「心中というのを見たことがあるかい?」

 唐突な屏風のぞきの言葉に、仁吉は器用に片眉だけを吊り上げ、視線を投げた。

「何だい、いきなり。妙なことを」

 けれど、仁吉の反応には返さず、屏風のぞきはぷかりと、煙管をふかす。
 吐き出された紫煙は、天井に届く前に、部屋の空気に溶け消える。

「煙管ってのは便利だねぇ…。仰向けで吸っても灰が落ちないもの…」

 ぼんやりと、見るともなしにそれを追う目は気怠げで。
 仁吉はひょいと、その顔を覗き込み、微か、口角を上げる。

「お前は見たことあるのかい」
「あるよ…」

 相変わらず気怠げな視線のまま、仁吉を見上げ、紫煙と共にぽつりと吐き出された肯定の言葉に、仁吉は意外そうな声を上げた。

「まだ…魂が宿って間もなかった頃さね…」
「ほぅ…」

 それはようやっと、意識が芽生え始めた頃。
 屏風のぞきの本体である屏風は、ある女の部屋に置かれていたという。
 そして、その女には好いて好かれる男が居た。

「よく覚えてはいないけど…大方親か何かに反対されたんだろうね」

 ゆらり、立ち昇る紫煙が、鼻腔を掠める。
 仁吉の灰をも満たす、苦い匂い。
 寒いのか、無意識に、少し冷えた足先を絡ませてくる屏風のぞきに、珍しく好きにさせてやりながら、続きを促す。

「ある日男が思い詰めた顔でやって来てね」

 その手に持たれたのは、一本の出刃。
 驚く屏風のぞきの目の前で、女は、泣きながら笑っていた。
 その手にはやはり、出刃。
 白く細いその手に、それはあまりにも不釣合いで、それがひどく、印象的だった。

「この世で結ばれぬ中ならば、死して一つに結ばれようぞ」

 まるで、芝居の一説を読み上げるような口調に、仁吉が声を立てて笑った。
 人の悪いその笑いに、屏風のぞきも笑いを零しながら、言葉を続ける。

「ほんとにこう言ったんだから、全く素晴らしいよ」
「で?その出刃で互いの心の臓を一突き。ってかい?」

 やはり、芝居の一説のように、笑いを噛み殺して言う仁吉に、屏風のぞきは苦笑して、頷く。
 記憶にあるのは、迸った赤。
 それが己に掛からなくて良かったと、不謹慎にも屏風のぞきは思う。

「全く…心中ってもの程、馬鹿げたもんはないよ」
 
 ごろり、寝返りを打つ。
 敷き布に散らばる乱れ髪が、微かな音を立てて、流れる。
 無碍も無い言葉に、仁吉は人の悪い笑みを一層濃くして、面白そうに屏風のぞきの顔を覗きこむ。

「へぇ…言うじゃないか」

 その、揶揄するような声音に、屏風のぞきが不満げに唇を尖らせる。

「だって一緒に死んだって、女は嬉しそうな、男は苦しそうな顔をして死んでたもの。…死んだって一つになんかなれやしないんだよ」

 かんっと、小気味良い音を響かせ、屏風のぞきは火鉢に灰を落とす。
 すると、急に手持ち無沙汰になったのか、うつ伏せのまま、枕元に散らばる桜紙を摘むと、おもむろに引き裂き始めた。
 びりびりという、紙の裂かれる音が、雨音しか存在しなかった、部屋を、埋める。
 仁吉がつっと、その眉根を寄せた。

「散らかすんじゃないよ」
「後で片付けるったら。…だってそうじゃないかい?」

 短冊のように裂いた紙を、今度は細かく千切りだす。
 桜色の小山が、ふんわりと、枕元に出来上がっていく。
 話を戻そうとする屏風のぞきに、仁吉は桜紙を取り上げながら、不機嫌そうに、それでも「何が」と、つきあってやる。

「…。どんなに深く交わったって、同じ夢は見れないだろう?」

 桜紙を取り上げられ、幼子のように唇を尖らせ、諦めてごろりと横になった。
 仁吉が、紙吹雪と成り果てた桜紙を、ぐしゃりと丸め纏めると、くず入れに放り込む。
 微かに、軽い音を立てて、あまり中身が入ってなかったのだろう、紙団子が、くず入れの底に落ちた。

「だったらこうやって、向かい合って話しをしてる方が良かないかい?」

 「死んじまうよりもさ」と、続けながら、屏風のぞきは、やはり寒いのか、ごそりと、まるで猫の様に、仁吉の懐に潜り込む。

「そうかもしれないねぇ」

 己より少し体温の低い、寒がりな付喪神の好きにさせてやりながら、仁吉は小さく、呟いた。
 不意に、腕の中の存在を強く抱きこみながら、にやり、その形の良い唇を、吊り上げる。

「だったら…お前さんは死ぬまであたしの横に置いてやるよ」

 言いながら更に、腕に力を込めれば、屏風のぞきは驚いたように目を見開いた後、ひどく慌てた様子で仁吉の肩に額を強く押し付け、口を開く。

「あ…あたしは死ぬまであんたに殴られなきゃなんないのかい」

 その軽口に、仁吉が、喉の奥で押し殺した忍び笑いを漏らす。
 
「なんなら生まれ変わっても、見つけ出して置いてやるよ」
「―――っ」

 腕の中で、屏風のぞきが一層、身を強張らせるのが分かる。
 肩に額を強く押し付けている所為で、その表情は分からぬけれど、視界の端、微かに捕らえる耳は赤い。
 その反応が、存在が、仁吉は楽しくて仕方ない。

「確かに生きているほうがいいねぇ」

 楽しげに呟かれる言葉に吐かれた、屏風のぞきの諦めた様な溜息が、寝屋の空気に溶けて消えた―。