ざわり、初夏の空気を孕んだ風が、ようやく綻び始めた紫陽花の葉を、揺らす。
 境内の一角、しゃがみこんだ幼子達の項を照らす昼の日差しは、まだ夏のそれには程遠いが、暑い。
 けれどはしゃぎ遊ぶ子供たちに、それを気にする風は無くて。

「えぇ〜きっちゃんしゅみ悪い〜」
「だって土方はん男前やんかっ」

 唐突に耳に入った随分ませた会話に、直してやった駒を少年の手に返しながら、沖田は声の方へと視線を投げる。

「うちは絶対、原田はん」
「そっちのんがしゅみ悪いやんかっ」
「確かに」
「「ひゃあっ?」」

 突然降ってきた第三者の声に、隅にしゃがみこんでいた少女達は、飛び上がらんばかりに驚いた。
 それに笑いを返して、沖田は口を開く。

「土方さんと原田さんなら、絶っ対土方さんだよ」
「そうやんねぇ?」

 そらみたことかと、友人を見遣る少女に、原田派の少女はむっと頬を膨らませる。

「やって土方はんってなんか怖いやん」
「そこがえぇんやんかぁ」

 言い募るませガキ二人に、思わず漏れる苦笑。

―怖い…か…。可愛いとこもあるんだけどなぁ…あの人―

 そんなことを本人に言えば、ひどく嫌そうに眉を顰められた挙句、冷たい一瞥を投げられるのは目に見えているけれど。
 その様を想像して、一人笑いを零す沖田に、子供たちが不思議そうな視線を投げる。
 と、不意に、白い土の上、しゃがみこんだ自分の影の上に、背後から重なるように落ちた、もう一つの影。

―拙…っ―

 思ったときには、もう既に遅くて。

「総司ってめぇまた…っ」
「今っ今行こうと思ってましたっ」

 響く怒声を遮るように立ち上がり、苛立たしげに眉間に皺を寄せる土方に向き直る。
 唐突の怒声にすっかり縮こまってしまった幼子達の頭を一撫でして、「またね」と告げれば、途端、残念そうな声が上がった。
 その声に苦笑を返して、今だ渋い顔の土方と並び、歩き出す。

「井上さんは?」
「仕事だ。お前と違って」

 いつも己を呼びに来てくれる者の所在を問えば、帰ってくるのは棘のある言葉。

「あー…そうですか」

 向ける笑顔が、引き攣る。
 途端、二人の間に落ちる沈黙。
 背中で響く、子供たちのはしゃぐ声が、静かな境内に、やけに響いた。
 こうなれば、気まずいのは沖田の方で。
 落ち着き無く彷徨わせた視線の先、ふとあることに気付き、僅か、眉根を寄せる。

「うわぁ」
「―――っ?」

 それは、自分でもわざとらしいと思う声。
 さりげなく周囲に人がいないのを確かめて、躓いたふりで、土方を後ろから抱きすくめる。
 下駄の歯が砂を噛む音が、耳に響く。
 
「おいっ」

 よろけてしがみついて来ただけの沖田が、いつまでも離れないので、引き剥がそうと身動ぎする土方を、腕に力を込めることで、遮る。

「総…」
「また、痩せましたね」
「は?」

 土方の言葉を遮れば、呆けた様に沖田を見上げてくる土方に漏れるのは、苦笑。

「最近食べてないでしょ?」
「な…っ」

 腕の中の身体は、以前よりも更に、細身を増していた。
 それはそのまま、土方の激務を表していて。

―いつからだろう…―

 見上げていた背が、入れ替わったのは。
 いつからだろう、こんな風に抱きすくめることが出来るほどになったのは。
 いつからだろう、この人をこんなにも細いと感じるようになったのは。

「うるせぇよ」

 強く振り払う土方に、今度は遮らず、腕を解く。
 
「ねぇ土方さん」
「あぁ?」

 まだ何かあるのかと、振り返ったその顔に、向けるのは笑い顔。

「私は土方さんの味方ですよ」

 一瞬、土方の切れ長の目が、驚いたように見開かれる。
 けれど次の瞬間には、その口元に浮かぶのは、ひどく不遜げな、微笑。
 挑むようなそれは、一瞬、息を詰めるほどに艶を孕んで。

「ガキが生意気言ってんじゃねぇよ」

 昔から変わらぬ言葉に、思わず、漏れるのは苦笑。
 
―やっぱり私じゃ駄目ですか―

 たとえその背を追い越しても。
 たとえその身を抱きすくめるほどになっても。
 結局、土方にとっては「宗次郎」のままで。
 己を後をついて回っていた子供のままなのだ。
 心の内に湧く、ほんの少しの寂しさ。

「十分頼りにしてるぜ。一番隊組長」
「―――っ」

 背を向けたまま、投げられた言葉に、一瞬、歩みが止まる。
 多分、今己が晒したのは、随分と間が抜けた顔だっただろうと思う。
 さっさと一人、前を歩く土方を見れば、微かに除く、耳が赤い。
 知らず、緩む口元。

「もっともっと、頼っていいですよ」

 笑い顔で回り込み、その顔を覗き込めば、「調子に乗るな」と睨まれた。
 けれど、その睨む目元はやはり赤くて。

―私はずっと、土方さんの傍にいますよ―

 その細い肩にかかる重荷を、少しでも減らせるならば、何だって出来ると、沖田は思う。
 少しでも笑ってくれるならと。
 昔から、少しも変わってはいないこの人の為ならと。
 背に当たる昼の日差しは、まだ夏のそれには程遠いが、暑い。
 初夏の空気を孕んだ風が、遠く、子供たちの声を、運んでくる。
 何気なく、絡んだ視線。
 交わした微笑は、お互い、ひどく穏やかなものだった―。