「うわ…休みの日も来てるのかよ」

  随分な言葉と共に、随分乱暴に開けられたドアに目を遣れば、土方が呆れたような視線を自分に投げ寄越していた。

「その言葉、そっくり返すよ」

  苦笑しながら、言外に今日はどうしたと、疑問符を投げれば、正面のパイプ椅子に腰を下ろしながら、土方は溜め息混じりに、グラウンドを顎で指し示す。
 先程から響く、威勢の良い、応援団の声。

「練習の付き添い。かっちゃんの」

  土方自身は帰宅部のはずなのに。
  いつものことだが、相変わらず仲が良いと笑えば、土方は不機嫌そうにパイプ椅子を軋ませた。

「何も休みの日までやらなくて良いだろうに…」

  言いながら、カッターシャツの袖を捲る。
  確かに、まだ五月の始めだというのに、最近は随分と暑い。
  山南自身、窓から差し込む日差しの強さに、辟易としていたところだ。
 
「あ、そうだ。…土方君」

 ふと、問題集を進める手を止めて。
  脇に置いた鞄から、取り出すのは封筒。
 
「何?」

  小首を傾げながら覗き込んでくるその目の前に、二枚のチケットを、差し出してやる。
  そこに書かれたのは、土方が以前、見たいと漏らしていた、映画のタイトル。

「誕生日おめでとう」

  笑い告げれば、土方は一瞬、その切れ長の目を大きく見開いた後、ひどく嬉しそうに、照れたように笑った。

「ありがとう」

  差し出されたチケットを受け取りながら、一枚をひらり、振ってみせる。

「何で二枚?」
「誰か、女の子でも誘えばいいと思って」

  揶揄するように笑えば、それを想像したのか、土方がひどく面倒臭そうに顔をしかめるものだから、思わず、声を立てて笑う。

「モテるくせに」
「彼女持ちに言われたくねぇよ」

  にやりと、形の良い口角を釣り上げながら、今度は山南が、揶揄するように笑われる。
  知らず、耳が熱くなり、それを更に笑われた。
 この手の話題を自分に振られるのは、いつも苦手だ。

「ひ、土方君は何で此処へ?」

  どうにか話題を反らしたくて。
  生徒会室と言う、一般生の土方には何の縁も無いはずの此処への来室の意を問えば、もう揶揄うのには飽きたのか、そもそも然程その話題に執着していなかったのか、土方は思い出したように、パイプ椅子を軋ませて身を乗り出した。

「そうそう、忘れるとこだった。…山南サン夜暇?」
「今日の夜?」
 
  こくんと頷く土方に、山南は今日の予定を、記憶から引きずり出す。
  確か、今日のこの後の予定は、白紙だった筈だ。
  それを告げれば、土方は安堵したように、破顔した。

「そっか。良かった。…ならかっちゃん家来いよ。皆で呑みなんだ」
「…君は僕が生徒会長なのを忘れてるだろ」
 
 集まるメンバーは大体想像がつく。
  そもそも高三の男ばかりが集まって、酒が出ないわけがない。
  そこに、仮にも生徒会長の自分を誘うのだから、山南は知らず、溜め息を吐いてしまう。
 そんな山南に、土方は不意に、口角を吊り上げる。
 切れ長の目を眇ながら、浮かべる人の悪い笑みは、一瞬、息を詰めてしまうほど、土方の整った顔に良く似合う。

「良いんじゃね?…『知りませんでした。気付きませんでした』で」

  「つか、バレないから良いじゃん」と続く悪びれない言葉に、山南は苦笑を漏らすしかない。

「中間も目前だと言うのに…」

 ちらり、視線を投げかけた壁に掛かるカレンダーには、ちょうど二週間後の今日から四日間、『中間テスト』と赤い線が引かれていた。

「駄目…か?」

  先程までいっそ不遜げな態度だったのに。
 不安そうな視線を投げて来るから。
  思わずまた一つ、苦笑を零し、結局、山南は首を縦に振った。
  大体、土方の誘いを断れる人間が、この学園に何人いるだろう。
  今日の呑み会の名目は、土方の誕生日祝い。
  大人数になっているに違いなかった。

「面子は?」

 場合によっては、何か差し入れを持って行った方が良いだろうかと思案しながら問い掛ければ、土方は考える様に中空を睨みながら、ぎしり、椅子を軋ませる。

「さあ…原田や永倉とかその辺は来るだろ?…後は、下は総司に山崎に斎藤ぐらいだろ」
「上は?」
「あ、芹ちゃんや錦サンが来る」

 その親しげな呼び名に、ふと、自分たちが入ってきた当初を、思い出す。
 一級上の芹沢は、この辺りの高校では名前を知らぬ者がいない程、素行の宜しくない生徒で。
 そこに、中学時代から何かと問題の中心になってしまう土方が入ってきたものだから、周囲はひどく警戒し、異様な雰囲気の入学式だったのを、山南はまだ覚えている。
 けれど。

「かっちゃんがそこら中に声かけてるからな。…俺も何人集まるかなんて知らねぇんだよ」

 そう、近藤は誰とでも屈託なく打ち解けてしまう。
 それは芹沢も、例外ではなくて。
 結局、周囲の心配は杞憂に終わり、二人は一度も衝突することが無かったどころか、多分に行き過ぎる所がある芹沢を、近藤と土方が巧くいなすことさえあった。

「…何か差し入れを持っていきます」
「悪いな」

  苦笑する土方に、笑い返して。
  一番大変なのは近藤だろうなと、内心で思う。

―酔って騒ぐような連中が出ないようにしないと…―

  もしかしたら、自分はその為に呼ばれたのかもしれないと、ぼんやりと思い至り、一人、内心で笑みを零す。
  人の世話を焼くのが嫌いじゃない自分がそこにいるのだから、仕方ない。
 開け放った窓から吹き込む風が、勝手に問題集のページをめくっていく。
 のんびりとしたチャイムの音が、鳴り響いた。
 着信があったのか、ケータイを開いた、土方が、軽く眉間に皺を寄せる。

「どうし…」
「総司が今すぐ家に来いだと」

  「自分が来いっつの」と続く悪態の後に、そのまま返信の文に乗せているのだろう。
 カチカチと、無機質な音が響く。
 
「………うっざ…」

 寸の間を開けず、どうやら今度は電話が掛かってきたらしい。
 土方が軽く片手で詫びる仕草をするから、笑って出る様に勧めてやる。

「………なん…」
『来て下さいよ!来て下さいよーっ!早く早く、ほらほら誕生日プレゼントあげますから』

 皆まで言わせず、ケータイ越しですら、漏れて来る声に、大仰に眉をしかめる土方。

「あーあーどうもありがとう。…夜でいいだろが」
『嫌ですよぅ。一番にあげたいじゃないですかー』
「安心しろ。朝、かっちゃんから貰って、今さっき山南サンからも貰ってるから」

 途端、響く沖田の非難めいた声に、何だか悪いことをしたようで、知らず顔を曇らせれば、土方が気にするなと言うように、声無く笑う。
 結局、何度目かのやりとりの後、出向くことになったらしく、がたり、椅子を鳴らして、立ち上がる。
 いつものことだけれど、相変わらず仲が良い。

「行くなら早く行ってあげた方がいいよ」
「何で」

 不服そうに眉間に皺を寄せながら聞いてくるから、視線で、時計を示す。
 壁に掛かる古びたそれは無機質な音で時間を刻んでいた。

「もうすぐ副会長も来るんですよ」

 途端、露骨に顔を歪めるから、思わず、笑ってしまう。
 
「いや、悪い奴じゃないのは分かるんだが…なんかあいつ駄目なんだよ。ねちっこいっていうか…」

 仮にも、山南と組んでいる相手だからか、気まずそうに続けられた言葉に、妙に鋭いと、感心してしまう。
 土方が感じている通り、副会長の伊藤は見る者に何かしらの悪寒を感じさせる程に、土方に執着していることを、山南は知っている。

「構わないさ。…僕も彼は少し苦手だ」

 苦笑混じりに言えば、土方は一瞬、驚いたように目を見開いたけれど、結局、何も言わずにただ苦笑を返しただけだった。

「さ。だから早く」
「………ったく、ダルいったらねぇな」

  笑いながら送り出せば、土方はうんざりとした表情のまま、それでも、どこか嬉しそうに、背中で片手を上げて出て行った。
  夜にはきっと、その周りを大勢の人間が囲い、彼の誕生日を祝うのだろう。
  そして自分もその中の一人になる。
 風にめくらせるままだった問題集を、開き直した時。
 
「おや、会長一人ですか?」

 不意に、かけられた声に顔を上げれば、伊藤が意外そうな顔でたっているから。
 小首を傾げて促せば、神経質そうな細い顎を振って、グラウンドを示す。

「応援団が練習してたので。…土方君も来てるかなと思ったんですが」

 「せっかく土方君の誕生日なのに」と、ひどく残念そうな声音で漏らすのに、早く送り出して正解だったと、内心、安堵の息を吐く。
 ふと、思い付いて。

「伊藤君、君、今日の夜は?」
「夜?特に何も?」

  それがどうした、と、怪訝そうに眉根を寄せるのには応えずに、ただ、「そうか」とだけ、頷いてみせる。

「おや、もう帰るんですか?」
「うん。…今日は用があってね」

 手早く荷物を仕舞込みながら、感じるのは微かな優越感。
 
―差し入れは何が良いかな―

  面子と予算を照らし合わせながらつらつらとそんなことを、考えたりして。
  いっそ何か、土方の好きな物を作って行ってやろうかと、思案する。
 何しろ今日は、彼の誕生日だから。
 皆、それが祝いたくて、集まるのだから。

「それじゃあ、戸締まり宜しく」

 生徒会室には、伊藤を一人残して。
 出て行く山南の口元には、ひどく優しい、微笑が浮かんでいた―。