「仁吉…?」
そっと、隣室へと続く襖を開けて、暗い部屋へと呼びかけてみる。
ひんやりと、入り込んでくる冷気が、寒い。
こちらに向けられたままの背は、振り返りもしなかった。
内心でそっと、溜息を付く。
つい先程、守狐を怒らせてしまった、初めてのことでどうしたら良いか分からない。と、屏風のぞきがそれはもう、普段では決して見れない程に動揺し、泣きついてきた。
ただでさえ、感情の触れ幅が大きくなっているのに。
仁吉がいつもの調子で酷い言葉ばかりを投げつけるもんだから、全く話が進まなくて。
仕方なしに、隣室に追い出したのだけれど。
当然それは、ひどく仁吉の機嫌を傾けた。
そして、今だ。
また、漏れそうになる溜息を噛み殺して、暗闇に向かって、口を開く。
家の中なのに、吐く息が、僅かに白い。
「仁吉、追い出したのは悪かった。…けどお前が…」
「本当に悪いと思ってるのかね」
遮る様に返って来たのは、不機嫌そうな声。
振り返った目に睨みつけられ、佐助の眉尻が、困った様に、下がる。
「思ってるよ。なぁ仁吉、いい加減こっちに…」
闇の中、微かに響く、衣擦れの音。
ようやっと、灯りの中に出てきた顔は、やはり、不機嫌そうだった。
「ああ、此方は温かいね」
ぴしゃり、後ろ手で襖を閉めながら吐き出された言葉は、言外に、火鉢も無い部屋へ追いやった佐助を、責める。
佐助の眼が、困惑に揺れた。
「だから、悪かったって…」
言う、その声は、いつものそれと比べ、弱い。
ふんと、逸らされた頬に、宥めるように伸ばしかけた手を、不意に捕らえられた。
その手は、驚くほどに冷たくて。
「仁吉…?」
不安げに揺れる声音に、にやり、仁吉の口角が吊り上がる。
「悪いと思ってるなら…その証を見せてもらいたいね」
底意地悪く笑う眼に、佐助が僅かに、息を呑んだ―。
「何、を…―――っ」
唐突に、捕らえられた手を後手に捻られ、思わず呻く。
不意の痛みに、膝を着く。
逃れる間もなく、何処から取り出したのか、荷纏め用の紐で両手の自由を奪われた。
「仁吉っ!」
詰るように、名を呼べば、やはり、底意地悪い笑みが返ってきて。
不覚にも、怯んでしまった。
咄嗟に、引き千切ろうと、両の手に力を込める。
けれど。
ぎしり、軋むばかりのそれに、白沢の力が働いていることを、知った。
じわり、背中に嫌な汗が滲む。
睨み上げれば、楽しげな笑みを浮かべた眼が、覗き込んできて。
「解けよ…っ」
吠え付けば、一層楽しそうに、切れ長の目は眇められた。
「嫌だよ。…悪いと思ってるんだろう?だったら…」
つっと、白く細い指先に、首筋から項、耳へと、なぞられ、ざわり、皮膚が粟立つ。
逃れるように身を捩れば、反らした首筋に、舌を這わされ、歯を立てられる。
その微かな痛みに、佐助が小さく、息を呑んだ。
「少しくらい、あたしの好きにさせとくれな…」
耳元に落とされる囁きに、身体が震える。
これの何処が少しだと、言いたかったけれど。
耳孔に舌を差し込まれ、思わず、漏れそうになった声を、堪えるのが精一杯だった。
「…ぅ…っ」
身体の下敷きになった、両の手が、痛い。
軋むようなそれに、睨みつければ、喉の奥底、押し殺された忍び笑いが、耳につく。
顔を背ければ、耳朶を食まれ、身体が震えた。
「そんなに睨まないでおくれ…」
「だったら…っぁ…っ」
耳介の淵に、少しきつめに歯を立てられて、じわり、涙が滲む。
そのまま、這わされる舌に、ぞくりと、背筋に快楽が走った。
ぎゅっと、掌を握りこめば、また、拘束された関節が軋む。
その鈍い痛みに、佐助は僅かに、眉根を寄せた。
「も…解け…よ…っ」
切れ切れの、吐息の狭間、詰るように睨み上げれば、仁吉は器用に、片眉を吊り上げる。
「恐いねぇ…」
呟いた声は、何処か楽しそうで。
怪訝に、眇めた眼を、不意に、覆われた。
「何…っ?」
視界を奪われ一瞬、訳が分からなくなる。
瞼に触れる柔らかな感触に、手拭いで目隠しをされたのだと分かるのに、寸の間、掛かった。
耳元に響く忍び笑いに、かっと、頬が熱くなる。
「仁吉…っ!」
「あんまり睨まれちゃあ敵わないからね」
楽しげな声が、腹立たしい。
それでも、両手の自由を奪われていては、目隠しを取ることもできなかった。
仁吉の動きが分からず、じわり、不安が胸に湧く。
全身の神経が過敏になっていくのが、自分でも分かった。
「…っあ…っ」
胸の突起を指先で嬲られ、身体が跳ねる。
視界を奪われた所為で、全ての刺激が唐突に感じ、過剰に反応してしまうのを、止められない。
「にき…く…っぅん…」
胸の突起を弄る指はそのままに、舌先を耳孔に差し込まれ、きつい刺激に、じわり、涙が滲む。
すぐに手拭に染み込むそれが、不快だった。
「…ぁっ」
耳介の窪みをなぞる舌先が、かかる吐息が、いつもより強く、感じられて。
背筋を駆け抜ける快楽に、覆われた瞼を、きつく閉ざす。
乱れ、熱を孕んだ己の吐息が、煩い。
「にきち…っ」
すぐ傍に、熱を、吐息を感じているのに、己では触れることが出来なくて。
もどかしさに、知らず、握りこんだ掌。
「………」
それなのに、仁吉は応えない。
ただ無言で、与えられる刺激に、乱れる吐息の下、僅かに、不安が過ぎる。
表情が見えない。
声が聞こえない。
それはひどく、心許無くて。
「仁吉…?」
不意に、離れた指先に、体温に、思わず、零れた声は、微かに、不安げな色を映し出していた。
「………」
「―――っ」
不意に、脇腹をかすめ、下腹部へと這わされた指に、思わず、息を呑む。
けれど、やはり無言のままのそれは、ひどく佐助の不安を煽った。
「仁吉…っ」
「…どうしたんだい?」
悲痛さを帯びた声に、ようやっと、仁吉が口を開く。
耳に届いた声に、思わず、ほっと安堵していた。
「も…目隠しだけ、でも…解いてくれ…」
吐き出した声は、己でも驚くくらいに、弱々しくて。
それほど、視界を奪われるというのは、不安が大きかった。
仁吉が僅かに、目を見開くのが、気配で分かる。
苦笑が、空気を揺らした。
「そうだねぇ…」
「ぅ…わ…っ?」
不意に、身体を引き起こされて。
急な動きに、そのまま前に倒れそうになるのを、抱きとめられる。
肩を抱く指先に、柔く背筋を辿られ、吐息が震えた。
「ただ外すのも勿体無いしね」
「………?」
呟かれた言葉に、顔を上げる。
それでも、覆われたままの視界では、仁吉の表情は分からない。
耳に響く、衣擦れの音。
不意に、指先が髪に差し込まれ、柔く、掌で後頭を押された。
「舐めて」
それだけで、何を求められているかが、分かる。
別段、嫌いな行為ではないけれど。
視界を奪われた上、両手の自由まで奪われては、随分と遣り辛い。
困惑に躊躇えば、ふっと微笑を漏らすのが、気配で分かる。
「それが出来たら、外してやるから」
ひどく優しい声音で囁かれ。
仕方なく、佐助は辿るように、仁吉の胸元から、臍の窪みへと、ゆるく舌を這わせていく。
佐助自身は、気付いていないけれど。
視界を奪われ、僅かに不安げな色を孕んだその動きは、頼りなく、淫猥で。
仁吉は思わず、息を詰める。
「ん…っ」
飲み込みきれない唾液が、唇を濡らす。
下腹部にまで降りてきた舌先が、探るように、仁吉自身を、なぞり上げる。
始めは啄ばむ様に。
先端に濡れた唇で触れられ、仁吉が微かに、息を乱すのが、気配で分かる。
そっと、確かめるように、舐め上げる。
ざらついたその濡れた感触に、後頭に差し込まれた手に、僅かに、力が篭る。
舌先で窪みを掬うように捕らえると、佐助はようやっと、仁吉自身を咥え込んだ。
口腔内に広がる、微かな苦味に、一瞬、眉根を寄せる。
軽く、頭を上下させれば、質量を増したそれが、喉に苦しい。
滲んだ涙が、また、手拭に染み込む。
じっとりと重くなったそれは、ひどく不快だった。
「く…ふ…っ」
手が使え無いと言うのは、随分と苦しかったけれど。
懸命に舌を這わせ、上下に扱く。
先端の窪みを擽る様に舌先で刺激しながら、きつく吸い上げる。
「く…っさ、すけ…っ」
熱に震えた吐息が、空気を揺らす。
喉の奥まで咥え込むのが、苦しい。
溢れる唾液が、顎を伝い、首筋を汚す。
不意に、伸ばされた指先に、掬い取られ、胸の突起に塗りこむように弄られ、思わず、歯を立てそうになり、何とか堪えた。
「痛ぅ…」
抗議の意を込めて、態と、敏感な鈴口に軽く歯を立てる。
反射的に髪を掴まれ、佐助は僅かに、眉根を寄せた。
「ん…ぅ…」
淫猥な水音が、いつもより耳に煩い。
それはひどく、佐助の羞恥を煽り立てて。
荒い吐息に一層、二人の熱が、上がる。
「さ、すけ…っ」
切なげな声は、限界を知らせるそれで。
脈打つ、口腔内の熱を、佐助はきつく吸い上げる。
途端、吐き出された白濁とした苦味に、思わず咽返りそうになりながら、それでも何とか、飲み下す。
最後に軽く、鈴口を吸って、仁吉の手に支えられながら、佐助はようやっと、身を起こした。
「…は…ぁ…」
苦しさから開放され、大きく、息を吐く。
後頭に置かれたままの仁吉の手指が、器用に手拭の結び目を、解いた。
投げ捨てる、涙を吸って、重くなったそれは、重い音を立てた。
「………っ」
例え、常夜灯の薄闇でも。
今まで視界を覆われていては、眼に痛い。
思わず、眼を瞬かせれば、眦に溜まっていた涙が、零れ落ちる。
「―――っ」
涙に濡れた、ぼんやりと焦点の定まらぬ瞳は、ひどく危うい。
その上に、唾液に濡れた唇に、口の端を伝う、飲み込みきれなかった白濁。
淫猥すぎるそれに、仁吉は思わず、眼を反らした。
「仁吉…」
佐助は視線で、後手の戒めを、示す。
仁吉が微かに苦笑して、頷いた。
「この阿呆が…」
ようやっと、自由になった両の手は、不思議と、縄目の後一つ着いていなかった。
その、まだ少し痺れる手を、確かめるようにそっと、仁吉へと、伸ばす。
「佐助…?」
ぎゅっと、抱きしめられ、珍しいそれに、仁吉が僅かに、目を見開く。
「………触れたい、と…思う、だろうが…」
ようやっと、触れることの出来た温もりに、その肩口に、顔を埋めて。
零した言葉は、ひどく小さかったけれど。
仁吉には届いたらしく。
「そりゃあ、悪かった」
と、随分嬉しげな声音と共に、きつく抱き返された。
「ん…っ」
首筋から鎖骨へと、舌を這わされ、息を詰める。
背筋を辿る指先に、後孔をなぞられ、零れ落ちた吐息が、震えた。
誘うようにそっと、膝を立てる。
「いいかい…?」
問いかけに、小さく頷けば、つぷりと、差し込まれる指に、思わず仁吉の肩を掴む指先に、力が篭る。
敏感な内壁を弄られ、立てた膝が、震えた。
「ぁ…く…ぅ…」
きつい刺激に、涙が滲む。
漏れそうになる声を、必死に喉の奥底、押し殺す。
「佐助…」
至近距離で、視線が絡む。
誘う舌先に、おずおずと、己から絡ませれば、すぐに、きつく吸い上げれられて。
増やされる指に、零れかけた悲鳴は、仁吉の舌に絡めとられて溶け消えた。
「ん…ふぅ…」
ばらばらに指を動かされ、思わず、目を見開く。
すっかりと熱を孕んだ自身に指を這わされ、その強すぎる刺激に、佐助は何度も、首を左右に打ち振った。
上気した肌を、汗が伝う。
乱れた吐息が、熱を煽る。
もっとと、内壁がひくつくのが、自分でも分かった。
「自分から…できるかい…?」
優しげな声音で、耳元に落とされ、目を見開く。
一瞬、何のことか分からず、支えるように腰に手を回され、はっとする。
今更、近すぎる距離に、頬が熱くなるのが分かった。
「無、理だ…」
出来ないと、首を振ってみても。
「あたしを部屋から閉め出したんだ。…これくらいは良いだろう?」
底意地悪く笑うなら、睨みつけることもできるのに。
ひどく優しく微笑って言うから。
佐助はぎゅっと、唇を噛み締め、俯いてしまう。
「佐助…」
宥めるように、背を撫でられて。
仁吉自身の先端を、後孔に宛がわれ、その熱に、身体が震えるのは止められない。
羞恥心に、泣きそうになりながら。
仁吉の肩に置いた手が、震えていたけれど。
それでも、佐助はゆっくりと、自ら腰を落として行った。
「ぅ…っあ…っ」
はたり、額の汗が、仁吉の胸に、落ちる。
苦しげな吐息は、荒い。
ようやく、全てを収めた時には、仁吉の肩に凭れ掛ってしまった。
自らの重みがある分、いつもより深いそれは、ひどく苦しい。
きつく目を閉じ、切なげに眉根を寄せる様はひどく淫猥で、仁吉はこれ以上、堪える自信が無い。
「…ごめんよ…」
「………?…っ?待―――っ」
悲鳴は、律動に掻き消されて。
まだ馴染み切る前に動かされ、佐助は、漏れそうになる悲鳴を噛み殺すのに精一杯だった。
いつもよりも深く、最奥を突かれ、痛みに、涙が滲む。
苦しさに、仁吉の肩に置いた手指が、ぎりと、爪を立てる。
「い…痛ぅ…」
苦痛にきつく眉根を寄せれば、仁吉が気を散らすように、口付けを落としてくる。
心地良いそれに、徐々に痛みは薄れてきて。
湧き上がるのは、快楽。
「ぁ…く…ぅ…んっ」
薄目を開ければ、近すぎる距離で、視線が絡む。
羞恥に、目元が熱くなる。
それでも、誘う様に唇を舌で辿られれ、舌を差し出させばきつく吸い上げられて。
きつい快楽に、思考が空白になっていく。
激しさを増す律動に、熱が、高ぶる。
「ひ…っぅあ…っ」
擦られ、突き上げられて。
堪えきれない声が、唇から零れ落ちる。
頬を伝う涙を、仁吉の舌先がそっと、舐めとってくれた。
「…は…んぅ…っ」
快楽に、爪先が敷き布を、蹴る。
限界が、近いのが己で分かった。
「さ、すけ…っ」
「にきち…にき…」
互いに、縋るように名を呼べば、それはすぐさま口付けに変わって。
一層、激しい律動の後、最奥に吐き出されるのは、白濁とした熱。
「―――っ」
ほぼ同時に、佐助も仁吉の手の中に、己の熱を解いていた。
「…は……っ」
そのまま二人、きつい快楽の余韻に、布団の上に倒れこむ。
焦点の定まらぬ瞳のまま、視線を絡ませれば、瞼に一つ、口付けを落とされる。
髪を梳いてくる手は、ひどく心地良かったけれど。
そっと、その手を、捕らえる。
「佐助…?」
怪訝そうな声には応えずに。
捕らえた、白く細い手指に、己のそれを絡ませる。
ひどく冷たかったそれは、いつの間にか同じ体温になっていて。
そのことに、佐助の口の端、満足げな笑みが、浮かぶ。
仁吉の瞼に一つ、口付けを返せば、返って来るのは、ひどく優しい微笑。
「明日…起きれなかったらお前の所為だから」
「お前が締め出したからだろう」
言って、互いに声を立てて、笑う。
絡ませた手指はそのままで。
二人はゆっくりと、同じ眠りの波に、その意識を委ねていった―。