無防備で。
 外では蝉が、耳を聾するほどの勢いで鳴いているというのに。
 それとも、慣れてしまえば、他の音などいっそ気にならなくなってしまうのか。

「土方さーん」

 間延びした声で、名前を呼ぶ。
 その行動に、他意はなかった。
 塵がついていたとか、そんな、他愛も無い理由で。
 何気なく触れたその髪は、絹糸のように細く、柔らかった。
 吹き込む風に、ふわりと揺れる。
 指の間を零れるそれは、意外なほどに、心地良くて、つい、梳くように撫でてしまった。

「ん…」

 僅かに身じろぐ土方に、一瞬、起こしてしまったかと懸念する。
 けれど、それは意識を揺らしただけで、覚醒には至らかなかったようで。
 寝返りと共に、まるで、斉藤の手に擦り寄るような仕草を見せた。

「ぁ…にさん…」

 薄く開いた唇から、零れるように漏れた声は、まるで甘えるような響きを孕んでいて。
 今まで一度も聞いたことの無い声音に、斉藤は驚いたように目を見開く。
 
「ひ…土方さん…っ」

 見てはいけないものを、聞いてはいけないものを聞いた様な。
 土方の、裡深くに勝手に触れてしまった様な、そんな気がして、斉藤は思わず、ひどく大きな声を出していた。

「ぁ…?」

 その声に、僅かに眉根を寄せて、ようやっと、双眸を開れる。
 寝起きの、ぼんやりと焦点の定まらぬ視線に、いつもの鋭さは無くて。
 どこか危ういそれに、胸がざわついたのには、気付かぬふりで。
 
「斉藤…?」

 それでも、寝起きの、少し掠れた声で名前を呼ばれ、斉藤は知らず、安堵の息を突く。
 その目が徐々に、現の光を宿し始めたのを確認して、沖田が呼んでいたことを告げる。
 そのために自分は探していたのだと。

「んだそれ…自分で来いってなぁ?」

 上体を起こしながら人を使う沖田を詰る土方に、ただ、苦笑を返す。
 掌に残る、安心しきったように、擦り寄られた、温かな感触。
 知らず、硬く結んでいた掌。
 
「土方さんって、お兄さんいたんですよね?」

 確か末子だったはずだと、記憶を辿りながら、口にしていた。
 黙っているのは、なんとなく忍びないような気がしたから。

「ん?あぁ6人兄弟の末っ子だからな…」

 そこまで言って、気がついたのか、土方の表情が僅か、固まる。
 
「俺…寝言でも言ってたか…?」

 夢の残滓が残っていたのだろう、その言葉に、斉藤はただ、苦笑して頷く。
 一瞬、ひどくばつが悪そうな表情を浮かべる土方。
 蝉の鳴き声が一瞬、止んだ。

「一番上の兄貴の夢を見てた…」

 けれど、黙っているほどのことでもないと思ったのか、口を開く土方に、斉藤はただ黙って、先を促す。
 再び鳴き始めた蝉の声は、やはり、耳を聾するかと思うほどで。
 それでも、土方の声だけははっきりと、斉藤の耳に届いた。

「二回りも歳が離れてるからな…兄貴は良く可愛がってくれたよ」

 白く浮かぶ庭に、視線を投げかかる土方の、その形の言い口の端に、懐かしむような笑みが浮かぶ。
 
「俺も兄貴に懐いてた。…こんな風に、兄貴が縁側で涼んでたりするだろ?そしたらいつもその膝に入って甘えてた」

 そう言って、斉藤を振り仰ぎ、照れたように笑う。
 そこには確かに、温かな光景を、感じることが出来て。
 
「悪餓鬼の俺を甘やかしてくれるのなんて兄貴だけだったからな」

 その言葉の端々に、土方の、兄への情が滲み出ていて。
 ああ本当に、仲が良かったんだなと、幼き日の土方の、無邪気さを垣間見た気がして、その微笑ましさに、笑みが零れる。
 ふわり、吹き込む風がまた、土方の、斉藤の頬を撫でる。

「あぁ、総司が呼んでるんだったな…」

 言いながら、立ち上がる土方。
 その、部屋を出て行く背が、ふっと、思い出したように立ち止まる。

「斉藤」

 どうしたのだろうと、怪訝に見上げれば、作ったような怖い顔で、土方が睨んでいた。

「俺が寝言言ってたなんて皆に言うなよ」

 その言葉に、思わず、吹き出していた。
 喉の奥、笑いを噛み殺しながら頷けば、土方も、つられたように笑いながら頷いて、今度こそ本当に、部屋を後にした。
 一人残された部屋の中、思い出すのは、兄を呼ぶ土方の声。
 皆が知らぬ、土方の記憶の一部を、共有できたような気がして、斉藤は一人、ひどく嬉しげな笑みを零した―。