「さぁっむ…」

 カッターシャツの上から羽織った、ジャージの袖口に手指を隠しこみながら。
 頬を撫でる風邪に、シゲが、大げさに肩をすくめる。
 確かに、十月に入った途端、部活終わりのこの時間、風は、急速に冷たくなっていた。

―だったら、真っ直ぐ帰ればよかったじゃねぇか…―

 なんて言葉が、胸の裡に浮かんだけれど。
 何となく、口にしないまま、沈んで消えた。

「うわ、めっちゃ月綺麗やん」

 唐突に、漏れた言葉に、顔を上げる。
 少し、遠回りして帰ろうと、不意にシゲが言い出して。
 選んだこの道は、住宅街から、少し外れていたから。
 藍色の空に浮かぶ、白銀の月は、その光で、真っ直ぐに水野たちを照らしていた。

「ほっそい三日月」
「この間、満月だと思ってたのにな…」

 日々が過ぎるのは、こんなにも早い。

「もうすぐ、タツボン誕生日やな」
「まだ早いって」

 笑い告げるシゲに、呆れた様に返す。
 月を見上げたまま、歩きながら。
 不意に、シゲが振り返る。

「なぁタツボン」

 急に、立ち止まるから。
 その背に、ぶつかりそうなりながら、ほんの僅か、見上げた顔は、ひどく優しい笑みを、浮かべていて。
 とくり、胸が騒ぐ。

「キス、してもええ?」

 問いかけられた言葉に、何時もなら、返事を待たずに、顔を寄せてくるくせに。
 今日に限って、シゲはじっと、水野を見つめたまま、その返事を、待っていた。

「なぁ」

 頷くのも、気恥ずかしくて。
 不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら、そっぽを向けば、腕を掴まれ、向き直させられた。

「キス…」
「一々訊くな馬鹿ッ」

 しつこいと、怒鳴りつけて。
 ぶつけるように、己から口付ける。
 ぽかんと、間が抜けた面を晒すシゲを、置き去りにして。
 人気の無い道を、一人、足早に歩く。

「ちょ、待ってやぁ」
「うるさい」
「訊いただけやん」
「うるっさい!…お、俺達、付き合ってんだから…そんなの一々訊かなくったっていいだろっ?」

 振り返って、怒鳴りつける頬が、熱い。
 シゲは一瞬、驚いた様に、目を見開いた後。

「うん。…うん、せやな」

 なんて、言って、ひどく嬉しそうに笑うものだから。
 行ったこっちが、恥ずかしくなってしまって。
 それから後は、分かれ道に差し掛かるまで、顔を上げることが、できなかった。



 恋愛のいろはも、知らぬ彼らを。 
 三日月だけが、見下ろしていた。