縛られなかったのは、その必要がなかったからだ。
 蹴り飛ばされて無様に倒れ込んで。
 着物を剥がれたらもう、自ら外に逃げ出すなんて出来るわけもない。
 そうして、いつも追い詰められる己がいることを、認めたくはなかった。



 薄暗い土間の、黴臭い空気を、鋭い音が、引き裂く。

「い…ったぁ…っ」

 裸の背中を袈裟掛けに走る痛みに、息が詰まる。
 降ってくるのは愉しげな忍び笑い。
 振り仰げば、滲んだ視界の向こう。
 ひどく面白そうに笑う瞳と、ぶつかった。

「あぁ…ぅ…」

 綺麗すぎる笑い顔に、意識が取り込まれる気がする。
 とん、とんと、一定の間隔で、仁吉が篠鞭を、弄ぶ。
 じん、と、散々に打ち据えられた、背中が疼く。
 情けなくも、身体が震えて。
 頬を、涙が伝う。

「…も…いや…だ、ぁ…」

 力の入らぬ腕を立てて。
 必死に、逃れようと、土間を這う。

「まだ、だよ」

 背中に掛かる、ひどく優しい声音に、屏風のぞきは何度も、かぶりを振った。
 泣き濡れた眼で、見上げた仁吉は、ただ、微笑うだけ。
 篠鞭の先端が、とん、とんと、 一定の間隔で、仁吉の足元…先程まで屏風のぞきがうずくまっていた土間を、叩く。
 まるで、示すように。
 形の良い、細く白い指先が、くいと、招く。
 ちっちと、まるで、猫の仔を呼ぶように、仁吉が舌を鳴らす。

「戻ってきな。自分で」

 「できるだろう?」と微笑う声音は、ひどく甘い響きを持っていて。
 痛みに、ぼんやりとした意識が、柔く侵される。

「ぅ……」

 のろのろと、ひどく緩慢な仕草で。
 ゆっくりと、仁吉の足元に、這い戻る。
 一つ、腕を動かす度。
 引き吊れる様に、背中が痛んだ。
 ぽたり、土間に透明な雫が、零れ落ちる。
 どうしてと、思う思考すら、微笑う瞳に、絡め取られた。

「…………」

 ぼんやりと焦点の定まらぬ眼で、仁吉を見上げれば、ひどく優しい仕草で、髪を梳かれる。
 篠鞭の先端に、頤を捉えられて。
 ゆっくりと、瞳を閉じる。
 溜まった涙が、静かに、零れた。

「随分、素直に成ったじゃないか」

 揶揄するような言葉とは裏腹に、声音は酷く優しくて。
 ぞくり、背筋が震えた。

「良い子だね」

 ひどく甘い声音で囁く癖に。
 鞭を振り上げるあんたが大嫌いだと、裸足の爪先立を見つめながら、屏風のぞきは思った。



 白く綺麗な爪先が、それでも自分の為に土間の埃に汚れているのだと思うと、それだけで少し、満たされる心地がした―。