「珍しいものが手に入っての」

 そう言って見越しの入道が離れに現れたのは、もう随分夜も更けた頃。
 仁吉たちが、一太郎に就寝の挨拶をしようかと言う時だった。

「これは…酒…ですか?」

 手渡された重く、大きな壺を振れば、ちゃぷりと微かに水音が響く。
 鼻腔を擽る甘い芳香は、むせ返るほど。
 薬は仁吉の采配と、酒壺を相方に渡しながら、佐助は僅かに眉根を寄せて、見越しを見遣る。
 犬神である佐助の鼻には、間近で嗅ぐには、少し、きつい。
 佐助の問いに、見越しは、にやりと、さも面白そうに笑うと、傍らで中身を改める仁吉に、その視線を移す。

「白沢には覚えがあるかの?」

 言われ、顔を上げた仁吉は、一掬い、その白い指を濡らした中身を、舌で確かめる。

「これは…仙酒、ですか…?」

 驚いたように目を見開く仁吉に、見越しは大きな笑いを、その顔に浮かべ、頷く。
 傍でそれを見ていた一太郎が、小首を傾げた。

「仙酒って?」
「大陸の、仙人や妖たちの間で作られる秘酒ですよ。不老長寿の効用があると言われ…」

 仁吉の説明を、見越しが継ぐ。
 
「まぁ全く歳を取らぬ訳では無いだろうが…並みの酒よりは身体には良いだろうさ」
「へぇ…」

 一太郎の目が、遠い大陸からやって来た、酒壺に注がれる。
 部屋に満ちる甘い香りは、少なくとも、日頃飲まされる訳の分からぬ薬よりは、舌に優しいのは確かだ。 

「けど若だんな、今日はもう遅いですし…」
 
 心配げな佐助の声に、一太郎の目に、残念そうな色が浮かぶ。
 それを見た見越しが、苦笑を一つ零して、口を開く。

「まぁまぁ…仙酒は身体には残らぬ。常の酒と違って毒は無いし…女子供でも飲めるものじゃ。…今日ぐらいちぃっとばかし夜を更かしても構わんじゃろ。…のぅ白沢」

 水を向けられた仁吉が、困惑したように相方を見遣れば、同じ色を浮かべた視線とぶつかった。

「駄目かな…?仁吉、佐助」

 一太郎の不安げな声に、二人の間から漏れる苦笑。
 視線を交わし、頷き合うと、一太郎に向き直る。
 仁吉が笑って一つ、頷いた。

「良いですよ。今日だけ、特別です」
「ありがとう」

 向けられた、ひどく嬉しそうな微笑に、つられ、二人の手代からも、笑みが零れる。
 
「さぁさ。酒の宴と行こうかの」

 見越しの声が、注がれる甘い香りに、溶けて消えた。




 深い寝息を立てる一太郎に、佐助はそっと、布団を掛けてやる。
 規則正しい呼吸を刻むその頬は、上気して、朱い。
 すっかり酔って、眠ってしまったのだ。

「さて…わしもそろそろ帰らねば。…今日は楽しかったぞ」

 そう言って腰を上げる見越しは、見送りに立とうとする二人を制し、笑い声を残して、いつものように消えて行った。
 不意に、静寂が部屋を満たす。
 
「随分忙しない夜だったねぇ…」

 後の片付けをする仁吉の背に、佐助が声を掛ける。
 部屋にはまだ微かに、酒の匂いが漂っていた。
 
「まぁね。でも若だんなも楽しそうだったし…」
「良しとするか」

 穏やかに眠る一太郎に、注がれる、二人の視線。
 同じように酔いつぶれた鳴家たちと共に眠る姿は、ひどく無防備で、いっそあどけない。
 知らず、二人の目元は和む。

「佐助、灯を」
「あぁ」

 ふっと、行灯の火を吹き消すと、辺りは一瞬で、真闇に包まれる。
 ちゃぷりと微かに響く水音が、仁吉が僅かに中身の残った酒壺を手に、立ち上がった気配を知らせた。
 闇の中、一瞬強く、その甘い香りが匂う。
 同じように立ち上がった佐助の足元、僅かにふらついたのを、仁吉はあえて、気付かぬふりで、促す。
 
「あたしたちも休むとするか…」

 その言葉を合図に、二人、そっと一太郎の部屋を辞した。




 ごんっと、鈍い音が、手代部屋に響く。
 続いて上がった微かなうめき声に、仁吉は呆れたような声を出した。

「何やってんだい」
「…痛ぅっ」

 額を押さえる佐助の手を退けさせて、その顔を覗きこむ。
 部屋に入り様、鴨居に、その額を思い切り打ち付けたのだ。

「あーあぁ…ちょっと赤くなってるよ」

 言いながら、揶揄するように口角を上げれば、僅かに潤んだ目が睨みつけてくる。
 けれど、仁吉は知っていた。
 その目には、いつもの鋭さが無いことを。
 潤むのが、ぶつけた痛みからではないことを。

「酔ってるだろ」

 でなきゃ、鴨居に頭なんかぶつけるはずも無い。
 
「そんなことない…」

 力ない言葉とは裏腹に、その目元は、朱に染まっていて。
 微かに震える唇から吐かれる吐息は、熱を孕んで、熱い。

「ふぅん」

 含みのある相槌を返しながら、酒壺の中身を、盃に注ぐと、一息に煽る。
 
 
「仁吉…?」

 怪訝そうな佐助の問いかけに、口角を吊り上げることで返し、ぐっと、その首を引き寄せると、深く口付ける。
 口腔内を満たす酒を、そのまま、佐助に口移す。

「―――っ?…ふ…ぅ」

 飲み込みきれず、顎を伝うその甘い雫を、指で拭ってやりながら、絡ませるのは舌。
 肩を押し返そうと足掻く手には、酒の所為で力など入らぬようで。
 力の抜けた身体を押し倒し、ようやっと、仁吉は唇を離し、僅かに驚く。
 酔いが回った所為だろう。
 佐助の変化が、半分解けてしまっていた。

「何すんだ…っ」

 詰る声は、やはり力ない。
 睨み付けて来る目も、相変わらず熱に潤んでどこか危うかった。
 そっと、着物の合わせ目からその肌に指を這わせれば、唇を震わせるのは熱を孕んだ吐息。
 仁吉の背が、ぞくりと粟立つ。
  
「やめ…仁吉…っ」
「無理をお言いでないよ…」

 耳元で低く囁けば、ひくりと、その身を震わせる。

「んぅ…ぁ…っ」

 そのままそっと、滑らかに短い毛並みを楽しむように舌を這わせれば、堪えきれぬ様に縋り付いてくる佐助が、愛おしい。
 片手で器用に帯を解きながら、仁吉はひどく楽しそうに、その形の良い口角を吊り上げた―。




「……?」

 不意に、今まで散々身体を弄っていた指が止まり、佐助は硬く閉じていた目を、開く。
 
「な…に…?」

 にやり、底意地悪く笑う仁吉と目が合い、思わず、戸惑う。
 見上げてくる眼差しが、微かに、不安げに揺れる。
 仁吉の背筋に、ぞくりと快楽が走り抜けた。
 仁吉はそっと、その白く細い指を、柔らかな毛並みに包まれた、耳に伸ばす。
 途端、びくりと身を竦ませる、その敏感な反応に、思わず、口角が上がる。

「やっぱり此処が一番感じるみたいだねぇ…?」

 揶揄するように囁かれ、佐助の頬に、さっと朱が走る。

「うるさ…っく…ぁ」

 柔らかな先端を、軽く指先で弾けば、反論が、快楽の吐息に、消えた。
 その滑らかな毛並みに、舌を這わせ、軽く甘噛み。

「ひ…ぅ…っ」

 佐助の瞳が、悲痛な程に、見開かれる。
 その朱に染まった目元に、涙が伝う。
 それを唇で掬ってやりながら、仁吉はそっと、下肢へと手を伸ばす。
 佐助自身に指を這わすと、びくりと、震えが走る。

「は…っ」

 微かに漏れる、掠れた吐息は、ひどく切なげで。
 指の輪で扱き上げ、鈴口を擦り上げては、追い詰める。
 求めるように、僅か、腰が浮く。
 快楽に、佐助の耳が力無く垂れ、微かに震える。

「仁吉…」

 甘く掠れた声に顔を上げると、哀願を滲ませた瞳と、視線がぶつかった。

「欲しいかい?」

 己の問いかけに、羞恥に震えながらも、こくりと小さく頷く様が、愛おしい。
 仁吉は、その形の良い唇に満足げな笑みを一つ刷くと、そっとその指先を後孔に這わせた。

「力抜いて…」
「ん…」

 己の中に入ってきた指に、佐助が寸の間、息を詰めるのがわかる。
 頃合を見計りながら、ゆっくりと、丁寧に慣らしていく。
 硬いばかりだった中が、柔くなるにつれ、佐助の唇から、再び、甘さを帯びた吐息が漏れ始めた。 

「ふ…ぅ…んっ」

 ある一点を、責め上げれば、徐々に、佐助から余裕が無くなって行くのが分かる。
 けれどそれは、仁吉も同じ。

「入れるよ…」

 耳元で囁く己の声は、熱に掠れていた。
 仁吉の肩に、縋り付くように顔を埋め、佐助が小さく、頷く。
 それを確かめ、仁吉はそっと、指を引き抜くと、代わりに己自身を押し当て、一息に、埋める。

「―――っ」

 ぎりと、背に回された佐助の手が、爪を立てる。
 硬く閉ざされた目を、涙が縁取る。
 何度も細かく、苦しげに息を吐く佐助の、気を散らしてやるように舌先でその涙を拭う。
 ようやく、馴染んだところで、ゆるく腰を動かす。

「あ…っにき…ち…」

 求められるまま、交わす口付けは激しく、深い。
 それはそのまま、二人の余裕の無さを表していて。

「―っく…ぅ…っ」

 徐々に激しくなる律動に、佐助は必死に、その喉の奥、漏れそうになる声を殺す。
 それが更に、内壁を狭め、きつく、仁吉自身に絡み付いては追い上げる。
 
「佐助…」
「―――っ」

 耳元で囁き、そのまま、少しきつめに、その耳の先端、歯を立てた。
 びくりと、一際大きく、身体が跳ねる。
 強すぎる刺激に、背が反り、力の篭った爪先が、無為に、敷き布を掻く。
 悲痛な程に、見開かれた目に、愉悦の涙が、伝う。
 同時に強く、指の輪で自身を扱き上げてやると、散々追い詰められていた佐助は、声も無く、仁吉の手の中、白濁を吐いた。

「…は…っ」 

 その強い締め付けに、仁吉も、佐助の中に、精を吐く。
 ぐったりと、脱力する佐助の、汗で額に張り付いた髪を丁寧に払ってやりながら、そっと、自身を引き抜く。
 どろりと、溢れ出てきた白濁が、淫猥な染みを、敷き布に作った。
 硬く絞った手ぬぐいで、後始末をしてやっていると、不意に、絡んだ、視線。
 そのままどちらとも無く、唇を重ねると、深く口付け、舌を絡めた。

「…ふ…」

 微かに漏れた吐息は、どちらのものか。
 ようやっと、唇を離せば、どちらともなく、零れる微笑。
 そっと、耳の根元を優しく掻いてやると、心地良さげに目を細め、無意識だろう、仁吉の手に擦り寄るような仕草を見せる。
 その様に、仁吉の口元、ひどく優しげな、笑みが浮かぶ。
 互いの腕の中に感じる体温が、ひどく愛おしかった。
 気怠い幸福感が、二人を包み込み、満たす。
 そのまま、互いに抱き合うようにして、深く優しい眠りの海に、二人は意識を投げ打った―。