ちりちりとした痛みが、首筋に走る。
反射的に息を詰めれば、耳元で、小さく、笑みを零す気配がして。
「一太郎…」
愛しげな視線に、目元が熱い。
掠れた声で呼べば、返事の代わりに降りてくるのは口付け。
「んぅ…」
柔らかに濡れた感触に、ぞわり、背筋を快楽が走り抜けた。
「まぁつぅー」
妙に、愛称を間延びさせながら、絡みついてきた腕に、無遠慮に体重を預けられ、帳面を持ったまま、松之助は僅かに、前につんのめる。
危ないじゃないかと、窘める様な視線を投げれば、親しくしてくれている手代の平治が、揶揄する様な笑みを向けてきて、一瞬、目を見開く。
「何です?」
小首を傾げれば、笑みは一層、深くなって。
松之助は更に深く、小首を傾げた。
その、伸びた首筋を、不意に指先で辿られて、思わず、身を竦める。
「……っ?何…」
「お前もすみに置けねぇやなぁ…」
ぞわりと、鳥肌の立った腕を擦りながら、怪訝に見返せば、にやにやと、ひどく面白そうな笑みを浮かべて、脇腹を肘でつつかれ、一層、訳が分からなくなる。
ただ、小首を傾げるだけの松之助に、平治はぐっと、絡めたままの腕に力を込めて、顔を引き寄せる。
「で?相手は何処の誰だい?」
「は?」
質問の意図が分からな過ぎて。
怪訝に眉根を寄せる松之助に、平治は呆れた様に声を上げた。
「何だよ、とぼけるこたぁ無いだろう。こんなとこに跡付けるなんざ、よっぽど情の深い女子なんだろう?」
「え?…あ…っ!」
ついと、もう一度首筋を指で辿られ、ようやく思い至った松之助は、慌てて、己の首筋を手で覆う。
昨夜、熱を交わしたとき、一太郎が戯れに残した、ちりちりとした痛みが、首筋に蘇る。
頬が、熱い。
「こ、これは…」
「今更照れてもおそいやな」
その様に、平治が声を立てて笑う。
気恥ずかしさに殆ど泣きそうになりながら、困り顔で見つめれば、一層、可笑しそうに笑われた。
「ま、他の連中に揶揄られるのが嫌なら、手拭でも巻いとくんだな」
真っ赤になって、固まってしまった松之助を肩を、苦笑交じりに叩いて。
他人の色恋に首を突っ込むのは野暮とでも思ったのか、平治は一人さっさと仕事に戻ってしまった。
「………」
外では耳を聾するほどの、蝉の声が響いている。
じっとしていても、じわりと、肌に汗が浮かぶ。
そう、汗が伝うから、不快だから。
だから、首に手拭を巻いていても不自然ではないはずだと、己の中で何度も言い訳をして。
決して暑さの所為だけではなく、赤くなっているであろう頬を持余しながら。
松之助はきゅっと、常よりきつめに、首に手拭を巻きつけた。
暗い離れの廊下を渡っていると、一つだけ、灯りが漏れる部屋の障子が、不意に開いて。
一筋、廊下に光が射す。
足音が、聞こえたのだろう。
ひょこり、顔を出した義弟に、松之助の口元に、笑みが浮かんだ。
「兄さん」
にいこりと、上機嫌に笑いながら。
手招く一太郎に、誘われるまま、部屋に入れば、とんとんと己の隣の畳を叩き、座るよう促された。
「何です?」
何か良いことがあったのだろうかと、小首を傾げながら問いかければ、また、一太郎は機嫌良さげに笑う。
「ねぇ、兄さんには好きな女子がいるんだって?」
「え?………っ!」
唐突過ぎる言葉に、きょとんと、一瞬、目を見開いた一拍後。
昼の出来事を思い出した松之助の目元に、朱が走る。
誤解だと、慌てて両の手を振った。
「ち、違いますっ!それは平治さんが勘違いして…」
「どうして、勘違いされたの?」
くすくすと、可笑しそうに笑いながら。
顔を覗きこんでくる一太郎の、その意図に気付いて。
いよいよ、頬が熱くなる。
ちりちりと、首筋の跡が疼くような気がした。
「だ、だって…一太郎が…」
きゅっと、膝の上で手指を握り込む。
知らず、俯いてしまう、その、頬が赤い。
「私が、なぁに?」
可愛らしく小首を傾げて。
いっそ無邪気な笑い顔で訊いて来る一太郎に、松之助の眉尻が、困った様に下がる。
「き、昨日の…」
「うん?」
消え入りそうな声で零すのに、一太郎が聞き逃さぬよう、耳を寄せる。
昨夜のことを思い出して、羞恥で、いっそ泣き出しそうになりながら。
困った様に見つめれば、一太郎から苦笑が漏れる。
ちゅっと、随分可愛らしい音を立てて。
鼻先に口付けを落とされ、松之助は僅かに、身を竦ませた。
「ごめんね。…これ、兄さんを困らせてしまった?」
ついと、首筋の跡を指先で辿られて。
びくり、身体が跳ねる。
ちり、と、また、跡が疼いたような気がした。
「少し…」
小さく、頷けば、一太郎の眉尻がすまなそうに下がる。
今度は詫びるように、軽く、唇に落とされる口付け。
「ごめんね…。でも…」
きゅっと、絡めた手指に力が込められ、つられるように、視線を上げれば、どこか大人びた表情で微笑う一太郎と目が合い、僅か、息を詰めた。
「なんだか、兄さんを独り占めできたみたいだね」
「……?」
どういうことだと小首を傾げる松之助に、答えずに、一太郎はただ、嬉しそうに笑う。
皆が松之助と深い仲の女子がいると勘違いしていれば、松之助を誰ぞに取られる心配は無いと、一太郎は内心、思う。
「怒ってる?」
上目越し、不安げに覗き込まれて。
松之助は慌てて、首を振る。
「ちょっと、恥ずかしかっただけだから」
少し、はにかむ様に。
怒ってないと微笑えば、一太郎も、安心したように、微笑う。
「良かった」
言葉と同時。
絡んでくる腕に、落とされる口付けに。
松之助は応える様に、眼を閉じた。