どんよりと暗い灰色の空から、細い銀糸のような雨が降り注ぐ。
日の射さない部屋はじっとりと湿り気を帯びていて重い。
もう何日も、こんな天気が続いていた。
「全く・・・これだから梅雨は嫌になるよねぇ・・・」
呟いたその言葉に返ってくるのは鳴家たちの声だけで、いつもの皮肉屋の声は無い。
「屏風のぞき・・・大丈夫かい?」
問いかけても部屋の隅に置かれた屏風は静かなままだ。
元が紙である屏風のぞきにとってこの時期は、一年の中で最も苦手な時期だった。
また一つ、溜息を吐く。
「どうしたんですか?」
不意に掛けられた声に顔を上げると、菓子鉢を持った仁吉が心配げに眉根を寄せていた。
「いや、体調が悪いわけじゃないんだよ。・・・ただね・・・」
苦笑しながら仁吉の心配を否定すると一太郎は隅の屏風へと視線をやる。
その視線の意味に気づいた仁吉が、合点が入ったように「あぁ・・・」と呟いた。
「まぁ紙ですからね」
「うん・・・やっぱり心配だよねぇ」
この言葉に仁吉はつかつかと屏風の前に歩み寄ると、低く囁いた。
「出て来い。若だんなが心配してるだろうが」
背中で一太郎の咎めるような声が上がるが、意に介さずにらみつけていると、
中から屏風のぞきが胡乱気な眼差しで見上げてきた。
「そんなこと言ったってね・・・あたしゃ本当に力が出ないんだよ・・・」
それでも尚もその場を動こうとしない仁吉に、溜息を一つ吐いて屏風のぞきはのそりと抜け出て来た。
その手を掴んで半ば引きずり出すようにして出させても、やはり力が入らないことには変わりないらしく、
ぐったりと襖にもたれ掛かったまま動かない。
その姿に一太郎はまた、心配げに眉根を寄せた。
仁吉は軽く舌打ちして、座り込む屏風のぞきを強引に立たせた。
「仁吉っ?何する気だい?」
驚いたように声を上げる一太郎に一言、
「こいつをちょっとお借りしますよ」
とだけ断って部屋を出る。
二の句が来る前にぴしゃりと後ろ手で、襖を閉めてしまった。
隣の手代部屋に引きずり込み、手を離した途端、屏風のぞきは再び座り込んでしまう。
「一体何しようってんだい・・・」
相変わらず胡乱気に見上げてくる瞳には、ほんの少し、隠しきれない怯えの色が滲んでいる。
その姿に思わず口角が釣り上がりそうなのを堪えて、その細い顎を捉え、深く口付ける。
「・・・っ?んぅ・・・っ」
驚いたように目を見開いた屏風のぞきの腕が、仁吉の肩を押し戻そうともがく。
けれどただでさえ力の差があるのに、弱っていては抵抗らしい抵抗になるわけもなく、
仁吉は気に留める様子もない。
「・・・ん・・・」
けれど、歯列を強引に割って舌を絡め取って行くその行為の本当の意味に気づいた屏風のぞきは、
やがて抵抗をやめ、大人しく仁吉の舌を受け止めた。
「・・・っは・・・」
ようやっと開放され、唇を強く拭う屏風のぞきの仁吉を見上げる目が、困惑に揺れる。
「どういうつもりだい・・・」
問いただすその声には、もう先ほどまでの弱々しさはなかった。
「どうもこうも、若だんなに心労を掛けたままにしておけないだろう?」
そう言って見下ろしてくるめは、ひどく楽しそうに笑っている。
まるで新しい玩具を見つけた性悪な子供のように。
仁吉は口移しで、己の精気を少し、屏風のぞきに分けてやったのだ。
「だけど、梅雨はこれからしばらく続くだろうね」
その言葉に、屏風のぞきはびくりと肩を震わせる。
「また弱っちまったらいつでも言いな」
楽しげに笑うその目に、冷や汗が屏風のぞきの背を伝う。
じりじりと後ずさると、さっと踵を返して手代部屋から逃げ出した。
その後を追う事もせず見送りながら、仁吉はより一層、笑みを深くした。
「なかなか良いものを見つけたよ・・・」
一太郎の部屋に逃げ戻った屏風のぞきは、驚いて何があったと問いただしてくる一太郎と目もろくに合わさずに、
屏風の中に逃げ込んだ。
「もうあたしは平気だから心配しないでおくれっ」
壁のほうを向いたままそう叫ぶと、これから己の身に降りかかってくるであろうことを思い、
屏風のぞきはその身を震わせるのだった―。