その白い頬を伝うのは涙。
 ねぇやめとくれよ。
 私はそんなの見たくないんだよ。
「…―――っ」

 後から後から溢れ出てくるそれを止め様と、そっと舌先で眼球を舐めれば、きつく目を閉じられる。
 一切を拒絶するようなそれに、胸の奥が鈍く痛む。

「ねぇ兄さん・・・目を開けて、こちらを見てよ」

 呼びかけても、頑なに顔俯かせて首を横に振るばかり。

「兄さん・・・?」

 そんなに私のことを無視するんなら、やれ仕方ない。

「―っ?・・・っやめ・・・っ」

 悲痛な声が上がる。
 そりゃあそうだ。
 最も敏感な箇所の一つ、鈴口に爪を立てたんだから。

「・・・兄さん?」

 再度、呼びかけると、涙に濡れた瞳が、ようやっと、私を捉えてくれた。
 それだけのことが嬉しくて、口元が綻ぶ。

「なん・・・っで・・・んな・・」

 嗚咽交じりの途切れ途切れの言葉は、どこか責める様な色を滲ませる。

「何でって・・・」

 そんなの決まってるじゃないか。

「兄さんが好きだから」



 遡る時刻は一時程前。
 私の部屋で談笑してた兄さんは、唐突に睡魔に襲われて、私の上に倒れ込んだ。
 普段ならそんなことは決してないんだけれど、でも、それは当然のこと。
 仮にも薬種問屋で薬の調合をしてる身だ。
 眠り薬の一つや二つ、わけなかった。
 気が付いたときには兄さんは、可哀想に、ひ弱な私にさえ抵抗できないようにされていた。
 まぁ、やったのは全部私だけれど。
 だって、こうでもしなけりゃあ兄さんは手に入らないでしょう?
 他のものなら、諦めもするし、こんなに執着もしない。
 でも、兄さんは特別なんだもの。
 幼い頃からずっと会いたかった存在。
 それがようやっと叶って、最初は本当に、ただただ純粋に嬉しかった。
 でも、いつからだろう。
 その存在全部を自分のものにしたいと思い始めたのは。
 いつからだろう。
 この胸の奥に表しがたい感情が芽生え始めたのは。


「わ・・・若だんな・・・っ」

 悲痛な声に呼ばれ、顔を上げると、相変わらず涙が滲んだ目がこちらを見ていた。
 でも、その瞳の奥に滲む、情欲の色は、もう隠しようが無い。
 無視して、手の中のそれに、更に舌を這わせる。
 喉の奥まで咥え込み、きつく吸い上げながら先端を尖らせた舌先でつつく。
 同じ男だもの。
 経験が無くたってどうされたら良いかなんて分る。
 兄さんの背が、弓なりに反り返り、つま先に力が入るのが分かった。
 でも。

「・・・っ痛ぅ」

 きつく根元を握り、吐精を阻む。

「わかだんな・・・っ」

 詰る様な声音に、何故だか口角が上がってしまう。

「兄さん、一太郎って呼んでおくれな」

 兄さんの目が、可哀想なほど、悲痛に見開かれる。
 ねぇだって、こうでもしないと兄さんは「兄さん」も、「長崎屋の奉公人」も、捨てきれないでしょう?
 それが兄さんを阻むんなら、私が取り去ってあげるから。
 だからお願いだよ。
 私の傍にいて。
 私を・・・

「ね・・・?」

 促し、指の腹で鈴口を擦り上げる。

「・・・っ」

 ぎりぎりまで追い上げられた兄さんに、もう余裕なんて無い。

「いち・・・たろ・・・っ」
「好きだよ兄さん」

 深く口付け、無理やり歯列を割り、逃げを打とうとする舌を強引に絡めとる。
 手指の戒めを解くと、一気に扱き上げた。

「・・・・・―っ」

 今まで散々追い詰められてきたから、声も出せずに吐精すると、兄さんはぐったりとくず折れてしまう。
 ぼぅっと、焦点の定まらぬ兄さんを、咄嗟に支える。

「・・・・・」

 こんな形でしか、表現できない感情なんて。
 また少し、胸の奥が痛む。

「いちたろう・・・?」

 その時不意に、背中に温もりを感じた。
 兄さんの腕だと気付くのに一寸かかった。

「兄さん・・・?」

 そっと呼びかけると、きゅっと背中の腕に力が篭る。

「あたしはずっとここにいるよ」

 幼子をあやすような、優しい声音。

「あたしはずっと、一太郎の傍に・・・」

 言葉が、途切れる。
 背中の腕が、ずるりと滑り落ちた。
 驚いて見ると、私の腕の中で、小さく寝息を立てる兄さん。
 その無防備なまでの寝顔に、思わず零れる笑み。

「あれ・・・?」

 頬を伝う温かい感触に手をやれば、指先が濡れた。
 気付けば胸の奥に巣食っていた痛みが、ゆっくりと消えていく。
 先程の背中の温もりを思い出せばまた、一粒涙が頬を伝う。
 兄さんは私を受け入れてくれた・・・。
 こんな私を・・・。
 表わし様が無い温かさに包まれて、私はしばらく一人泣いた―。



 絶対に、どんなことがあっても私はこの温もりを手放しはしないと、固く誓った夜だった―。